第171話:この音声を流されたくなかったら……

 日が完全に沈みきった午後九時。半日ぶりに帰宅するや否やは俺と楓さんはベッドにバタンと倒れこんだ。


「勇也君、今日は楽しかったですね!」

「うん。楽しかったけどさすがに疲れたよ。大槻さんの体力は底なしかよ」


 ハァとため息とともに今日一日で身体に溜まった疲労感を吐き出していく。きっと今頃二階堂や伸二、結ちゃんも同じようにしていることだろう。大槻さんは室内外問わずやれること全部やる勢いだったからな。


「それだけみんなで遊ぶのが楽しかったってことですよ。もちろん私も勇也君の初めての姿を見ることが出来てすごく嬉しかったです」

「あぁ……そのことなんだけど、楓さん。録音した音声はやっぱり消してはくれないんですかね?」



 白熱したカーレースをした後、俺達はカラオケルームに向かった。これは楓さんたっての希望で、3月の期末試験終わりに一緒に行けなかったリベンジがしたいとのことだった。


「勇也君のXなジャパンさんが聴きたいです! というか聴かせてください!」


 開幕早々、喉が開いていないのに歌うにはハードルが高すぎる選曲だ。というか俺はあの曲をまともに歌えるわけじゃない。芸術的なハイトーンボイスは俺には無理だ。そもそも歌ったのだって文化祭後の打ち上げというハイテンションな状態だったからで―――


「そんな言い訳、聞く耳持ちません! さぁ、入力はしたのでどうぞ歌ってください! 録音準備、出来てます!」


 俺の言い訳が通じるはずもなくマイクを渡されて歌うことになった。でも不思議なことに曲が流れだすと自然にテンションが上がってくるというか昂ってくるというか、勢いで歌いきってしまった。


「きゃぁぁぁぁぁ勇也君カッコイイです! バッチリ高い声出ているじゃないですか! これは最早持ち歌と豪語していいレベルです!」

「久しぶりに吉住の歌声を聴いたけど、なんていうか……圧巻だね」


 一息ついている俺の肩を興奮した様子でバシバシと叩いてくる楓さんとどこか呆れた顔で呟く二階堂。結ちゃんはぽかんと口を開けてアホな子になっている。


「ほへぇ……吉住先輩ってあんな声も出せるんですね。意外というかなんというか。人は見かけによりませんね?」

「いい感じに混乱してるね、結ちゃん。さて、ヨッシーのおかげで場は温まったから次いってみようか!」


 大槻さんが号令をかけたが誰も歌いたがらず、そのせいで楓さんとデュエットをすることになったのだった。



「フフッ。いくら勇也君の頼みでもそれはお断りさせていただきます。いずれ来る結婚式で流す動画として使わさせていただきます」

「いや、あの何でもするからそれだけは勘弁してください」


 そう言ってから俺は口を両手で押さえた。思わず口にした自分の発言の危うさに気が付いた時にはすでに手遅れ。楓さんはぺろりと舌なめずりをして瞳が怪しく光る狼さんモードに変身していた。率直に言ってこれはヤバイ。


「あれ、どこに行くんですか勇也君? 何でもしてくれるって言いましたよね?」

「きょ、今日のところはいいかな? それよりもお風呂に入ったらどうかな? 一日動いて汗かいたよね? 準備して来るね!」


 逃げるように俺は寝室を後にしようとしたのだが、物事というものはそう上手く運んではくれない。つまりどうなったかと言えば楓さんに後ろから抱きしめられた。背中に当たる柔らかい感触と艶めかしい吐息に心臓の鼓動が加速する。


「んぅ……勇也君にくっついて、匂いを嗅いでいると落ち着きます。というわけでベッドに戻りましょう? 私が満足するまで抱き枕になってください」

「いやいや! そうは言うけどほとんど毎日俺のことを抱き枕にしているよね!? それが嫌ってわけじゃないんだけど今更じゃないかな!?」


 おやすみを言った時は近いとはいえ密着まではしていないのに、朝目が覚めたら楓さんが俺の腕の中にいて身体を巻き付けるようにしているのだ。いや、待てよ。楓さんの抱き枕になれば音声を消してくれるというのならむしろ朗報なのでは?


「あっ、勘違いしているかもしれないので一応伝えておきますね? 私が満足するまでと言いましたがそれは勇也君次第です」

「お、俺次第? それってどういう意味ですかね? 俺に何をしろと?」

「フフッ。そうですね……例えばお休みを言った後に〝こっちにおいで〟と手招きをしてぎゅっと抱きしめてくれるとか? さらにその上で〝いい子いい子〟と頭を撫でてくれるとか? そういうことを私は所望します!」


 いや、そこまで言ったら例え話ではなく具体例じゃないですか。つまりそれをすれば楓さんは俺の恥ずかしい歌声を削除してくれるってことですね?


「はい! 勇也君がそうしてくれたら私の端末からはきれいさっぱり削除すると約束します! 私の端末からは!」

「大事なことだから二回言ったんだね! つまり楓さん以外にも俺が歌っているところを録音した奴がいるんだな!?」


 最有力候補は大槻さんだな。あの人のことだから録音以上に恥ずかしい録画をしているかもしれない。そういうことなら伸二も怪しいな。昼飯の時にからかいすぎた。二階堂と結ちゃんは白かな。


「さぁ勇也君、どうしますか? 私の要望を聞いてくれますか?」


 耳元で甘く囁く楓さん。そんなの答えは決まっている。というか間違っていますよ、楓さん。


「俺はね、楓さん。あなたを抱きしめて眠ることが出来るなら喜んでするよ。だから音声を使ったりしないで普通に……例えば〝抱きしめて〟って言って甘えてくれていいんだよ? もし言ってくれたら―――」


 くるりと振り返り、楓さんを優しくぎゅっと抱きしめる。


「朝になるまで抱きしめて離さないから」

「うぅ…………勇也君のバカ。天然人たらし。でもそういうところも大好きです」


 えへへと笑った楓さんはまるで子猫が甘えるかのように俺の胸に頬ずりをしてくるので頭を優しく撫でる。


「はぁぅ……すごく満たされます。このまま一緒にお風呂に入ったら一日の疲れは吹き飛ぶこと間違いなしです。チラチラ」


 いや、上目遣いでアピールしてくるのは可愛いけど一緒にお風呂には入りませんからね?



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