第138話:二階堂のわがまま

 前半終了の笛とともに、肺の中にたまっていた熱気をゆっくりと吐き出した。これが球技大会の決勝か? 冗談だろう。全国大会決勝だって言われても信じるぞ。


 まばたきをする暇もないくらい、目まぐるしく移り変わる攻守。コートを縦横無尽に駆ける選手たちから絶えることなく発せられる必死な声。そんな彼女たちへ送られるのは「負けるな、頑張れ」という声援。俺や伸二、大槻さんも喉をからす勢いで応援し続けた。


「いい試合だね。前半は互角ってところかな?」

「どうだろうな。点数的には差は開いていないけど、有利なのは結ちゃんのクラスの方かも。何せみんな経験者だからな」


 チームとしての地力が違う。そう表現するのがいいかもしれない。バスケ部エースの二階堂と切り札ジョーカーの楓さんという突出した二人がいたとしても、チームとして見れば結ちゃんのクラスに劣っている。むしろ二人が揃っていなかったらどうなっていたことか。


「後半はもっと経験者との差が出てくるかもね。そうなるとうちのクラスは厳しいかも……」

「そんなこと言わないでよ、シン君! 哀ちゃんと楓ちゃんなら大丈夫だよね!? そうだよね、ヨッシー!」


 大槻さんが泣きそうな顔で尋ねてくる。困った顔をしている伸二の気持ちはよくわかる。前半はなんとか互角に持ち込めたが、後半は技術や体力といった選手の地力の差が如実に影響してくる。そうなるとうちのクラスの苦戦は必至。コートに目をやると、作戦会議が終了したのか、二階堂が一人で会場から出て行くのが見えた。


 深呼吸して一息をついた楓さんと目が合った。笑顔で元気よく手を振ってくるので俺も返した。うん、この調子なら楓さんは・・・・は大丈夫だな。まだ余力がある。問題はあっちの方か。


「二人ともごめん。ちょっとトイレ行ってくる。試合開始前には戻ってくるから!」

「ちょっとヨッシー!? 答え聞いてないんだけど!?」


 大槻さん。質問の答えは戻って来てから話すよ。うちのクラスが勝つためには、悩めるエースに激励を送らないとな。



 *****



 エースはすぐに見つかった。体育館裏でひとり佇む姿でさえ、切り取られた一枚の写真のように絵になるのは二階堂か楓さんくらいだろう。


「こんなところで何しているんだよ、二階堂。そろそろ後半始まるんじゃないのか?」

「―――吉住!? どうしてキミがここに?」

「どうしても何も、二階堂が一人で体育館から出て行くのが見えたからな。落ち込んでいるんじゃないかって思って励ましに来たんだよ」


 今の二階堂の表情には普段とは違って悲壮感が見えた。まだ試合を諦めているわけではないと思うが、前半の攻防でチームとしての力の差を感じ取ったのだろうか。それほどまでに結ちゃん達は強敵というわけか。


「そうだね。想像以上だった、というのが正しいかな。チームとしての練度がとても高いから驚いたよ。前半は何とかなったけど、後半は正直きついかも」

「らしくないな、弱音を吐くなんて」

「……結の目がね……私に問いかけてくるんだ。〝もっと楽しみましょう〟って。全力の中でも試合を楽しむ余裕があの子にはあるんだよ。私にはそれがない」


 クソッ、と足を叩いて唇を噛み締める二階堂。スポーツをやっている身として、二階堂の持ちは痛いほどわかる。


 よく試合を楽しめと言うけれど、それは心に余裕があるからこそできることだ。心に余裕がなければ目の前のことで精いっぱいでそれどころではない。ならどうやったら余裕が生まれるのか。それは練習量に裏付けされた自信や相手との力量差がある時。だからこそ二階堂は悔しいのだろう。でも俺はそれを否定する。なぜなら、


「結ちゃんの余裕はチームを信じているからじゃないのか? 自分がダメでも他のみんなが頑張ってくれる。だから自分は尊敬する先輩との対決を楽しもう。そう思っているんじゃないのかな」


 フォア・ザ・チーム。チームが勝つために自分は何が出来るか。そう考えて結ちゃんは試合に臨んでいるのだと思う。だからこその余裕が生まれて、二階堂との本気の対決を楽しんでいるのだろう。


「一人で気負い過ぎなんだよ、二階堂は。もっと周りをよく見ろ。楓さんはまだまだ元気だぞ? 他のみんなだってそうさ。まだ誰も諦めていないと思うぞ? それなのにエースが諦めてどうするんだ」

「……吉住」

「仲間を信じろ。楓さんを信じろ。そして自分を信じろよ。それが出来ないっていうなら……そうだな。二階堂なら大丈夫だって信じている俺のことを信じろ! ってか?」


 こういう台詞を言うのは我ながら恥ずかしいな。でもこれくらい言わないと、どん底付近まで落ち込んでいる二階堂を立ち直らせることはできない。俺の言葉にそれだけの力があればいいんだが。


「……フフッ。吉住のくせに……ププッ。カッコいいこと言うじゃないか」

「おいこら、そこで失笑するな。あとくせにとはなんだ、くせにとは! 俺なりに元気づけようと頑張ったんだぞ!?」

「フフッ、わかってるよ。ありがとう、吉住。キミの言う通り、柄にもなく気負っていたみたい。もう大丈夫、と言いたいところなんだけど……一つ、わがままを聞いてくれないかな?」


 わがままとは、二階堂にしては珍しいな。俺にできることなら構わないぞ。どこかの誰みたく『一緒に暮らしたい』とかでなければな。


「フフッ。なに、簡単なことだよ。あのね、吉住……今だけ。今だけでいいから……私のことを〝哀〟って呼んでくれないか?」

「…………はい?」

「今だけ! 今だけでいいから名前で呼んで、頑張れって……その……言ってくれたら……その、すごく頑張れると思うんだ!」


 胸に手を当てて、顔を真っ赤にしながら切実に訴えてくる二階堂。心なしか瞳にはうっすら光るものが見える。その姿はいつもの王子様ではなく、撫でてくれとおねだりする子犬のよう。


「わ、わかったよ……今だけだからな? 頑張れ、哀」

「もう一回。もう一回だけ、お願い」

「……頑張れ、哀。負けるな。頑張れ」


 二階堂は静かに目を閉じて、噛み締めるように俺の言葉を聴いた。心を落ち着かせるためか、二度、三度深呼吸を繰り返した。


「……うん。ありがとう。おかげで頑張れそう。むしろ、今まで一番いいプレーができるかもしれないよ」


 随分と単純だな。それなら毎回でも応援するよ、と言いたいところだけど、これっきりにしてくれたら助かるな。


「フフッ。大丈夫、安心して。私はめったにわがままは言わないから」

「それはかえって安心できないんだが!?」

「さて、元気も貰ったことだしそろそろ戻ろうかな。私の活躍、ちゃんと見ていてくれよな?」

「わかってるよ。期待しているぜ、バスケ部エース?」

「任せてくれ! 吉住の応援は無駄にしないからさ!」


 それじゃ、と駆けて行く二階堂の顔に悲壮感はなく、自信に満ち溢れてキラキラとしているいつもの二階堂だった。


「さて……俺も戻るか。楓さんを応援しないとな」


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