第94話:並び順はとても大事

 梨香ちゃんのご機嫌が中々直ってくれなかった。ぷんすかと頬を膨らませて話しかけてもそっぽを向いてしまって弁明する機会すら最初はくれなかった。


「ねぇ勇也君。私の髪の毛を乾かしてくれませんか? ほんとは髪もごしごし洗ってほしかったんですけどしてくれなかったのでその代わりに。ね?」


 それにもかかわらず楓さんがグイグイと腕を掴んでこんなことを要求してくるものだから梨香ちゃんの機嫌はますます悪くなる。


「ふんっ! 梨香は自分出来るもん! 楓お姉ちゃんの甘えん坊! めんどくさがり!」


 言いながら悔しそうに地団駄を踏むので本当は自分も甘えたいけど怒ってしまった手前強く言えないのだろうと思った俺は楓さんからドライヤーを受け取りぽんと小さな肩に手を置いた。


「俺が乾かしてあげるから座って。早くしないと風邪ひいちゃうからね」

「―――勇也お兄ちゃん! うん! ありがとう!」


 笑顔の花が咲いた梨香ちゃんはソファにぽすんと腰かけてウキウキと肩を揺らした。急激な機嫌の直りように苦笑しながら優しくドライヤーでしっとり濡れている髪を乾かしていく。


「ゆ、勇也君。梨香ちゃんばっかりずるくありませんか!? 私は何もしてもらっていません!」

「楓お姉ちゃんは十分勇也お兄ちゃんに愛されているからいいじゃん! 梨香だって本当は勇也お兄ちゃんと一緒にお風呂に入りたかったのに……楓お姉ちゃんがお馬鹿さんになるから……!」


 ドライヤーの音に負けないように声を張って会話をする女の子二人。まぁ梨香ちゃんの言う通り、お風呂での楓さんはこれ以上ないくらいに馬鹿になっていたし大人げなかったと思う。それを拒めず甘い空気に酔ってしまった俺も同罪ではあるのだが。


「そういうわけだから! 明日は楓お姉ちゃん一人で入ってね! 梨香と勇也お兄ちゃんの邪魔はしちゃだめだからね!」

「そ、そんなのダメです! 認められません! 勇也君も三人一緒がいいですよね!? いいですよね!?」


 見返り美人よろしく振り返った梨香ちゃんと干涙目になりながら俺に縋り付いてくる楓さんの主張を天秤にかける。答えは決まっている。


「……少し頭を冷やそうか、楓さん」

「勇也君!? そんなぁ……」

「やったぁ! さすが勇也お兄ちゃん!」


 飛び跳ねて喜ぶ梨香ちゃんに打ちひしがれて地面に跪く楓さん。まるで対照的な二人のリアクションははたから見ているとコントにしか見えないが、そんなことを口に出した日には俺はきっと生きてはいられまい。具体的には三人一緒に入浴の刑だ。


「うぅ……わかりました。明日は我慢します。明日は。明日だけは」

「大事なことだから繰り返したんだろうけど早々毎日一緒には入らないからね?」


 がーーーん! と口に出してさらに落ち込む楓さん。誤解なきように言っておくが本当に毎日一緒に入っているわけではない。時々だ。そう、時々。週に一回くらい。


「勇也君が意地悪になっちゃいました……悲しいので先にお布団に入ってます……」

「ちゃんと髪の毛乾かして、歯を磨いてからね。そのままうたた寝しないようにね」

「うぅ……冷静な勇也君の助言が胸に沁みます……」


 わかりましたと力なく言うと、よろよろと覚束ない足取りで楓さんはリビングを後にした。


「……ほんと、勇也お兄ちゃんと楓お姉ちゃんはラブラブだね。まるでパパとママみたい」


 それは誉め言葉として受け取っておくよ、梨香ちゃん。



 *****



 梨香ちゃんの髪を乾かしたら俺もさっさとドライヤーの温風をあてて水気を吹き飛ばす。半分近くは乾いていたのでたいして時間もかからず終えると一緒に洗面所に移動して歯を磨く。


 それが済んだらあとはベッドに入って寝るだけだが、それがお風呂と双璧をなす難問だ。どういう並びで寝るか問題。


「もちろん梨香は勇也お兄ちゃんの隣がいい! 楓お姉ちゃんに譲らないもん!」

「喧嘩はしないでね、お願いだから」


 楓さんが拗ねたらそれこそ梨香ちゃんが帰った後でどうなるか想像するだけで結構怖い。俺の理性が持つかどうかという意味で。


 願わくば、楓さんがこの短時間で頭を冷やして高校生の余裕を取り戻していることを期待して寝室のドアを開けた。


「―――お待たせ、楓さん。って、どこで寝ているのかな?」

「えへっ。見てわかりませんか?」

「うん。わかるよ。今楓さんが半分顔をうずめているのは俺の枕だってことはね。どうしただよぉ!?」


 俺の渾身の叫びなど聞こえないとばかりにぽすっと再び枕に顔を埋める楓さん。待って! あからさまに深呼吸をして匂いを嗅ごうとしないで! 変な匂いがしていたら立ち直れないんだけど!?


「んぅ……大丈夫ですよぉ。勇也君の匂いは大好きですから。えへへ。幸せです」

「……ねぇ、勇也お兄ちゃん。これはあれだよね、プロレス対決してもいいってことだよね? 梨香への挑戦状だよね?」

「うん、違うからね。断じて違うからね」


 ハイライトの消えた瞳で今にもベッドにリングインしそうな勢いの梨香ちゃんを引き留める。さて、この状況はどうするか? って考えるまでもないんだけどね。


「楓さんが移動しないなら俺は楓さんの枕を使わせてもらうとして。梨香ちゃんは俺の隣においで」


 枕の奪還はあきらめて、いつも楓さんの定位置につく。そしてその隣、すなわち俺と楓さんの間に梨香ちゃんを招き入れた。


「こうやって三人並んで川の字で寝てみたかったんです。梨香ちゃん、ぎゅってして寝ましょうね」

「う、うん……」


 布団に入った途端に戦闘モードは霧散して緊張しだした梨香ちゃんを問答無用で抱きしめる楓さん。こうなってしまっては抜け出すことは不可能だ。楓さんの温かくて柔らかい極上の感触に抗うことは何人たりともできないだろう。体験させるつもりは毛頭ないが。


「フフッ。おやすみなさい、梨香ちゃん」

「ふにゅ……おやすみなさぁい……」


 一日はしゃぎまわり、迷子になって気疲れもしたのだろう。梨香ちゃんが夢の中に旅立つのはあっという間だった。


「勇也君も、おやすみなさい」

「一日お疲れさま、楓さん。おやすみ」


 長い一日がようやく終わった。

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