第87話:梨香ちゃん、怒る。

「勇也お兄ちゃん、楓お姉ちゃん。何か言いたいことはありますか?」

「いえ、何もありません」

「私も。何もありません」


 映画が終わり、シアターから出るや否や梨香ちゃんは腕組みをして怒気をはらんだ鋭い目つきで俺と楓さんを睨んだ。こればかりは反論のしようがない。少しばかり調子に乗りすぎていた。


「わかります。えぇ、わかりますよ。パパとママも映画館で手を繋いだりしていますからね。ですが! 腕を組んで肩に頭を乗せたりまではしていませんでした!」


 なんだろう、この気持ち。これがうわさに聞く小姑に嫌味を言われるというやつなのか。悔しそうに地団駄を踏む梨香ちゃんの姿は怒っているんだけど微笑ましくて何だか可愛いのでついこちらの頬も緩んでしまう。


「あっ! なに笑っているんですか、勇也お兄ちゃん! 私は怒っているんですよ!? わかっていますか!?」

「アハハハ。わかってるよ、梨香ちゃん」


 ダメだ。梨香ちゃんがすごく可愛くて直視できない。


「むぅ―――! 絶対わかってないです! 楓お姉ちゃんは反省していますよね!?」

「仕方ないじゃないですか。だって勇也君とくっついていたかったんですもん」


 楓さん、どうして火に一斗缶をぶち込むような発言をするんですか!? しかも俺に腕組みしてくるというおまけ付きで! ほら、梨香ちゃんの瞳から光が消えているじゃないか。肩もフルフルと震えている。


「り、梨香ちゃん?」

「うぅ……うぅ……うがぁあああああ!!」


 梨香ちゃんが突然発狂して壊れてしまった。そしてドンドンと地団駄を踏んで悔しがったかと思えばギリっと俺のことを睨みつけて腰めがけてタックルしてきた。


「私だって勇也お兄ちゃんにくっつきます! 楓お姉ちゃんにばかりいい思いはさせません!」


 油断していたところに完全な不意打ちで梨香ちゃんの頭が見事に俺のみぞおちに突き刺さった。痛みで息が苦しいのに腰をぎゅぅと絞るように抱きしめられてますます酸欠になっていく。


「り、梨香ちゃん。勇也君が苦しそうにしていますからいったん離れてあげてください」

「嫌だもん! そんなこと言って楓お姉ちゃんが独占する気でしょう!? 騙されないもんね!」


 楓さん、どうしてそこで口をつぐむんですか? そこはそんなことはしないから離れましょうね、と梨香ちゃんを諭すところだよね? なんでそこで目を逸らすんですか? 図星か? 図星なのか!?


「あ、あぁ……梨香ちゃん。気持ちは分かったからまずはいったん離れてくれ。いい加減息ができなくてやばいから。お願い」

「……いや。離れたくない」


 梨香ちゃんの頭を撫でながらお願いするが顔を押し付けながら首をふるふると横に振るばかり。楓さんの駄々っ子状態と同じだ。これは困った。


「離れたら勇也お兄ちゃん、私と手を繋いでくれないもん。楓お姉ちゃんとずっと手を繋いでいるんでしょう? 私だって手を繋ぎたいだもん」


 なるほど。すべての原因は楓さんにあるということか。俺としても楓さんと手を繋いでいたいので否定はできないが、ここはひとつ大人になろうじゃないか。そうだろう、楓さん?


「そうですよね。梨香ちゃんも勇也君と手を繋ぎたいですよね。だからそんな梨香ちゃんに提案があります」

「……なにぃ?」


 興味を示した梨香ちゃんに、楓さんがひざを折って顔を近づけてコソコソと耳打ちした。うんうんと頷き、ぱあぁと笑顔の花を咲かせる梨香ちゃん。雨が降っていて暗かった空がはれ上がり虹が掛かったような変わりようだった。


「勇也お兄ちゃん。わがまま言ってごめんなさい」


 俺から離れてぺこりと頭を下げる梨香ちゃん。いや、怒ってないから謝ることはないんだよ? ほら、手を繋ごうよ?


「えへへ。ありがとう、勇也お兄ちゃん!」


 満面の笑みを浮かべながら梨香ちゃんは俺と楓さんの間に割って入った。そんなことをしたら今度は楓さんが駄々っ子モードに入るのでは!? だが俺のそんな心配は杞憂に終わった。梨香ちゃんの空いている手を楓さんが自然と握っていたのだ。


「子供頃にこうしてお父さんとお母さんの間に挟まれて手を繋いだことがあるのでこういうのもいいかなって思いました。これも将来の予行演習です」


 そういう楓さんを見て、俺の頭の中で子供を連れて歩く未来の自分たちの姿を鮮明な形で幻視した。子供は女の子で楓さん似。はしゃぐ娘に振舞わされながらもとても幸せそうな様子の楓ママとほっこりしている俺。


「フフッ。その日が来るのが楽しみですね、勇也君」

「そうなるためにも頑張らないとね。色々と」

「二人とも! 私を間に挟んでストロベリーワールド作らないでよね!」


 本当に、こういう幸せな未来がくればいいなと俺は思った。

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