第80話:キスマーク

 タカさんから一人娘の梨香ちゃんを預かって欲しいと電話を終えて寝室に向かうと、拗ねたご様子の楓さんが待ち構えていた。


「……勇也君。ハグしてください」


 楓さんはそれだけ言うと口元をわずかに尖らせて前ならえをするように両手を突き出してきた。


「ごめんね、待たせちゃって。早く寝ようか?」

「勇也君、ハグ。ハグをハリーアップでください。As soon as possibleです」


 可及的速やかにハグをしてくださいってことか。これはあれだ、拗ねモードと甘えモードが混ざっているハイブリッド状態だ。


「まったく。この甘えん坊さんはしょうがないんだから……」


 そうは言うものの俺は自分の口元が緩んでいることを自覚している。だって何も言わず、口を尖らせ、ベッドの上でぺたん座りをしてハグを求める楓さんはどうだ? すごく可愛いと思わないか? 思うだろう。


「……勇也君のお嫁さんの座は誰にも譲りませんから」


 ぎゅっと抱きしめると、楓さんが宣戦布告のように呟いた。その相手はもしかしなくても小学一年生の梨香ちゃんに対してだと思うと俺は思わず笑ってしまった。


「な!? どうして笑うんですか!? 私は真剣なんです! いくら相手が子供だからといって油断はできません! ライオンはウサギを狩るときでも全力なのです!」


 がおぉー! と言いながら俺の首筋に噛みつく楓さん。痛みと快感のバランスが絶妙な甘噛みはやがてはむはむと吸い付き始め、私のモノだというマーキングへと変わっていく。くすぐったくもあり、心地よくもある不思議な感覚だ。


「はむぅ……ゆうやくんは私の旦那さんです。誰にも……渡しません。これは……んぅ。そのためのキスマークです」


 え? これってキスマークを着けるためにやっているの? 俺がその事実に気がついた時には時すでに遅く。楓さんは首筋から艶美な透明な糸を垂らしながら唇を離し、その痕を満足そうに眺めた。


「フフッ。勇也君へのマーキングはこれで完璧です。誰が勇也君のお嫁さんか一目でわかりますね」


 そうしてまた、自分でつけた痕を愛おしそうにぺろりと舐める楓さん。そんな風にされたら俺だって楓さんにマーキングをしたくなるじゃないか。


 楓さんの首筋に鼻先を当てながら匂いを堪能する。柑橘の爽やかな香りが鼻孔から身体全体に沁み渡る。舌をわずかに出して白磁の肌を濡らしながらマーキングポイントを探していく。首筋はさすがに露骨か。となると最適なのは―――


「んぅ……ゆ、ゆうやくん? どうしたんですか? ひゃぅぅ……く、くすぐったいですよぉ」


 舌を這わされる感触に身体をくねらせる楓さん。上目で確認すると頬が紅潮し始めている。


「俺だって……楓さんは俺の大事な人だって言うのをマーキングしたいんだよ。させてくれるよね?」


 答えは聞いてない。そのまま楓さんの鎖骨付近に到達する。パジャマから覗くデコルテゾーンが醸し出す色香は尋常じゃない。露わになっている肌と見えそうで見えない胸元が織りなすデュエットは思春期男子の欲望を駆り立てるには十分は攻撃力を有している。


「っんんぅ……ゆうやくん……そこに、キスマークをつけるんですか? は、恥ずかしい……です」


 恥ずかしいのか、声にも艶が出始める楓さん。視線を下にずらせばたわわに実った魅惑の果実の上面が目に飛び込んでくるのでそこは全ての理性を総動員して覗かないようにして、俺は楓さんのデコルテにキスをした。


「あぅ……ゆうや、くん……舐めないでっ……くすぐったい」


 口づけし、舌で鎖骨周辺をゆっくり丁寧に舐めまわす。楓さんの身体がぷるぷると小刻みに震え、首筋からこの鎖骨にかけて紅葉が広がっていく。頬を朱に染めながら声が漏れないように指を噛んでいる姿がむしろ艶めかしい。俺の中の嗜虐心という名の狼が心底から顔をのぞかせる。


「んぅっ……! だめっ、吸っちゃ……やぁ……」


 楓さんの身体に俺のモノだと証明する痕跡をつけるためには舐めたりしているだけではダメだ。歯型をつけるのもいいがそれだと痛い思いをさせてしまう。なら俺がとれる手段は楓さんがしたように力強く吸い上げることだけ。


「んぅ……ゆうやくん……もっと……」


 蕩けるような甘い声で俺の名前を呼びながら俺の頭を両手でぎゅぅと抱え込む楓さん。それに答えるように俺は思い切り鎖骨を吸い上げた。声にならない嬌声が楓さんの口から漏れるのと同時に俺は口を離した。見事に真っ赤な痕が付いていた。


「はぁ……ゆうやくんにマーキングされちゃいましたぁ……ウフフ。幸せです」


 赤い痕を愛おしそうに触りながらうっとりした淫らな表情を浮かべる楓さん。不覚にもその顔に俺はドキリとして唾を飲み込んだ。そんな顔も出来るのか。


「あぁ……ゆうやくんのお顔、真っ赤です。すごく可愛い……ダメですよ、ゆうやくん。そんな顔をしたら―――」


 俺にぴっとりと枝垂れ寄りながら楓さんは熱い吐息を吐き出しながら耳元で囁いた。


「―――もっとあなたに私を刻み込みたくなっちゃいます。いいですよね?」

「か、楓さん? ―――っんぅ!?」


 かぷりっ。楓さんはつい先ほど自分が付けた首筋に今度はキスをするのではなく綺麗な歯を突き立てた。


「ゆうやくんは……私のモノです」


 聞いたことのない妖艶な声音で宣言し、楓さんは首筋を甘く噛む。ほんの少しの痛みとそれを塗りつぶす快感が愛情となって俺の身体を駆け巡る。自然と俺の口から漏れる息に熱が帯びる。ヤバい。すごく良い。思わず俺は楓さんを強く抱きしめた。


 楓さんが口を離し、十分すぎるほどに付いた首筋の傷痕を最後にペロリと舐めあげて、初めてのマーキングタイムは終了した。


「はぁふぅ……勇也君にマーキングしてマーキングされちゃいました。これで梨香ちゃんが来ても大人な対応が出来そうです」

「そ、そう……それならよかった。もういい時間だし、そろそろ寝ようか」

「はい。朝も早いですからこの余韻に浸りながら眠りましゅ!」


 布団に入るとガバっと俺に抱き着いてくる楓さん。そしてそのまま自然な流れでおやすみのキスをする。


「おやすみ、楓さん」

「おやすみなさい、勇也君」


 明日からは梨香ちゃんが泊まりに来るからこうして抱き合いながら寝ることはできないのか。すぐ近くにいるのにそれが出来ないのは拷問に等しいけど仕方ないか。


「フフッ。ちょっとだけでしたけど狼さんな勇也君、すごく素敵でしたよ」

「俺だってやるときはやるんだよ。いつも楓さんに食べられてばかりいるわけじゃないのさ」

「でも……噛まれている時の勇也君の蕩けた顔はすごく可愛かったです。またあの顔を見せてくださいね?」


 そんな甘い声で囁かれたら俺に抵抗する術はないじゃないか。くそぉ。俺が主導権を握れる日は来るのだろうか。


「期待していますよ、勇也君。私のこと、ちゃんと残さず食べてくださいね」

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