第32話:自覚した気持ち

 楓さんが落ち着くのにかかった時間はなんと一時間。その間俺達はネット配信されているアニメを見ていた。中々ぶっ飛んだラブコメアニメで終始ハイテンションなところが面白い。屋上で二人して授業サボってゲームして恥ずかしくなったら発狂するとか青春かよ。


「そろそろ遅いですし、お風呂入りますか?」

「もうすぐ22時か。そうだね。沸かしてくるけど楓さんから先どうぞ。それとも一緒に入る?」


 意地悪に笑いながら混浴を提案してみる。せっかく落ち着いたのに再びおかしくなるかもしれないが、たまにはこういう日があってもいいと思う。いつもドキドキさせられている仕返し日だ。


「もう。そういう冗談はやめてください。お言葉に甘えて先にお風呂頂きますね。その間、勇也君はゲームでもして待っていてくださいね」


 は、はい。わかりました。大人しく待つことにします。嘘、あの楓さんが少し照れながらではあるけれど乗って来なかっただと? どういうことだ? 変なものでも食べたのか!?


「私だっていつもいつも押してばかりじゃないんですよ? 時には引くことも大事だと学びましたから!」


 グッと拳を握りながら楓さんは言って、お風呂場へと向かった。一人残された俺は意味が分からず、けれど考えても仕方ないのでこちらもお言葉に甘えてゲームをすることにした。何だかんだ、この家に来てから初めて起動させるな。


 慌しくてできなかったこのゲームもストーリーはもう中盤。七番目の最後の物語のリメイク作品ということで世界的に注目度の高い作品だ。分作ということに思うところはあるが、面白いでいいとしよう。死ぬまでの間にちゃんと完結させてくれれば文句は言うまい。


 閑話休題。


 美麗なグラフィックに心奪われていると時間はあっという間に過ぎていく。楓さんが髪を拭きながらモコモコなパジャマ姿で戻ってきた。間もなくボス戦ということで俺はセーブをしてソファから立ち上がる。


「あら、もう終わっちゃうんですか? もう少しやっていてもいいんですよ?」

「続けたいのは山々だけどお風呂に入らないと。それに止め時がわからなくなるからちょうどいいの。じゃあお風呂入ってくるね。先に寝ていいからね?」

「フフッ。そこは待つことにします。ゆっくり入ってきてください」


 なんだろう。やっぱり変だ。いつもならここで「やっぱり私ももう一度湯船に浸かろうかな」くらいのことは言ってくるのだがやけにあっさりしている。おかしい。


 まぁ考えても仕方ない。せっかく警戒に意識を割くことなくお風呂に入れるなら堪能するとしよう。今日の部活で身体的に疲れたし、夕食&バレンタイン会で精神的にも疲労困憊だ。のんびり寛がせていただきましょう。



 *****


 結局一時間近く俺は湯船に身体を沈めていた。歯磨きを終えて就寝準備を終えた頃には日付が変わっていた。


「楓さん……待ってなくてよかったのに……」

「いいんです。私が勇也君を待ちたかっただけなので。お風呂、気持ちよかったですか?」

「それはもう。おかげで疲れもとれたし、明日も頑張れそうかな」

「それは良かったです。さて、そろそろ寝ましょうか」


 楓さんが手元のリモコンで照明の明かりを落とす。火照る身体のまま布団に入ったので熱がこもって仕方ないが足元が冷えて眠れないよりは断然いい。


 今日も色々あったなぁ。すき焼きは美味しかったし、楓さんからのバレンタインチョコの手作りケーキは絶品だった。それに加えてあーんをし合って間接キスまで―――やばい。考えるな。眠れなくなる。


「ねぇ……勇也君。起きていますか?」

「うん。起きているけど、どうかした?」


 何かあってはいけない上に彼女の寝顔を見ていたら眠気はどこかに吹き飛んでしまうので俺はいつも楓さんに背を向けて寝ていた。だから当然彼女からの問いにも振り返ることなく答えたのだが、それがいけなかった。


「少し……近くで……勇也君のそばで、寝てもいいですか?」


 いつの間にか移動していた楓さんが後ろから抱き着いてきた。普段よりも蕩けた甘い声で尋ねれ、ふわりと香る檸檬の香りが心安らかにさせ、しかし同時に俺の脳を混乱させる。背中越しに伝わる楓さんの温もりと男を狂わす柔らかな感触。腰にぎゅっと巻き付かれた腕が緊張で微かに震えているのが伝わってくる。心臓も壊れそうなくらい大きく脈打っているのがわかる。


「あぁ……いいよ」


 一生懸命、精一杯の勇気を振り絞った楓さんのお願いを、俺は断ることが出来なかった。いや、むしろこのまま振り返って抱きしめたい。そんな衝動に襲われている。


「私ね、今日とても幸せでした。大好きな人にぎゅって抱きしめてもらって、頑張って作ったお菓子を美味しいって褒めてくれて、食べさせてくれて。しかも間接キスも出来ました。もう死んでもいいくらい、幸せな一日でした」


 楓さんの告白に俺の胸も高鳴り始める。止めてくれ。嬉しいけど、止めてくれ。


「でも……もっと味わいたいって思ってしまうんです。大好きな人にぎゅってされながら眠れたらってどんなに幸せなだろうって……」


 ズルい。楓さんは本当にズルい。そんな風に泣きそうな声で甘えられたらわがままを叶えてあげたくなるじゃないか。


「……今日はありがとう、楓さん」


 身体を正面に向けて優しく楓さんを抱きしめるとびくりと楓さんの肩が跳ねた。けれどすぐに頬を俺の胸に寄せて蕩けた笑みを浮かべる。


「えへへ……勇也君、とても温かいです。それに良い匂い……今日はいつも以上にぐっすり眠れそうです」


 そうですか。俺は多分朝まで眠れそうにありませんよ。


 でも。あなたが幸せを感じてくれるなら俺はそれでいい。あなたが喜んでくれなら俺はそれでいい。俺も、あなたと一緒にいられて―――


「おやすみなさい、勇也君。大好きです」


 本当に。どうしようもないくらい。俺の心は楓さんに惹かれている。


 そう自覚した、ある2月の夜だった。

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