19話 頭を抱える副隊長

「ベルナデッタ。俺ちょっと出かけてくるから」

「ええ、分かりましたわ」

 

 ――アーテが立ち去ってから数日後。


 行方をくらましていたルカは無事見つかった。

 聖銀騎士によるアーテの宿泊部屋の調査も粗方終わり、砦にようやく静寂が訪れた。

 アーテの部屋、及び虫が散らばりまくっていた花畑はミランダ教の司祭を呼び清めてもらった。

 あの女の部屋からは妖しい香炉や薬も見つかったという。

 どちらも催淫効果のある妖しいブツだ――薬に至っては媚薬というより麻薬の一種らしい。

 俺に術が効かないからなのか何なのか……そういえば蜘蛛の中には交尾後にオスを食ってしまうメスがいるらしいが、そういうアレだろうか……怖すぎる。

 

「夕方頃には戻るから」

「身体の具合は大丈夫なんですの?」

「そうだね、健康そのものだよ」

「聖銀騎士の方の話だと相当強力な呪いだったそうですけれど、なんともないのは不思議ですわね。守護の装身具アクセサリーなどは本当にお持ちでないんですの?」

「持ってないなぁ……やっぱり真名を知られていなかったのが大きかったのかも。じゃあ、ちょっと行ってくるよ」

「ええ。行ってらっしゃいませ」

 

 

 ◇

 

 

「はぁ……」

 

 この10日ほど、気の休まる暇がなかった。


 ――そもそもことの始まりは、俺がグレンをヒースコートに行かせたことだった。

 人の話も聞かないで安請け合いして、苦手な場所だからと代わりに行ってもらった。

 そしてあいつがいない間に、立て続けに厄介が降り掛かったのだ。

 

 最初に来たレテ――はともかくとして、あのアーテとかいう女だ。グレン曰く呪いの呪文のような名前の女。

 本当にヤバい女だった。俺の判断が甘かった……さっさと追い出すべきだった。

 戻ってきたからいいものの、ルカがいなくなる……どころか、その前に人殺しになってしまうところだった。

 ベルナデッタはあんなのを招き入れたことに罪悪感を感じて気の毒なくらい縮こまってしまうし、レイチェルは無意味に蔑まれ、ビンタの応酬になってしまって泣き通し。

 あの女の魅了の術が成功していたら間違いなくこのパーティは崩壊していただろう。未遂とはいえ、グレンに申し訳が立たない。

 

 そして……実はアーテが連行されていった日からグレンと連絡が取れていない。

『地底湖の洞窟へ行く』と言ったまま、あいつから何の音沙汰もないのだ。

 頼信板テレグラムに何を書いても無反応。落として割ってしまったんだろうか、それだけならいいんだが……。


「はぁ……」


 判断ミスに、失敗の連続。またまたため息が出る。

 年下しかいない砦で年長者がヘコむわけにも行かないから街に出てきたけど、正直気が重い。

 昼間から酒煽るわけにもいかないし、飛竜シーザーで遠乗りする気分でもない。


(どうしようか……)

 

 

 ◇

 

 

「やあ、俺が来たよ」

「『俺が来たよ』じゃねぇよ」

「久しぶりだしさあ、ちょっともてなしてよ」

「ざけんな。オレは忙しいんだよ」

 

 そんなわけで兄の家に転がり込んだ。

 ほぼ指定席になっているソファーに寝転ぶ。

 寝心地がいい。グレンに給料いっぱいもらっていたから色々いいものを買い揃えているらしい。

 

「3週間ぶり15度めくらいだよな」

「3週間ぶりだけどもっと来てるわバカ。週2くらいで訪れやがってよ」

「忙しいって何してたのさ」

「勉強だよ」

「勉強かぁ……」

 

 俺に構うことなく、兄は俺に背を向け机に向かう。

 今ちょっとヘコんでるし、逆にその方がありがたい。

 それにしても……。

 

(よくやるなぁ……)

 

 思えば昔も、部屋に行けば兄はよく勉強をしていた。

 俺は一切勉強なんかしていなかったから親にはよく「お兄ちゃんくらいとは言わないけど、もうちょっとくらい勉強しなさい」と言われていた。

 スポーツ全般そこそこできるし、父に教えられて剣術も得意。

 勉強得意だからって威張ることもなく、勉強で分からないことはちゃんと教えてくれる……そんななので、正直モテまくっていた。

 あのまま時間を超えることなく思春期をこの兄と過ごしていたら、コンプレックス抱きまくってたんじゃないだろうかと思ってしまう。

 

「はぁ……」

「何だよ、辛気くせぇな。最近来なかったけど忙しかったのか?」

「ああ……実はかくかくしかじかで……」

「"かくかくしかじか"って口で言ってんじゃねえか。何だよ」

「実は……」

 

 ――ここ数日間の砦での出来事を話した。

 呪いに精通している兄は特に驚くことはなく、むしろ虫まみれの花畑の話に顔を青くしている。

 

「ゲェーッ、虫の死骸!? ヤベー、オレいなくて良かった~っ」


 そう言いながら兄はちょっと笑って肩をすくめ、震える動作をする。


「笑い事じゃないんだよなぁ。俺も呪われてたしさ」

「あー、それもヤベーな。……オレら呪いに縁があるよな?」

「……そんな縁いらないんだよなぁ……それに兄貴が前言ったように"光の塾"出てきちゃったし」

「マジで出たんだ。こえーな」

 

 ルカを連れ去ろうとした光の塾の司教、ロゴス。

 天使がどうのこうの、そして『"ロゴス"は真理』という言葉。

 ――ちょっと何言ってるか分からない。二度と出てこないでほしいが……。

 

「その光の塾の司教と呪いの女は関連あんのかなー?」

「え? なんで」

「どっちも古代語にあるから。"ロゴス"は真理。……で、"アーテ"は『破滅』とか『愚行』」


 兄が、自分でまとめたであろう古代語のノートを広げて見せてきた。


「……破滅、愚行」


 その記述によれば、他には妄想とか狂気という意味もあるようだ。


「……で、"デュスノミア"は『不法』『秩序の破壊』……"アーテ・デュスノミア"なんてありえねえ名前だぜ」

「ヤバい言葉2つがけの名前ってことか……グレンが呪いの呪文とか言うのもうなづけるな」

「てか、そんなヤツが呪ってきててオマエよく無事だったな」

「はは……」

 

 乾いた笑いが出る。

 もし名前を知られていたら、写真があの女の手に渡っていたら、あの女の言うようにあの女を主人として盲目的に護る役割をこなし、最終的に生命を取られていた。改めて怖い。


「……『悪い魔法使いに影を縫い付けられる』ところだったな……」

「え、なんか言ったか?」

「いや、別に。……ていうか、古代語まで勉強してるんだ」

「まあな。古代語っつーか、古代の魔法文化っつーか……まあ闇魔法だよな」

「へえ……」

「大昔は普通に使われてたらしいけど、その女術師みてえなヤツがいたから禁じられたんだってよ。あんま人体や心に影響しないヤツを分類して、使っていいって決めて……それが"影魔法"なんだと」

「へえ……」

「聞いてるか?」

「聞いてるよ……そういうのに興味持って調べるっていうのがすごいなぁ、って。兄貴は昔から勉強できたのにさ、今でもずっと勉強してるじゃないか。いい学校行ってるし」

 

 兄の綺麗な字でまとまったノートを見ながらそう言うと、兄は少し笑った。


「……そうすごくもねえよ。"逃げ"みたいなもんだし」

「……逃げ?」

「"代償行動"っていうんだよなぁ。満たされない何かの為に、別のことをして満たされた気になる。オレにとっての勉強ってそれに近いっつーか」

 

 自嘲的な笑み。……そんな顔は、昔はしなかった。

 俺がいなくなって以来、ふさぎがちになった兄。

 家では家族の会話はほとんどなくなっていたという。

 そんな家庭が苦痛になり、全寮制の高等学校――王立ロイエンタール高等学院へ進学した。東ロレーヌ地方でトップクラスの学校だ。

 兄は勉強は出来たが、そこへ行くほどに出来たわけじゃなかったと思う。それらの努力は全て、代償だったというのだろうか。

 

「……それでも並大抵の努力じゃできない、すごいことじゃないか。逃げだろうが代償がどうだろうが、もっと誇っていいはずだろ」

「はは、そりゃどーも」

「真面目に聞いてほしいなぁ……」

「聞いてるって。けど、オマエに褒められるのはなんかくすぐってえな」

「すごいことは褒めるよ、そりゃ」


 兄の肩に止まっている使い魔のウィルがパタパタと飛んで、俺の頭に着地した。ピヨピヨとのん気に鳴き声を上げている。

 

「……この鳥使った闇魔術の研究も、その代償行動の一つなの」

「分かんねえ」

「……え?」

「逃げとか代償行動っつっても、オレは知識を得ること自体は楽しいって思ってる。けどなんか……コイツを使った魔法の研究はオレが自分の意志でやってんのかよく分からなくなってきた。やめたいと思わないしやめられない。ただ、満たされねえ。ずっと追い立てられてる」

「……兄ちゃん……」

 

 自分のせいで俺をうしなったと思った兄は、闇の紋章の剣に取り憑かれ堕ちそうになった。

 その呪いは解けた。だけど数ある問題のうちの一つが解決したのに過ぎないんだ。一度くすぶってしまった闇は消えない。

 

 兄は昔から勉強をよくしていた。今と同じ光景だけど、意味合いはきっと違う。

 昔はきっと純粋に"学び"を楽しんでいたはずだ。

 けれど今――兄にとっての勉強は、逃げ。

 果たされない、満たされない何かの代わりにひたすらに知識を詰め込む、代償行動。

 明朗快活だった兄がそうなってしまったのは俺のせいだ。俺は、選択を間違え続けているんだろうか。


 ひたすらに何か書き続ける兄。

 机の上には兄が無心で書き上げたノートがうず高く積み上がっていた。

 

 

 ◇

 

 

「あれ? ベルナデッタは?」

「まだ帰って来ていない」

 

 夜、砦の食堂にて。

 ルカとフランツは夕食を食べているが、ベルナデッタの姿がない。

 

「どこか出かけたの?」

「ラーメンに使う鶏を買いに行ったわ」

「と、鶏」

 

 ……まあ何を買いに行っててもいいけど……。

 今は夜の20時。大人とはいえ、見目麗しい貴族令嬢だ。

 そんな彼女が街へ出て夜になっても帰ってこないというのは気になる。

 

「……俺、ちょっと捜してくるよ」

「うん。行ってらっしゃ~い」

 

 外套を身にまとい、俺は街へ繰り出した。

 ――もしや事件に巻き込まれているとか、誘拐されたりとかしていないだろうか。

 光の塾に兄のこと、グレンと連絡が途絶えたこと……ただの杞憂で終わればそれでいいんだが。

 不穏な出来事ばかりで、嫌な想像ばかりが頭をめぐる……。

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