憂鬱な帰郷―ベルナデッタ(後)
「おばあちゃま、みてみて! ベル、ケーキをやいたのよ!」
「あらあら、ありがとう。ぶどうを使ってくれたのね。嬉しいわ。……うん、とってもおいしい。ベルは天才パティシエね」
「ぱて、しえ……?」
「お菓子を作るコックさんよ」
「そうなの? うーん、ケーキ屋さんなの?」
「ふふ、そんなようなものねぇ。またおばあちゃまにお菓子を作ってね」
「うん!!」
お祖母様――父方の祖母はいつもあたしが焼いたぺっちゃんこのケーキや固いクッキーをおいしそうに食べてくれた。
領地で穫れるぶどうを使ったパイの作り方も教えてくれて一緒に作ったりしたっけ……。
◇
「それではわたくし、また旅に出ますわね」
2週間経ち、あたしはまたあの砦に戻る。短いようで無限くらいに感じられた。
……正直服役を終えた気分。
「もっとゆっくりしていけばいいのに、寂しいわ」と母がつぶやく。
寂しい……そうだろう。母の話を楽しく聞いてくれる者はいないから。母の愚痴と悪口の掃き溜め役なんて、誰もやりたくないだろう。
あたしだって表面上は親しくしているけど、正直好きでもない相手と結婚するよりもきつい。元気が吸い取られる。
――婚約者のデニス・オスヴァルト様との食事はつつがなく終わった。
金髪碧眼の、端正な顔立ちの男性。豊かな暮らしに慣れている、普通の貴族令息。
「料理などは使用人がするから貴女はやらなくていい」と気遣ってくれ、「野蛮な冒険者の元に貴女を置いておくなんて」と心配してくれる。
あたしの両親が魔法の資質がないから表には出さないけれど、言動の端々からそういう人達や平民、そして冒険者を見下していることが見て取れる。――魔術を使える貴族として全く一般的な価値観を持ち合わせた、普通の貴族令息。けれど本人は見下しているつもりなんてないのだろう。
目の前でラーメンを音立てて啜って見せれば卒倒して婚約破棄……なんてことにならないかしら。
――ああ、あたしまたこんなこと考えてる。
自分から何かするわけでなく、周りが勝手に変わってくれて状況がよくなることを望んでいる。
流されてばかり、主体性のない自分。……嫌になるわ。
◇
(戻るのは、明日でいいか……)
今日は土曜日。日付変わってるから、日曜日か。
今、この精神状態で好きな人と幸せ全開のレイチェルを見たくないわ……。明日夕方頃、あの子が帰った頃に戻ろう。
そう考えながらあたしは宿屋近くの川べりの公園のベンチに座り、ぶどうパイの箱を開けた。
実家で焼いてきた、お祖母様直伝のぶどうパイ。ここで半分くらいヤケ食いしてやるわ。
あらかじめ切り分けたパイを手に取り大口を開けると、目の前に鳥が飛んできた。
「ひゃっ!?」
目の前に飛んできた小鳥は紫色。ピチュピチュと鳴きながら、あたしの肩に止まった。
その後もピッピピッピ鳴いて首をかしげたりあちこちを見たり……。
(ウソ、ウソ……この子)
「ウィルー、どこだー!」
「!!」
聞き覚えのある声が、今肩にいるこの子の名前を呼ぶ。心臓の鼓動が一気に早くなる。
2週間前にも会った。その時もこう思った。
――会いたいけど、今は会いたくなかった――。
どうにか身を隠したいけれど、小鳥のウィルがピピピピと鳴いて主人に居場所を知らせる。
(ひー! 忠実!)
「あっ、こんなとこに! 何なんだよオマエ、オレの言うことなんでも聞くんじゃねぇのか――って、あれ?」
当たり前だけど逃げる間もなく、あっさり見つかってしまった。
あたしを見たジャミル君は目を見開いて驚いた顔をしている。
闇の剣から開放されて以来彼はメガネをかけ始めたけど、今はかけていない。そういえば、夜はよく見えるようになったと言っていたっけ。
「あ、う……ごきげんよう……ホホホ」
「おう……実家に帰ったんじゃねえの?」
「ええ、2週間ほどね。今日戻ってきたの」
「ふーん……」
「ジャミル君は、今仕事終わり?」
「ああ……アンタは? なんでこんな時間にこんなとこで菓子食ってんの? さすがに危なくね?」
「そ、そうね……あの、ちょっと疲れたから、ヤケ食いしたくて。おひとついかが?」
「ん? じゃあもらうけど。てかヤケ食いって……なんで疲れたんだ? 実家行ってたんだろ?」
「あ……」
ぶどうパイを手にとった彼が、至極当たり前の質問をしてくる。
そうよね。普通実家といえば羽根を休める所だわ。貴族でも平民でもきっと同じ……疲れる理由なんて説明しても、理解されない。
あたしが言葉に詰まりそうになっていると、ずっと肩に止まっていたウィルがピチチチと鳴いてぶどうパイをつつく。
「あっ! オマエやめろ――」
「……いいのよ。ふふ、おいしい?」
あたしの質問にウィルはピピッと鳴いて首をキョロキョロさせながらぶどうパイをさらにつついた。その様子を見てあたしはあることを思い出す。
「ふふ、かわいい。……あのね、あたしも昔小鳥を飼っていたのよ。ピッピっていう名前の白いカナリアで……あたしが8歳の時にお祖母様がくれたの」
「へえ……」
彼はあたしの隣に少し離れて座り、ぶどうのパイを食べている。
「それでね、ある日その子が病気になっちゃって。どんどん弱っていくのね。……それで、手の上にその子乗せて『死んじゃ嫌だ』って泣いてたら、急に手首に巻いてたブレスレットが光りだして……なんと病気が治っちゃったの」
「回復魔法か」
「うん。それで……ピッピは元気になって、それは嬉しかったんだけど。それ以来周りの人達がみんな変わっちゃったの。友達には嫌われるし、母は権力に取り付かれるし、父はそんな母にうんざりして屋敷にほとんど帰ってこなくなるし……」
「…………」
彼は黙ってしまう。
ああ、やっちゃった。お気楽極楽キャラだったのに、こんな重たい話題。しかも親の悪口……よりにもよって、好きな人に。
――ダメね。もし彼がまだあたしに気があったとしても、これで完全に冷めちゃったわ。
「ご、ごめんなさい。親の悪口なんて言うもんじゃないわよね」
「いや、オレは何も言えねーよ。……オレも親には『そりゃ闇の剣に取り憑かれるわ』みてえなどす黒い気持ち色々抱えてたことあるし」
「そう、なの……」
そういえば以前、カイルさんが言っていた。
弟さんであるカイルさんがいなくなってから、ご両親はいなくなった彼に配慮してなのかジャミル君を褒めることがなくなって、家では会話もほとんどなくなっていたって。
「オレの親って善人なんだけどそれでもやっぱ……ま、それはいっか。……オレはアンタのその力で助かってたわけだけど。アンタは嫌いってことなんだな」
「え? ……そうね。好きでは、ないわ……」
「望んでねー力か。オレの友達もおんなじようなことがあった。それって呪いみてえなもんだよな」
「の、呪い……あたしは別にそこまでは……」
「ソイツは紋章出てきたせいで将来の夢とか諦めないといけなくなっちまってさ。なんでなんだよってオレは勝手にソイツの代わりに悔しがってた」
「夢かぁ……。あたしもこの力のせいで諦めたってわけじゃないけど、あったわね……子供の時の話だけど」
「へえ……なんかなりたかった?」
「うん。パティシ――」
「パティシエ?」
「ううん……」
最初なりたかったのはパティシエじゃなくて、もっともっと、単純な――。
「け、ケーキ屋さん、に……なりたかったの」
「ケーキ屋?」
「そう。あたしが作ったケーキで両親もお祖母様も喜んでくれるから、それならケーキ屋さんになればもっとみんな喜んでくれるって……思ったの」
子供の時のほんのささやかな夢。
小さいあたしが作ったケーキはぺっちゃんこで、きっと粉っぽくて、おいしくなかった。
だけどそれでみんながニコニコと喜んでくれた。
癒やしの力は神の奇跡の力。
だけどその力は父母の本性を炙り出し、友達も離れていった。誰も、喜んでなんかくれない。誰の心も、満たさない。
神に仕えるものだからそんな風に考えちゃいけない。でもさっき彼が言った通り――これは呪いだ。
ああダメだ、泣きそうになっちゃう。どうしてこんな話を彼にしているんだろう。暗い話したうえに泣き顔まで見られたくない。……逃げたい。
「ごめんなさい、あたし帰るわ。ちょっと寒くなってきちゃったし……」
「え、ああ――」
パイの入った箱をパパッと閉めて立ち上がると、小鳥のウィルがあたしの周りをピィピィ鳴きながら飛び回る。
「ウィルやめろ、戻れって……」
「うふふ、別れを惜しんでくれてるの? でも、あたし帰らなくちゃ」
そう言うとウィルは「ピィ……」と残念そうに? 返事をして、主人であるジャミル君の肩に飛んで戻った。
そして肩に戻ったウィルを、彼が指でなでて少し笑う。そのなにげない仕草に、どうしようもなく胸が高鳴る。
「そのパイうまかった、ごちそーさん」
「それはよかった。でもぶどう酸っぱかったでしょ?」
「ん? ああ、そうだな。けどパイが甘いから、ああいう酸味のあるぶどうの方が合うんじゃね? お互い引き立てあってていいと思うけど」
「え……」
そのぶどうは、サンチェス伯爵領で穫れたぶどう。
お祖母様が、その酸味をうまく中和できるよう創意工夫を重ねて考えた、あたしが大好きだった……でも母が小馬鹿にする、あのぶどうのパイ。
それを褒めてくれる、認めてくれるんだ――。
「ふふ、ありがと。さすが食の神、分かってらっしゃる……。それじゃあたし、これで。ごきげんよう」
「……ああ」
精一杯おどけてみせて、あたしは笑顔を維持したまま彼の前から立ち去った。
◇
最近、レイチェルから図書館の館長夫妻の駆け落ち話を聞いた。それで分かったことがあるの。
決められたことに従うだけの人生。
――あたし、彼に「決めて」欲しいんだ。
引き止められたいの。「行くな」って言われたいの。
彼に「何もかも捨てて自分と逃げよう」なんて言われたいの。
「駆け落ちをするから」「はい分かりました」って、彼が決めたことに従いたいの。
あたしが何かをしたいんじゃない。彼に、あたしをどうにかしてほしいの。
好きなのに、彼に打ち明けて飛び込むこともできない。
――そんなの、好きだなんて言わないわ……。
「お祖母様、ピッピ……あたし、どうしたらいいの……」
宿屋のベッドに座って、そう
お祖母様は10年前に亡くなった。ピッピは自分の不注意から、外へと飛び去っていってしまった。
どちらも、もういない。
そのうちここに彼も混ぜるようになるのかしら? そして何年後かに子供や夫に愚痴るようになるのかしら……母のように。
「そんなの、嫌……」
涙がこぼれる。でも、苦しいのに自分で打破しようという気持ちは湧かない。
誰かに――彼になんとかしてもらいたい。
こんな気持ちを抱えて、砦に帰った時どうやって笑顔で取り繕おう?
そんなことばかり、考えている――。
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