◆エピソード―アルノー:暗くて、苦い(前)

 黒い風が吹いている。雑音が、聞こえる――。

 

 夏の終り、魔術学院の自習室。

 魔術学院に来て4ヶ月経ったけど僕はろくに魔法が使えるようにならなかった。

 みんな「努力が足りない」「紋章があるからって練習をさぼっている」なんて口々に言う。

 でもいくら意識を集中しても、風の刃ひとつ生み出すことができない。出せるのは、少し冷たいそよ風程度。

「暑いからちょうどいい。空調くん、ちょっと風出してよ」とバカにしてくる者もいた。

 

「ほとんど無能力者、しかも平民のくせに白服着るなんて」

 白服は特待生、優秀な生徒が通う「特等学科」の証。魔術学院でも一握りのエリートだけが着ることを許される。

 白地に金の刺繍の、貴族のようにきらびやかな制服は能力にも身分にもまるで釣り合っていない。

 

 先生は一向に魔力が上昇せず基本的な魔法すら使えない僕にため息をつくばかり。

「分からないなら聞いてくださいね」「分からないことをそのままにしないで」「何故聞かないんだ」「前も教えたよね?」


「すみません……」


 ――毎日毎日、何かしら謝り通しだ。

 

「何を謝っているの?」

「謝れば済むと思ってるの?」

「いちいち謝らないで。腹が立つ」

 

「みんなそんないじめてやるなよー。空調くんは風だけ出してくれりゃいいんだからさー」


 自称ムードメーカーの生徒がそう言うと、他の生徒が「言い過ぎ」と言ってクスクス笑う。

 

 ――ある日、僕は魔法が使えなくなった。


「え――!? 空調くん魔法使えない? これからが夏本番なのに何やってんのー!」


 空調くんと呼んでくるこの生徒は、僕を除けばクラスでの魔力は最下位。

 他の生徒によれば「成金の子爵が金で特級学科にねじ込んだ」らしいが、真相は知らない。貴族という割に言葉遣いや所作が汚い。

 さらに他の生徒も「地方貴族」「火しか使えないくせに偉そうに」「舞踏会で似合わないゴテゴテのドレスを着ている貧相な令嬢」などと、それぞれ本人がいない時に悪口を言い合う。

 汚く口を歪め、目を吊り上げながら嘲笑しあう生徒達。

 顔の周りに何か虫が飛んでいる者もいる。鬱陶うっとうしくないんだろうか。

 あそこの彼は腕の周りに蛇のような形状の黒い風が巻き付いている。


 なんだろうか。みんなどこかしら気持ち悪い。心臓を硬い刷毛はけでザラザラ撫でつけられているような不快感……何故、みんな平気なんだろう。

 

 ――疲れたな。左手のこんな紋章ものがなければ、僕はロイエンタール学院に通って自由に橋の絵を描いていたはずなんだ。

 もう嫌だ。こんな奴らと同じ空間にいるのが耐えられない。


 親や先生に相談してみても、


「まだ4ヶ月だろう。もうちょっとがんばりなさい」

「『女神の祝福』を授かれる者は千人に一人と言われているんだ。これは天啓だ、魔術を覚えないなんてもったいない」

「できないからといって逃げては何にもならないよ」

「少し言葉がきつすぎたかもしれないが、君に期待しているからこそなんだ。先生も頑張るから君も頑張ってくれ」


 判で押したようにそれしか言わない。

 期待しているなんて嘘だ。紋章使いを指導・育成したとあれば先生の評価が上がるからそう言っているだけなんだ。

 

 この特等学科ではもちろんのこと、他のクラスの人達は高慢で居丈高な「白服」の人間を嫌っているため、誰も僕とは口を聞いてくれない。

 誰でもいい。誰か話を聞いてほしい。頭がおかしくなりそうだ。

 

 一人、ずっと手紙のやりとりをしている相手がいた。

 前の学校でルームメイトだった友達だ。

「手紙を出す」と言ってくれた通り、月に1回か2回は手紙をよこしてくれていた。

 内容は、前の学校での何気ない日常とか。

 僕は魔術学院で覚えたことを最初書いていたが、ここ最近は何を書いていいものか分からず、毎回言葉を探していた。

 彼とは仲が良かったけれど、悩み事や深い話をするような間柄ではない。

 それなのに急にこっちの学校が辛いだなんだと書いてよこしたら、引かれないだろうか。返事が返ってこなかったらどうしよう。

 それでも僕はどうしても耐えきれず、最近の心情を吐露した手紙を書き始めた。……返事が来る頻度が減ってしまった。やっぱり書くべきじゃなかっただろうか。

 そう思うのに返事が来ると僕は安心して、また心の中のヘドロのような感情を手紙にしたためた。

 腕ごと紋章を捨ててやりたい、みんなバカにしている、黒い風が渦巻いている、辛い、死にたい……。

 

 友達を汚い感情のはけ口に利用してしまっている罪悪感。

 同時に、楽しく学園生活を送っているであろう彼がとても妬ましかった。


 ――君は楽しいんだろう? だからこれくらいの感情ぶつけられたって他の楽しいことで帳消しにできるだろう?

 

 そんな風にすら考えてしまっていた。なんて醜いんだろうか……友達なのに。

 

 数日後、返事が返ってきた。今までで、一番早い気がした。

 何が書いてあるんだろう、怖い。「気持ち悪い」とか書いてあったらどうしよう。

 恐る恐る、手紙の封を切る。

 

『お前の腕はちぎって捨てるためのもんじゃない。橋の絵と図面を書けるすごい手だろ。オレはお前の書いた橋が形になるのを見たい、いつか一緒に渡りたい。だから死にたいなんて言わないで生きててくれよ。死にたいくらいなら、学校やめろよ。そこは牢屋じゃないだろ、出たって誰もお前を捕まえないだろ。死ぬ気が起こらないとこに逃げろよ。どこでもいいから』

 

「……ジャミル……っ」

 

 辛い、辛い。

 嫌なものを見せる、夢を邪魔するこんな紋章もの、腕ごと捨てたい。死んでしまいたい。

 ちがう僕は死にたくない。腕だって切りたくなんかない。

 そうだよ、僕は橋の設計士になりたかったんだ。だけど誰もそれをさせてくれない。

 どうやったって魔法の才能がないのに先生も親も『逃げるな』ばかり言うんだ。

『眼の前の障害から逃げるな立ち向かえ』『頑張れ』――。

 でも彼は『逃げろ』って。彼だけが逃げていいと言ってくれた。

 もう嫌だ、僕はこんなことやりたくない。魔法なんてどうでもいいんだ。

 

 次の月、本格的に学校を辞めたい旨を親と教師に伝えたが返答はやはり芳しくないものだった。

 とにかく落ち着け、と話し合いの場が持たれた。

 話し"合い" とは名ばかりの、僕を説き伏せ言うことを聞かせるためのものだ。


「とりあえず休学ということにして落ち着きなさい」

「せっかくの魔術学院をやめるだなんて」


 また同じ台詞。堂々巡りだ。

 休学してどうする? せっかくの魔術学院ってなんだ? ここで得るものは何もない。

 親は勝ち馬に乗れるチャンスを逃したくない。教師は自分の拾ったものがダイヤの原石でなく石ころだという事実を認めたくない。

 毒のような真意を聞こえのいい言葉で包んで食わせて、僕を宥めようとしている。


 ――どれだけ僕という人間を馬鹿にして踏みにじれば気が済むんだ。

 

 親はしまいに、教師の前だというのに言い合いを始めた。

 父はお前の育て方がどうのこうの、母は僕に「お父さんに早く謝って」と喚き散らす。

「もういい加減にしてくれ」と叫んだ次の瞬間、僕の周りのカーテンや家具がズタズタになった。


 ――風の紋章が暴発したんだ。


 呪文書をポンと渡されただけで、コントロールの仕方をろくに教わっていない僕はどうやっても自分で魔力を制御できない。

 魔法は肥大化し、風は僕の魔力が尽きて気絶するまで巻き起こり続けた。

 後日僕は、親と教師に怪我を負わせ校舎も一部破壊してしたため闇堕ちしかけの危険人物と見なされ、強制的にそういう人間が入る保養所に入れられた。

 結果的に学校を辞めることができた。

 ただ、指導力が足りない事を認めたくない学校側は僕を退学処分とせず休学扱いにした。

 卒業の年まで籍を置き、形だけでも卒業させることにするらしい。

 そうまでして紋章使いを卒業させることに一体何の価値があるんだろう。

 

 一度、特等学科の人間が全員で見舞いに来て謝罪してきた。

 暴走した際の僕の魔法は凄まじかったので、仕返しを恐れてだろう。

「空調くん」の彼も「アルノー君今までごめんね」と謝ってきたので

「『空調くん』でいいんだよ」と言うと気の毒なくらいに震え上がっていた。

 暴走したその時だけで、僕はやっぱり弱い魔法しか使えないのに何を怖がっているんだろう。

 面白くなってしまって大笑いしたら、みんな悲鳴を上げながら逃げていった。

 親は「頭がおかしい人間のこんな施設に入るなんて恥を知れ」「親に大怪我を負わせるなんて」「恩知らず」「金食い虫」などひとしきり叫んで縁を切られた。

 

 何もなくなってしまった。――元から、いらないものだったけれど。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る