18話 兄ちゃん(前)

「ジャミル、ジャミル! しっかりして!!」


 フランツの泣きそうな声。

 真っ青な顔で倒れ込んだジャミル、その傍らでは、あの剣が紫のオーラを放ってジャミルを包んでいる。

 ベルが杖を両手に持ち魔法をかけているけど、顔色はいっこうに良くならない。

 水浸しの厨房を掃除していたのか、周囲にはバケツやモップが乱雑に散らかっている。

 

(どうしよう……どうなっちゃうの? ……あれ? カイルは!?)

 わたしとルカと、あとグレンさんは一緒に来たみたいだけど、カイルの姿はない……。

 部外者認定されて置いてきてしまったんだろうか?

 

「ル、ルカ! あの……カイルは!?」

「いる。この砦の、どこかに」

「どこかって? どこ!?」

「あの人に……ふさわしい場所に」

 そう言ってルカが少し邪悪に笑う。

「ふ、ふさわしい場所??」

 

(どういうことー!? 今大変なのにー!)

 

 だけどすぐに厨房の裏口の扉が開いて、カイルが入ってきた。

 ……何故か少し土がついているけど気にしている場合じゃない。

 

「カイル! いたのね!?」

「ああ……一応。…………」


 彼の目線の先には頭を抱えてうずくまり呻くジャミルがいる。

 また剣が幻か何かを見せているんだろうか。

 カイルはそのままツカツカとジャミルの所に歩み寄り、無表情で横たわっているジャミルを見下ろす。


「君……大丈夫?」

「へっ、あたし……? あたしは別に、それより」

「少し兄と話があるんだけど、いいかな」

「……いいですけど、あの、あまり刺激しないよう――」

「それはちょっと約束できないな、そもそも俺自体が刺激だし……まあちょっと離れていてくれないか」

「う……分かりました。フランツもこっちへ」

「う、うん」

 

 ベルとフランツがパタパタとこっちへ駆けてくる。


「……何があった?」

「……掃除している途中に、急に苦しみだしまして」

「おれ、おれがいけないのかな? おれつい間違って『ジャミル兄ちゃん』って呼んじゃって……呼ばないでって言われてたのに、それで」

「大丈夫だよフランツ、そんなの関係ないよ」


 ……そうは言いつつも、それがスイッチになってしまった可能性は捨てきれない。

 

「隊長、大丈夫でしょうか? あの人とジャミル君を接触させちゃって。火に油を注ぐようなことには――」

「火に油か。――油で済めばいいけどな」

「そ、そんなー」


 ベルがお祈りのポーズで半泣きになる。


「まあ何かあればあいつに責任を取らせよう」

「責任……」


 あの「介錯同意書」のことだろう。

 ああ、嫌な予感がする。嫌な予感しかしない。でもなるようにしかならない。

 

「あとルカとフランツは訓練場あたり――物音が聞こえない所にいろ」

「なぜ?」

「今からろくでもないことが起こるだろうから、避難していろ」

「そうなったら、わたしがお水を」

「ダメ。早くどこかへ行ってろ」

「……フランツ。こっちへ」


 少し膨れながらルカはフランツを連れてピシュンと消えていった。

 

 わたし達は食堂から兄弟の様子をうかがう。

 カイルは腰に手を当てて、声をかけるでもなくジャミルを見下ろしている。

 そして程なく、その傍らにある闇の剣を思い切り蹴り飛ばした。

 剣はねずみ花火のようにくるくると円を描きながら、食堂にいるわたし達の足元へ滑り込んできた。

 

「ひぃーっ!」


 ベルが足をどたばたさせながらわたしに抱きついてくる。


「なななななんでこっちに蹴り飛ばすのよっ! 信じらんないっ 信じらんないっ」

「ベ、ベ、ベル、落ち着いて……」

「たたたた隊長! 早くそれ、どっかやってください! もーやだ! 神聖なキッチンおよび食堂に! 不潔!」

「そんな、虫じゃないんだから……」


 わたしがそう言うとグレンさんはプッと吹き出しながら、剣を蹴り飛ばした。剣はまたくるくる回りながら剣は食堂の隅へ……。

 

「――大丈夫か? あれ、闇の紋章の剣だろ。厄介なの拾っちゃったな」 

 

 その様子を見てか見ないでか、カイルはジャミルに声をかけている。

『大丈夫か』と言いながらも、彼の言葉からはまるで気遣いは感じられない。むしろ、バカにするような……。

(カ、カイル……何を、言う気……)

 

「カイル……? お、前……」

「苦しい? しんどい? 辛い? ふふ……大変だね?」

「……何しに、来やがった……」


 ジャミルは呻きながら、なぜか笑顔で見下してくる弟を睨む。

 カイルはそれを見て、一際にこっと笑った。


「――何やってんだよ、兄ちゃん。だせえな」

 

 

「……え、カ、カイル! ウソ……」

「え? え!? 刺激しないでって言ったじゃないー」

「……最悪だ」

 

 あまりにあまりの発言に、わたし達は二人に聞こえないようにコソコソ小声で思い思いにつぶやく。

 

「なんだと、てめえ……」

「――俺に申し訳ないって気持ちに目をつけられて剣に取り憑かれたって? やめてくれよ……まるで俺が苦しめてるみたいじゃないか」


 カイルはしゃがみこんで、うずくまるジャミルを目が笑っていないニコニコ笑顔で見下ろすとまた口を開いた。

 

「『なんであの時置いて行ったんだよ。ひでーよ兄ちゃん』」

「…………!!」

「……なんてね。あ――あ、ちょっとスッキリした。ハハッ」


 眉尻と口角を上げた歪んだ笑顔でカイルがそう言うと、ジャミルがガバっと起き上がって、カイルの胸ぐらを掴んだ。

 

「なんだよ……申し訳ないんじゃなかったの? 謝れよ、おい」


 胸ぐらを掴まれたカイルの顔からは笑みが消え、蔑む目線でジャミルを見る。


「……ああ、悪かった、悪かったよオレが悪かった、……そんなについて来たかったかよ、ガキが!」

 

 ジャミルがカイルの頬を思い切り殴りつけた。カイルは厨房から食堂のテーブルまで殴り飛ばされ、テーブルとイスがなぎ倒される。

 

「きゃあっ……!」

「ジャミル! やめてっ……」

 

「ははは……」


 カイルが乾いた笑いと共に鼻血を拭いながらゆらりと立ち上がると、食堂に出てきたジャミルに向かっていき胸ぐらをまた掴む。


「勘違いするな……そんなのどうでもいい。ただ、納得がいかないだけだよ! クソが!」


 言い終わるより前に、今度はカイルがジャミルを殴り倒す。別の場所に配置してあるテーブルとイスが、けたたましい音とともにひっくり返る。


「納得って何だ、テメェ……」

 

「あの日から俺は――時間も国も違う場所で、戻る手立てがないから仕方なく拾われた貴族の屋敷で小間使いをやって、仕事なんかしたことないから怒られ通し――衣食住は保障されてるけど、国も時代も違うから生活習慣も食習慣も合わない、その上『身元の分からない平民の子供』だなんだって蔑まれて……今日寝たら明日は戻ってるんじゃないか、その次の日こそ目が覚めたら全部夢で、起きたら家じゃないかって……でも毎日毎日夢から覚めない。どこまでもどこまでも現実、その繰り返しだ! ――お前はどうなんだよ? 普通に両親と家で暮らして、母ちゃんの作ったメシ食って父ちゃんに剣習って、みんなに気遣われて守られながら生きてたんだろ?『自分のせいで弟死んだかも』って後ろめたかっただと? それが何だよ! お前があの剣持ってるくらいじゃないと俺の気が晴れないんだよっ!!」

 

(カイル……!)


 前カイルは「ジャミルを憎んでいないと自分を保っていられなかった」って言っていた。

 彼の言う『釣り合い』はこういうことなんだ。

 どっちがより辛いかなんて、そんな言葉、間違ってる。

 でも彼の叫びはあまりに辛い。

 ――涙が出てくる。

 

 カイルはテーブルと共に倒れ込んでいるジャミルの襟首を両手でつかみ間近まで顔を引き寄せてジャミルを揺さぶる。


「真名を知られたらいけないからって『クライブ・ディクソン』って偽の名前で生きていかないといけない、俺の名前はカイルなのに『クライブ、クライブ』って……。一体今誰が呼ばれてるんだろう? そもそも俺は時間なんか超えてなくて、アタマ打って『カイル』とかいうどっかの子供の記憶を作り出してるおかしい人間なんじゃないか って思うようにすらなって……お前、自分の存在が、記憶が揺らいだことあんのかよ!? お前がお前だって誰もが知ってる人間ばかりの中で、正しい時間の流れで生きてこられたんだろ!? ふざけやがって!!」

 

 ――それは12歳で違う時代に置き去りにされた彼の心からの叫びだった。


 その場が水を打ったように静まり返る。

 グレンさんもベルも、それぞれ思う所があるのか二人を止めることなく見ていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る