17話 分からず屋のカイル(後)
「介錯同意書……? 何、それ……?」
全く耳慣れない単語。わたしは思わずカイルの手にしているそれを覗き込む。
『私は赤眼になった以下の者をこの世ならざる者と認め、以後の処遇を国に一任します』という一文。
そして空欄の署名欄が2つ――1つ、真ん中の空欄はジャミルの名前が書かれるんだろう。そしてもう一つ、右下には『家族・関係者署名欄』とある。
『以後の処遇』というのは出かける前に聞いた。
牢屋行き、はたまた賞金首――この紙切れ一枚でそれが認められる。そして、こんなものを家族が書かなければいけない――。
「そんなにジャミルが憎いならこれに署名してそのあとお前が始末をつけろ。あと数ヶ月、数日――明日か今日かもしれない。合法的に殺してもよくなるぞ。良かったな? おい」
「……!」
カイルが書類をグシャリと握りしめグレンさんを睨む。
「お前がこれを書かないなら別にいい。その時はこいつをジャミルの両親に届けて署名させろ。『大事な一人息子さんを殺してもいいっていう同意書です、サインお願いします』ってな!」
強めの口調でグレンさんが言うと、また地面から細くて鋭利な火の槍が飛び出す。
「――誰に何をやらせてるんだ、お前? ……これにサインしてもしなくても、お前は二度と『カイル・レッドフォード』という名前を名乗るな。偽物の名前でずっと生きろ……嘘つき野郎が」
そこまで言うとグレンさんは手のひらをぐっと握ると、地面から突き出して出口を塞いでいた火の槍が消えていった。そしてそのまま踵を返し路地に出ようとする。
「行こう、レイチェル。俺の用事は済んだ」
「え、でもまだ話は――」
「もう、どうでもいいだろう。どうする気もないらしいからな。起こることを受け入れるしかない」
「……そ、そんな……」
冷たくそう言った彼の顔には表情はない。
――グレンさんの言葉は、いつもなんだかドライだ。
けれど今彼の口から出た『もうどうでもいい』という言葉こそ、本当に何の感情もこもっていないもののような気がした。
さっきまで突き出ていた火の槍が消えたのと同じように、きっと何の『色』も持っていない。
彼の中で、何かが決定づけられてしまったんだろうか。
――このままじゃいけない。このまま帰ってしまったら、ただ言い合いしただけになっちゃう。
「カイル……本当にこれでいいの? ジャミルが魔物扱いされて、殺されちゃってもいいの? カイルが思ってること、今ならまだ届くかもしれないんだよ? 『赤眼』とかいうのになったらもう、何も話せなくなっちゃうかもしれないのに」
「さっきも言ったけど、俺が話した所で症状が進行するだけじゃないか? そうなったら」
「そ、そうなったら、それはカイルのせいだよ!」
「――レイチェル?」
「わたしはジャミルもカイルも会うのは5年ぶりで――カイルはもっと長いかもしれないけど、その間溜め込んでた2人の苦しい気持ちなんて分かんないよ。あの時、みんな確かに『ジャミルのせいじゃない』って言って誰も責めなかったよ。でもジャミルだけは自分のせいだって今でも自分を責めてて、それをあの剣がさらに煽って苦しめてるの。もし……カイルと話すことでジャミルが駄目になったら、直接的には剣のせいだとしてもカイルはそれを『自分のせいだ』と思って背負ってよ。そしたら……それで、釣り合いが取れるでしょ」
さっきの彼の物言いを借りたとはいえ、嫌な言い方をしてしまった。だけど奥歯に物の挟まった言い方だとまた堂々巡りしてしまう。
嫌な言い方ついでに、今さっき思ったことをぶつけてしまおう。
「カイル、さっきから『ジャミルジャミルってうるさい』『兄貴は守られてる』とかって何なの? ……『お兄ちゃんばっかりずるい』って思ってる? 『お兄ちゃんばっかりえこひいきされてる』って、そう思ってるの!?」
「何を――」
さっきとは逆に、わたしはカイルの反応なんか見ない、聞かない。
「そうだったら、そんなの尚更ジャミルにぶつけてよ! わたしもグレンさんもそんなの知らないんだから! バカ! カイルのバカ!」
わたしは行き場のない苛立ちをぶつけるようにカイルの足を思い切り踏みつけた……一応、古傷のない方の足を。
「痛っ! え、ちょ、いた、痛い……」
「もうやだやだ、そんな大きくて大人なくせに、子供みたいなことばっか! カイルのバカ! 分からず屋! へっぽこ!」
「へ……」
少し後ろで「プッ」と吹き出す声が聞こえた。グレンさんだ。
カイルは「鳩が豆鉄砲を食らったような顔」というのを体現するかのような顔をしている。
それはそうだろう。この場面で「へっぽこ」なんて、それはない……。
わたしはわたしで口をついて出た言葉といえ、語彙力のなさすぎるセリフに全身熱くなるほど恥ずかしくなってしまう。きっと顔も、すごく赤くなってる。
――確かに目の前にいる彼は大人だ。でもさっきから言ってることはまるで小さい子供だった。
昔から兄弟でどっちかが得意げにしていると、もう片方はふてくされる。
「なんだよ、チョーシ乗んなよな」って。
こんな非常時なのに、彼はそれをやってるんだ。大人なのに。
大人だけど、彼は今「置いていかれた上にお兄ちゃんばかり優遇されて駄々をこねてる末っ子のカイル」なんだ。
「ジャミルの年追い越しちゃったけど、カイルはジャミルの『弟』だよ。このままだと、兄弟喧嘩もできなくなっちゃうよ……!」
「兄弟喧嘩、って……」
「ちがう?」
「……」
当たらずとも遠からずだったのか、カイルは胸の辺りの服を掴みながら目をそらす。やがて、首を振りながら盛大にため息を吐いた。
「……わかったよ、レイチェル。でもどうなっても――」
と、カイルが何か言いかけたところで、「ピシュン」という音がした。
「――っ!?」
「あっ、ルカ!?」
瞬間移動で急に目の前に現れたルカにカイルは息を呑む。
取り込み中の取り込み中だから、驚くのも無理はない。
「……グレン」
「え? ああ……どうした」
いつもと違う呼び方に、グレンさんは少し驚いた顔をした。
「ジャミルが、大変なことに。来て」
「えっ!?」
そう言うとルカは瞳を閉じて念じる。
わたし達が事情を聞くよりも先に、目の前の景色が透けていく……そして、次の瞬間にはすでに砦の厨房だった。
相変わらずすごい、と思ったけど、それどころじゃなかった。
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