9話 うっかり貴族令嬢(前)

「ふぁーあ」


 あくびを1つ。

 わたくしことベルナデッタ・サンチェスは、ラーメンとスイーツの材料を仕入れにポルト市街を一人でてくてくと歩いていた。


 今日は土曜日。隊長とルカは何かの配達。レイチェルは砦で食事の準備。

 ジャミル君は先週よりは調子いいけどやっぱり本調子じゃないってことで砦で休んでいる。

 ちなみに昨日カニを食い尽くしたことがバレて、カニを買ってこいと厳命されている。

 カニ味噌を食べたことが特に許せないらしく、ルカと火花を散らしていた。

 カニ味噌で闇堕ち――シャレにならない。

 ともかく、あの剣は闇の紋章の剣。闇堕ちとまではいかなくても、魔術的なものに携わるものが何かしらイライラムカムカしていたら美味しいもの食べて寝るのが一番よ。

 

 魔法は心の力。回復魔法も例に漏れず……。

 怪我した人の感情が少し伝わってくるの。さすがに心までは読めやしないけど。

 それで、あまりに心の傷を負った人なんかを癒やすとこちらも少しダメージを負ってしまう。要するに精神の疲弊がすごい。

 そんなわけで、回復魔法というのは一日に何度も使える代物じゃない。

 

 あの兄弟――ジャミルとカイルの感情も少しだけ分かった。

 兄はとにかく後悔と自責の念、弟は――。


(ジャミル君の弟――弟だけど年上ってややこしいわね。クライブさんと呼ばれてたけどカイルという名前で、だけど年上だからカイルさんって呼ばなきゃダメよね。って、もう会わないからいいのか)


 まあとにかく、あのカイルという人の兄に向けたあの目をあたしはよく知ってる。

 あれは、昔あたしが友達から向けられた目。

 彼の心には兄への憎しみと羨望と嫉妬心が渦巻いている。


「…………」


(分かった所で、どうしようもないんだけどね)


 お気楽極楽、ハッピハッピーがあたしの信条。回復魔法を使う時はとにかく無になるの。

 だってまともに考えたらこっちが精神崩壊しちゃうもの。

 相手の感情に肩入れしすぎて、ろくでもない相手を好きになっちゃって破滅、とか回復術師にはよくある話よ。

 あくまでも仕事。そう割り切らなきゃ。

 

「はあーぁ、ラーメンでも食べて帰ろーっと」


 お気楽極楽のベル様は美味しいもの食べればとにかくハッピハッピー。

 そんなわけで、たまたまあったラーメン屋の扉を開ける。


「いらっしゃーい!」


(いい匂い……ここは煮干しベースのスープかしら……)

「ごめんねお客さん、ちょっと今いっぱいで。カウンターでもいいかな?」

「ええ、かまいません」


 店主の促すとおりにあたしは1つ空いているカウンター席へ。

 

 ……ところであたしには昔から悩みがある。

 それは、とにかく間が悪いこと。

 友達が薬学校に合格した頃に回復魔法に目覚めるなんてその最たるもの。

 あとは今回みたいになんか兄弟の気まずい場面に出会ったり。

 なんで今なの!? ってことが多々……。

 

「あれ……?」

「え……!」

「……やあ、こんにちは」

「え、ええっと……あの、ごきげんよう……ほほほ」

 

 1つだけ空いているカウンター席。

 その隣にはあの、ジャミル君の弟のカイル君……さん? が座っていた。

(どうして、なんでここで今出くわすのよ――っ!)


 ぴえん。なんであたしはこう、嫌なタイミングで会いたくない人に会ったりするのかしら! 

 ……でもでも、あたしは別に何の感情も抱かれていないハズよ。ここは適当な話題でお茶を濁しましょう……。


「あの、脚の具合はあれからいかがです?」

「ああ、お陰様で。君はなかなか優れた術師なんだな」

「えっ? そうかしら? あたしはできることをやってるだけですから。ほほほ……あ、チャーシュー麺ひとつ」

「……でも変わってるな。君は貴族だろう? 俺が知っている限り、ラーメン屋に出入りする貴族令嬢は見たことがないけど」

「むむむ……皆さんそうおっしゃいますけど、貴族がラーメンを食べちゃ駄目かしら?」

「いや、別に好きにすればいいけど。……君は随分自由なんだな」

「自由……」


 思わず彼の言うことを反芻する。自由……。


「自由なんかじゃ……ないわ」

「そうか、そうだよな。自由な貴族令嬢なんていないか。つまらないことを言ったな……すまない」

「いいえ……」


 「貴族令嬢」に何か思うところかあるのか、彼が少し遠い目をする。

 実際貴族令嬢に自由なんてない。あたしもそこまで自由なわけじゃない。

 回復術師だから多少許されていることがある程度だ。冒険者についていく、とか。

 

「はいよ、お待ち~! 赤ラーメンだよー」


 しばらくの沈黙のあと、彼の注文した真っ赤なラーメンが運ばれてきた。


「ああ、ありがとう。お先にいただくよ」

「はい」


 にんにくと香辛料の匂いのする赤いラーメン。唐辛子で辛さがさらにマシマシできるようだ。


「辛そう~。辛いのがお好きなんです?」

「そうだな……特別に辛党ってわけでもないけど。辛いほうが好きかな」

「へぇ……隊長と逆だ」

「ああ……あいつは味覚が馬鹿だからな」

「バ……」

(きっつい……)


 ジャミル君に当たりがきついばかりでなく、普通に性格と口が悪いのかしら、この人。

 

「はい、お待ち! チャーシュー麺と、こっちのお客さんの肉まん」

「あ、どうも」

「ありがとう」

(肉まん……)

「……食べないの?」

「えっ? ええ……食べますわ」

 

 無言でずぞぞとラーメンを啜る。このラーメンは予想通り煮干しベースのスープだ。

 こってりしていないスープだけど、チャーシューと合わさることでお互いを補完しあっている。

 素敵だわ。今度パク……いえ、参考にさせてもらいましょう。

 一方、彼は肉まんを食べている。


「肉まん……お好きなんですね」

「ああ。昔からね」

「……」


 彼が肉まんが好きだってことは聞き及んでいる。それをジャミル君が作っていたことも。


「……何か?」

「ええ……と」

(ちょっとくらい大丈夫かな? 気を悪くするかしら?)

「ジャミル君が肉まんとか、ドラゴン肉まんをよく作ってまして」


 ――これで何か、少しでも解決の糸口になるかしら?


「兄貴が? へえ、何の真似だろう。店で買えばいいのに」


 そう言いながら、彼は不機嫌そうに肉まんを乱暴にかじり切る。


(ダメだった~~っ!)

 

 あたしはミランダ教徒。だけど回復魔法が使えるだけの下っ端術師。

 悩みだのなんだのを解決する力なんてないのだ。


 ――女神様、ミランダ様、お力及ばず申し訳ありません……。


 あたしはチャーシュー麺をすすりながら、心の中の神に祈った。

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