96.トマトの瓶詰め

 他に書かれていたのは、こちらの体調を気遣う文言くらいか……。

 家督の話を別にすれば、特別なことは何もない。家族宛の手紙だ。


 何かを口にするにしても、相手は兄の友人でSランク冒険者。

 しかもヴァンパイア――北の国の貴族。


 とりあえずは一息つかないと……。

 俺はオレンジジュースの入った木製のコップを手に取り、そのまま煽る。

 ほどよい酸味と甘味のブレンド。

 それが頭にツンとくる。


 ……ナーガシュ家の家督か。一般的に貴族家の家督はややこしい。

 ちなみに商人や平民だと、長子が継ぐのが普通のはずだ。


 だが貴族は魔力と適性の問題がある。

 いかに長子で頭が良くても、魔力と適性が評価されなければ家督は継げない。

 特にこの王国では聖域奪還のため、戦闘用の魔法が重視されている。そのことも家督選びを複雑にしているのだ。


 戦国時代ならとにかく強い人間でも良かったかもしれないが、今は平和の時代。

 健康、知性、カリスマ、魔力、適性、配偶者……要因は数多い。


 ナーガシュ家のような大貴族の場合、家督を子ども同士に競わせるのも良くある。

 その方がより緊張感を持ち、優れた当主が選ばれるという理由だ。


 感覚的にはそれぞれに子飼の会社を経営させて、誰が一番良いかを見極めるのに似ているだろう。

 この世界の貴族家の領地は飛び飛びだしな……。


 ナーガシュ家だけで大小三十の領地に分かれている。俺の領地もそんな飛び地のひとつなのだ。

 ホールドも多分、俺と同じようにどこかの領主になっているだろう。


 ふぅ……そろそろ手紙について、何かリアクションした方が良いか。

 考えることは数多いが、こんな手紙でそんなことを言われても困る。


「……健康を気遣うのと、この小切手は領主の着任祝いだそうだ」


 俺はステラに小切手を見せる。

 それをちらっと見たステラは、素直に驚きを口にした。


「わっ、金貨百枚ですか……。ナーガシュ家のご子息ともなると、そんな大金をポンと渡されるんですね」


 金貨百枚は前世の感覚だと数千万円。

 この村にいると少し麻痺するが、魔法なしで稼ぐのは大変な金額である。


「ホールドはまずそういうことはしないタイプですが……エルト様を大切に思っているのでしょうね」


 トマトジュースのコップを手に取るナナ。


 さて、どうしたものかな。

 実を言うと俺はホールドの事を良く知らない。十歳くらい年齢が離れているし、他の家族とはそもそも接点が少なかった。


 手紙の真意を聞きたいが……。

 そもそもなぜ、自分の家臣じゃなくてナナに持たせたんだ?

 ナナはナーガシュ家とは全然関係がない。こんな重要なことなら、当人が来ても良さそうなものだが。


「ホールドが僕を使う時は、大抵ろくでもない連絡ばかりでしたが……。学生の時から、本当に。よく渡した相手から、その場で揉め事に巻き込まれたりしました。それが弟を気遣うなんて、感慨深いです」


 うんうん頷きながらナナは小さなトマトをふたつ持って、むしゃむしゃと食べる。


 ……いや、そのホールドの傾向は全く変わってないな。物凄く良くわからない、厄介な提案をされているんだが……。


 しかし、ここでナナに食って掛かっても意味はない。そもそもナーガシュ家の者じゃないからな。


 まぁいい。とりあえず家督については棚上げにしよう。今の段階でナナに話す内容でもあるまい。


 ◇


 ナナはさっき、この村に来たのは冒険者ギルドからの要請もあったと口にしていた。


「……それでナナは、冒険者ギルドの要請でここに来たのだったな」

「はい、地下通路の調査に協力するようにと」


 ふむ、Sランク冒険者のナナが参加してくれるなら心強い。


 だが俺の直感がささやいている。

 そんなうまい話があるか……?


 ステラを見ればわかるが、Sランク冒険者の力は凄まじい。

 それがこんなにホイホイ来てくれるものか?


 そこでナナはいくぶん、申し訳なさそうになった。


「しかし正直、僕自身は乗り気ではありません。まだ本格的調査は始まっていないし、どれだけの時間が掛かることか。ここに来たのは、お断りをするためです」

「冒険者ギルドへの顔を立てるのと、手紙を渡すのに来た……ということか」


 ナナがこくりと頷く。


 むしろ納得した。

 これで居着くなら、逆に何かあるんじゃないかと思うくらいだ。


 だが、俺としては惜しい話でもある。

 是非とも調査には協力してほしいのだが……。


 ナナは飽きずに今度は焼きトマトを食べ始める。

 本当に好きなんだな……。


 そこで俺はぱっと閃いた。

 ナナの二つ名はアーティファクトマスター。


 さっきの着ぐるみの収納技術もある。

 アイテムボックスは他に見たことがないので、恐らくナナの魔法だとは思うが……。


 しかし魔法文明の大博士というのは本当だろう。

 考えれば考えるほど、ここで逃がすのは惜しくなってきた。


「例えばそのトマトを遠くでも食べられる、そういう話ならどうだ?」

「……それは魅力的ですが、トマトは日持ちしません。ホールドの所で食べたトマトも、魔法具で運んだ物で高価でしたが」

「地下通路の調査に協力しつつ、遠くまで野菜を運ぶ技術。その開発をこの村でやらないか?」


 それは思っても見なかった提案だったのだろう。ナナが目を細める。


「面白い、とは思いますが……僕の着ぐるみ収納技術は色々と制約があります。応用できるなら、とっくにしていますし」

「そうだろうな。俺も初めて知ったくらいだから」


 アイテムボックスの技術が普及したら、それこそ物流の一大革命だ。

 社会のあらゆる要素が一変する。


 もちろん俺が望むのは、そんな事ではない。

 もっと現実的で金になりそうな事だ。


「……考えてはいたんだ。作物を輸出しても、保存の問題はついて回る」

「エルト様、それは仕方ないかと……」

「まぁな。そのおかげで生産地の優位があるとも言えるが……。だが、さらに大きくなるには効率性も必要だ」


 そこでステラは小首を傾げる。


「例えばどのような……?」

「……瓶詰め」


 缶詰には金属加工が必要。はっきり言って難易度が高い。

 だが瓶詰めなら豆板醤のように、この世界でもある程度、高級品の入れ物として確立している。


 問題は一般に普及する値段では到底ないことだ。

 そこに俺の知識が生きる余地はある。


 当然、それなりに時間は掛かるだろう。

 現代みたいな保存期間を持たせるのは、途方もない話。


 だが、ヴァンパイアの国までトマトをおいしく届けるだけなら――ぐっと難易度は下がる。

 とりあえずそこまで出来るようになればいいのだから。


 ナナが俺をじっと見る。

 その瞳は様々な事柄を天秤にかけて、揺れ動いているように思えた。


「今の瓶詰めは高級調味料を入れるための物で、トマトのような物を入れるものじゃありませんよ」

「しかし値段の折り合いがつけば、瓶詰めのトマトソースやらは買うんじゃないか」

「それはもちろん……。改めて食べてみましたけれど、ここのトマトは素晴らしい。僕達もトマト作りには命を懸けているけれど、それに勝るとも劣らない美味しさです」

「見込みがないとわかれば、そこで打ち切っても良い。ここのトマトを離れた場所でも食べる――その研究開発に力を貸して欲しい。衣食住や研究費用はこちらが出す。ナナには技術的な監督をしてもらいたい」


 我ながら無茶を言っているな……。

 同じSランク冒険者のステラの価値を考えれば、これでも安過ぎる。

 しかしトマト以外に引き留める理由が思い当たらない。


 ナナは少しだけ視線を動かし――こちらを見た。


「……条件がひとつだけあります。これは興味本位の話なんですけど」

「聞かせてくれ」

「いつもいつも、ホールドは僕を都合良く使う。彼に会ったら、一発殴ってくれないだろうか?」

「……色々あるんだな」


 ナナは肩をすくめた。


「色々とありましたので。僕が殴るわけにもいかないですし」

「そのくらいなら、いくらでも」


 とりあえず乗っておこう。

 まぁ、いつ会うのかもわからないけど。


 あのお洒落な兄は軽薄そうだったし、ナナとしても鬱憤があるんだな。

 ホールドに会ったら【巨木の腕】で撫でるようにぐりぐりすれば満足してくれるだろう、多分……。


「では、しばらくお世話になります。トマトのために」


 ナナが胸に手を当ててお辞儀する。


 ……ふぅ、とりあえずはナナを逃がさずにすんだか。

 どうなるかはわからんが、もし瓶詰めが軌道に乗れば利益は大きい。


 俺もこの世界で学んできた。

 前世の知識だけを頼りに事業を立ち上げようとしても難しい。


 逆だ。

 人材に合わせ事業を立ち上げて、任せるべきなのだ。


領地情報

 地名:ヒールベリーの村

 特別施設:冒険者ギルド(仮)、大樹の塔(土風呂付き)

 領民+1(トマト大好きなナナ)

 総人口:157

 観光レベル:D(土風呂)

 漁業レベル:D(レインボーフィッシュ飼育)

 牧場レベル:D(コカトリス姉妹)

 魔王レベル:F(悪魔を保護)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る