95.ナナの手紙

 ……誰が悪いわけでもない。

 領主が来たんだから、ナナが着ぐるみを脱ごうとするのは当たり前。

 これはちょっとした行き違いなんだ……。


「ふむむ、なるほど?」


 だがナナは小首を傾げて、ディアを見る。


 彼女の瞳は海のような底知れない青。でも冷たい感じはしない。

 なぜだか穏やかな海に近いと直感した。


「……だっぴぴよね?」

「ああ、そうだよ」

「「えっ」」


 皆で声を上げてしまった。

 強い。

 ナナはメンタルが強い。


「皮は持って帰らないとね……【収納】」


 ナナが服のボタンに軽く触れると、魔力が解き放たれる。


 ポン!


 ポップコーンのような軽い音がして、コカトリスの着ぐるみがあっという間にボタンに吸い込まれて消えた。

 ……アイテムボックスか?

 この世界で初めて見たな。


「かわがきえたぴよ……!」

「魔法だよ。置いたままだと邪魔だろう? このボタンに入っているんだ」

「すごーいぴよ! べんりぴよ!」


 凄いな、ディアの興味を他に移した……。

 もう脱皮のことは気にしていないようだ。

 ナナは子どもを相手にするのがうまい。


 さて、目の前のナナがどんな用で来たのかはまだ聞き出せてないな。

 この様子だと急用ではなさそうだが。


 ディアの相手もしてくれたからな……。

 歓迎も含めて夜ご飯を一緒に食べるか。


「とりあえずここは暗くなる。良ければ夕食を一緒にどうだ?」

「是非とも。お招きありがとうございます」


 すっとナナが胸に手を当てた。優雅な動作だ。


 今の服は紅色の軽装で冒険者風だ。低めの声と短い髪のせいで、本当に少年冒険者にも見える。

 ヴァンパイアは美形揃いというが確かに頷けるな。


 まぁ、俺にとっては現実離れしすぎて逆に引くぐらいだが……。アイドルをリアルに見ている気分になる。


「……ところでマルシスは?」


 俺はふと輪にマルコシアスがいないことに気が付いた。

 ディアが神妙な感じで答える。


「マルちゃんなら、あそこのきのしたでやすんでるぴよ。かっとばしすぎたぴよね……。すぐにたいりょくつきたぴよ」


 ディアがぴっと向けた羽の先。

 そこには横になったコカトリス。そのお腹の上に頭を横たえて寝入っているマルコシアスがいた。


 ◇


 それから俺達は別れて帰宅した。

 俺はレイアも夕食に誘うか少し迷ったが、やめておいた。


 ナナはザンザスの冒険者ギルドの人間ではないし、まずは俺で歓待すべきだろう。

 冒険者としては明日にでも会食を設ければいい。


 ……それに何かが引っ掛かっていた。

 ナナとどこかで会ったような……。


 太陽はもうかなり山の向こうへ沈んでいる。風が冷たくなって吹き付けていた。


 ナナは第二広場から村に入ると、非常に感心していた。


「この全てが植物魔法なのですか……。ナーガシュ家の魔力はやはり強いですね。その中でもエルト様の魔力は格別強いようですが……」

「ふむ……その辺り、俺自身は良くわからんのだ。他の貴族と比べてもか?」

「ええ、ホールドと比べても」

「……!」


 思い出した。

 俺とナナは初対面ではない。

 七年か八年前に実家で一度、挨拶したことがある。


 あれは何かの待ち合わせだったか……。

 制服姿のナナと兄のホールドが現れて挨拶をしたのだ。

 もっともその顔合わせだけで、特に会話もしてないが。


「思い出した……。かなり前だが、家で会っていたな」


 言い訳をすると、コカトリスの着ぐるみが強烈すぎたせいだ……。

 イメージと記憶を結び付けるのに時間がかかった。


 でも今の兄の呼び方で思い出せた。

 相当親しい友人や家族でもなければ、貴族間で呼び捨てにはしない。


 俺の言葉にナナが静かに頷く。

 どうやら正解らしい。


「驚きました。覚えておられたのですか?」

「いや、今まで忘れてたが……」

「あの時も夜で、ご挨拶は数分ほど。しかもエルト様は幼少でした。ホールドが誉める通り、素晴らしい記憶力ですね」


 そうなるのか……?

 確かに七年や八年前だと俺は七歳くらい。

 覚えている方が珍しい部類と言えばそうだな。


「ナナは通称だな。本名は――ナフィナディア・スクラートフだったか」

「その長い名前まで……。驚きです。一回で覚えたのは同族のヴァンパイア以外では初めてですね」


 ナフィナディアが長いから略してナナ。

 貴族ではたまにあるな。伝統とかで長い名前になることが……。


 そして前に会った時はナフィナディアの方で名乗っていた。あの時とは色々と違うということか。


 冒険者の名前と貴族の名前で分けている感じがする。この辺りどうするかは個人任せだ。

 特に法律的に自称が禁じられているわけでもないしな。


 ステラもうとうとしているディアを抱えながら、


「エルト様は本当に良く物事を覚えていますからね……。ご実家の本の内容も丸暗記されているレベルです」


 そう言われてみると、俺は大抵の事は結構覚えている。

 まぁ、前世の事も覚えているくらいだしな。


 村の道を歩きながら、雑談をしていく。

 特に実家の話は発展することなく終わった。

 別にナナにとって重要な話題でもなかったようだな。


 夕陽の茜色が消え、星明かりと光る苔が道を照らす。

 そろそろ家に着く。


 俺はふとヴァンパイアの好む食事を知らないことに気付いた。

 エルフは野菜が好き。もっと言えば中華。

 ヴァンパイアはトマトが好きという話は聞いたことがあるが……。


「そう言えば、夕食にリクエストはあるか? 大抵の野菜なら揃えられるが」


 そこで初めて、ナナの瞳が揺れたような気がする。


「……トマトでお願いします」

「トマト……」

「ヴァンパイアの主食はトマトですから」

「……そうだったか……?」


 わからん。

 血液とかなんとか、普通はそういう物だった気がするが……。


 そこで俺は思い当たった。

 そうだ、ゲームの中ではヴァンパイアは種族全体でトマト好きという設定だった。


 ヴァンパイアは後から追加されたプレイアブル種族だが、そんな結構しょうもない設定があったな。

 ……ゲームの中でトマト好きと言われても、役に立つ情報ではないのでスルーされていたが。

 しかしこちらの世界でも同じなんだな。


「わかった、トマトならいくらでも用意できるぞ」

「私もトマトなら辛み炒めができます……!」


 ほう、それは俺も食べたい。


「僕達はトマトがあれば生きていけるので……。ぜひ、ご馳走になります」


 ◇


 夜ご飯はトマト尽くしになった。

 トマトは様々な品種があり、生食でもソース加工でも大いに利用される。


 こちらの世界でもトマトの重要性はあまり変わらない。

 世界各地で栽培できるし、そのまま食べることも加熱することも容易だからだ。


 生のトマトに塩だけ。

 焼きトマト、トマトとたまねぎのスープ。

 メインはピーマンとナス、トマトに胡椒と豆板醤で味付けした辛み炒め。


 とどめは新鮮トマトジュース。

 俺はそこまでトマトはいらなかったので、オレンジジュースにしたが。


 ディアと復活したマルコシアスもたくさん食べている。


「このいためもの、おいしーぴよ!」

「油と辛みが効いてる。辛いがうまい!」


 ふむ、やはりディアは辛い料理が好きなようだな。

 マルコシアスは辛いと言いながらも食べるタイプか。


 ナナもうっとりしながらトマト料理を食べていた。

 ちなみに手つきはゆったりと滑らかで、ナイフやフォークの動きに気品がある。


「ああ、とても素晴らしいトマト……。こんなにおいしいトマトが食べられるなんて……」

「北でも一年中食べられたと思うが……ああ、品種によって食べ頃が違うからな。なんでも食べられるのはこの村の利点か」


 皮が厚いトマトは加熱料理用。皮が薄くて甘味が強いのは生食向けだ。

 俺も全てを理解しているわけではないが、品種によって良い季節が違う。

 そのため、色々な料理をベストな状態で食べるのは中々難しい。


 夕食はそんな感じで、和やかに終わった。

 特筆することはあまりなかったな。

 同じSランク冒険者としてステラの事が話題に出たり、後は村の事とかか。


 だが夕食を食べ終わって、少し経った頃。


 ナナが貴族的な雰囲気を引き締めて新しい話題を切り出してきた。

 ……いよいよ本題か。


「実はホールドから手紙を預かっています。中身は僕も見ていませんけれども」


 そう言って、懐から封筒を取り出してきた。

 お洒落なホールドの用意した封筒だ。小さいがきらきらと金粉で輝いていた。


「……拝見しよう」


 ドキドキする。何と書いてあるのだろう。

 俺は平静を装っていたが、どこまで持つか。


 ナナとホールドの関係性を思い出してから、こうなるとは思っていた。

 何らかのメッセージを預かってはいるだろうと。


 俺はナナから封筒を受け取り、すぐに開封する。


 書いてある内容は予想が付かない。

 ここで読まない方がいいかもしれないが、判断は難しい。

 どうナナからホールドに伝わるかの予想もできないからだ。


 封筒の中にあったのは手紙。

 それともうひとつ。

 これは…………。


「……小切手だな」


 ナーガシュ家の名前で発行された、ちゃんとした小切手だ。しかも額面は金貨百枚分……結構な大金じゃないか。


 しかしなんでお金が入ってるんだ?

 俺は同封された手紙に目を通す。


「……これは」


 俺はのけぞらんばかりに驚くのを、なんとか抑制できた。


 ホールドからの手紙には要約すると、こんな事が書いてあった。


『今まで悪かった』

『もし家督を望むなら、俺はエルトを支援する』

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