第32話 龍神の想い出 9 約束

神楽で誰かが舞を踊っている。弱々しい音が奏でる曲は、ちょうこが好きだと言った復活の舞の曲だった。

私の傍らには、痛みからは解き放されてはいるが、もう息が止まりそうになっている二人の娘がいる…。


誰かが近づいて来た。しかしもう、私には気にすることなど何もない…。



巫女だった。

「あの娘は、私の兄の娘です。この子らと同じように舞が好きで、教えてやりました。この舞は、ちょうこが好きだった…。」

私の目を真っ直ぐに見つめ、巫女は土下座をした。


「龍神様…。どうか、馬鹿な事をしてしまった男を…人を許してやってくださいまし…。

私たち、この村の者がいけなかったのです。

自分たちの欲を、抑えることが出来なかった我らが悪いのです。」


篝火の音がパチパチと響いている。

薄ぼんやりとした影が伸びて動いている。そのせいなのか舞を舞う娘の腕の動きは、どことなくちょうこに似ていた。


「どうか、ちょうことの約束を果たしてくださいませ。

人の輪廻転生を信じ、この子らの命をあの娘に分け与え、命を紡がせて下さいませ。

このままでは、私がちょうこに顔向けが出来ません。

きっと、我ら一族がお守り致します。

もう、村全体のことなど忘れ、この子らだけをお守り致しますから…。」


巫女が泣いている。

両手を合掌し、私に跪いて乞い願っている。


「何故、そこまでちょうこの復活を願うのだ?」


「私にとってちょうこは掛け替えのない娘でした。

あの子が逝く前に願ったことは、子らの幸せと龍神様と再び会うことのみ…。

このままでは、全てが無くなってしまいます。

私はちょうこと約束しました。必ず会えるように、紡がれる命を守っていくと…。」


巫女が言う様に、私はちょうこに会いたかった。

必ず待っているとゆびきりで約束したことを鮮明に覚えている。



三日三晩、娘は舞を踊り続けていた。

私は、死が近づいていた二人の娘を小さな命の塊に代え、踊りつかれて倒れていた娘の腹にそっと送り込んだ。

小さな命がこれから受けるだろう試練に耐えられるだけの力を宿すことができるよう、私の最後の祈りを込めつつ…。


「巫女よ、聞きなさい。

私の力はもう残り少ない。

だから、全ての力をこの世界全体に撒いておこうと思う。

世界に歪みを作ってしまったせめてものお詫びだ。

この力は、緑を復活させ、虫や動物たちが仲良く暮らせる世界の元となるだろう。


赤い石は私の破片だ。

時にお前たちを守り、時に行先を灯す光となるだろう。


その娘の腹には、私の可愛い娘たちの命を入れておいた。

いつしか、双子の娘が生まれ、15歳となったときには、きっとちょうこも戻ってくる。

双子が生まれ、無事に育ったならば私を呼ぶがいい。

そのときこそ、再び私は復活し、ちょうこを連れて世界の果てへと戻るつもりだ…。」


筑波山に目をやると、枯れた木々があるのだろう…所々が茶色に染まって見えた。

これまで、深い緑で覆われていた森が病んでいることが分かる。

蝶々は飛んでいない。

甘い空気に満たされていた世界には、錆びたような酸っぱい臭いが充満していた。

どこかで動物が死んでいるのだろう。

この村の者も多数が亡くなった。

いや、ここ以外の村ではこの比ではないのだろう。


私が虚無を呼んだのだ。

世界の均衡を破り、己の欲を諫めず、判断を見誤ったのだ。

後悔しても遅い。


私は私の意識を手放し、感じることを止めようとした…。

ああ、身体が散り散りになっていく。


意識が消えるその瞬間に、殺した男の意志が聞こえた。


「この恨み、苦しみは消えない…。呪い続けてやる…。」


粉々になったはずの男の執念が、散り散りになった私の身体の破片である『赤い石』と結びついていく…。



◇◇◇


巫女は長生きをした。

恐らく100歳は超えただろう。

この巫女の死を心待ちにしていたのは、その兄の孫息子であった。

巫女の兄の娘は、無事に元気な女の子を産み、優しい男と結ばれ、また娘を産み…。

確実に命を紡いでいっている横では、龍神様の子孫の力と守りとなる『赤い石』の力を狙う輩が育っていたのだ。


孫息子は、伝承されていた話のすり替えを行った。

自分たち一族に龍神様の血が流れているということにし、双子の娘は忌子として生かしておくことは禁忌と変えた。

龍神様が復活すれば、自分の一族への加護がなくなることを嫌ったのだ。

龍神様の子孫を守るように見せかけ、政治に利用することを考えた。

娘たちに宿る力を独り占めにしたかった、我が欲のために…。

それもまた、『赤い石』の力によるものであるとは知らずに…。


『赤い石』には守りの力があったが、残虐な意志も入っていたのだ。

そう、あの粉々にされた男の強い怨念が…。


強い怨念に惹かれて、新しい邪心が近寄って来る。

時に『赤い石』が『赤黒い石』となり。『赤黒い玉』と育つこともあった。

傍らには、龍神様の血を引く娘がいる。

優しく慈悲深い心を持つ娘らは、本人が知らぬうちに怨念や邪心の浄化を行っていた。

世界の均衡は保たれていた。


この時までは…。


◇◇◇


はるか遠くから飛んできた龍神様が龍の姿から人の形に変化していく。

人型になった龍神様は、この世のものとは思えない程に美しい。


細身で背が高く、髪は銀色で目が白い…。

鼻立ちははっきりとしており、唇は薄く、鋭く尖った八重歯のような歯がほんの少し口の端から覗いている。

上を向いて太陽を見ていた顔をこちらに向けたまま、両手を伸ばしてゆっくりと歩いて来る…。


顔が5㎝くらいまで近づいてきた。

満面の笑みを見せる。

世界が光り輝いていく中で龍神様は私に向かって優しく囁いた。


「おかえり」


私は寝ていた布団から転げ落ちてしまった。


えええええぇー?

私に向かって話しかけたの?




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