第1296話 狂気を感じる目

「キョウカ組長。コイツはきっと貴方の視線の意味を理解した上で離れなかったのですよ」


「え?」


 嗚咽を漏らしながら大事そうにチジクの亡骸を胸に抱いていたキョウカは、背後からのヒサト声にようやく反応を見せるのだった。


「キョウカ組長が片目を失ったのは、自分のせいだと常にこいつは言っていました。そして今こいつが生きている理由は『命を救ってくれたキョウカ組長に恩返し』をすることだと……。だからきっと、こいつはキョウカ組長の視線の意味を理解していながらもキョウカ組長が動けるようになるまでは、絶対にその場から離れることはなかったと思います」


 キョウカが来る前に彼が直接『チジク』から聞かされていたことを、この場でソックリそのまま伝えるヒサトであった。


 何故、あの時に自分の真意が伝わったと思えた筈のチジクが、わざと彼女から視線を背けて離れなかったのか――。


 それをヒサトの言葉で理解が出来たキョウカは、衝動の感情が加味されて頭の中が、かき乱されるような混乱の波が押し寄せてくるのだった。


「うっ……!!」


 ――先程までとは質の違う涙。


 彼女は喉の奥からせり上がってくるモノを口で押さえながら、ぼろぼろと涙を流し続ける。


 今の彼女はただの悲しいという感情だけではなかった。


 彼女がこれまでの積年の思いが込められた、ありとあらゆる感情が詰まっている箱をぶちまけてしまったような感覚に陥って混乱をしているのであった。


「きょ、キョウカ組長!?」


 いきなりキョウカ組長の様子がおかしくなったのを感じたヒサトは、慌てて彼女の元へと向かうのだった。


 彼女の外面の様子が急変した理由はヒサトが話をしたように、チジクの命を救った事に関係していた。


 そしてそれは彼女が過去の出来事が原因だった。


 ……

 ……

 ……


 ――妖魔退魔師、三組組長キョウカ。


 ただその肩書きを見るだけで彼女のことを何も知らない人間であっても、一目おかれるような組織の最高幹部の立場に居る彼女であるが、実際にその立場にたっている彼女は、その地位に最初は納得をしていたわけではなかった。


 本来、彼女が目標とした立場とは『三組組長』ではなく、この妖魔退魔師という組織の『副総長』という立場だったのである。


 両目が健在であった頃、彼女は自分よりも強い者達から戦いを観察し続けて、少しずつ自分の強さへと繋がる何かを見つけ出しては研鑽を積んでいき、自分のモノへと変えて行った。


 そして最初は何も持たざる者であった筈の『キョウカ』は、妖魔退魔師組織内で『最強』と呼ばれる『シゲン』から認められる程の強さを手にしたのである。


 そんな強さの行き着いた先には、彼女の目標であった『副総長』という座が待っていた。


 『副総長』を決めることが出来るのは、当代の妖魔退魔師『総長』だけであったが、先代までの時代の『妖魔退魔師』であれば、キョウカ程の力量を有していれば『副総長』に選ばれることはまず間違いないといわれる程であったのだが、何の運命のイタズラか今代の『妖魔退魔師』の組織の『副総長』の座に座るためには、もう一人だけ争わなければならない人間が存在していたのであった。


 それは当時まだの『ミスズ』という一人の少女の存在であった――。


 ミスズとキョウカはこの組織に加入を果たしたのも同時期であり、彼女たちは同期らしいと呼べる仲のいい間柄であり、相応しい仲間であった。


 その妖魔退魔師の隊士となった頃はまだ『キョウカ』よりも『ミスズ』の方が遥かに『戦闘面』では上であったが、この『副総長』を決める時期にまで時が経つ頃には、ミスズを常に観察して動きや技に戦闘時の戦い方に至るまで、完全に自分のモノにしてみせた『キョウカ』が『ミスズ』を越える程の剣才を身につけていたのである。


 総長である『シゲン』から見ても『キョウカ』が『ミスズ』よりも戦闘面では上だと認める程であったが、妖魔退魔師の『副総長』に選ばれるには、単純な強さだけでは選ばれることはない。


 『組織』をよりよく導いていけるだけの器が『副総長』には求められるのは当然のことであるが、戦闘面では自分の強さだけではなく他者をより成長を促せる指導力が必要であり、戦闘面以外にも『組織』を運用していく金工面に情報を仕入れる力にそれを活かす力、他にもこれまでのように各町の領主と上手く付き合っていけるだけの良好な人間関係を築ける人柄。


 更にはそんな良好な関係を築けた領主であろうとも、間違いを起こそうとされた時には、それにしっかりと対応が出来るだけの心の強さも求められるのである。


 そしてその十五歳の『ミスズ』には、もうその幼い齢の頃からそれら全てをほぼ完璧と言える程に兼ね揃えていた天才でもあった。もし当代の総長が『シゲン』でなければ『総長』の座に『ミスズ』が就いていてもおかしくはなかったとさえ、先代の妖魔退魔師組織の幹部達からも言われる程であった。


 先代たちの時代であれば単純な強さだけで『キョウカ』を選ぶような真似をせず、総合面で優秀な『ミスズ』を選んでいただろうが、当代の『副総長』の座が直ぐに決められることはなかったのである。


 何故なら『副総長』の座を決める権利を持つ総長『シゲン』は、頑なに『強さ』を持つ者を『副総長』として据え置きたいと考えていたからであった。


 どうやらシゲンの中でランク『8』に至る存在、もしくはその『8』に至れるまでに成長を遂げられる存在が、何よりも『副総長』の座に座らせる優先事項だったようである。


 戦闘面以外で求められる資質に対しては、交渉事には『ヒノエ』という隊士も居て、領主と良好さを築けて何かあれば直ぐに機転の利かせられる『スオウ』も当代の妖魔退魔師組織には居たのである。


 シゲンは最後まで悩んだ末に『キョウカ』と『ミスズ』に一つの案を出した。


 ――それは竹刀で直接勝負を行うというものであった。


 戦闘面を重視する今代の総長シゲンは、やはり直接対決の勝者を『副総長』にしようと考えたようであった。


 この決定にミスズもキョウカも頷いて『副総長』の座を『戦闘』という形で決める事となった。


 ――だが、この『副総長』の座を決める寸前の任務で、キョウカは仲間を庇った時に『片目』を失う事となってしまったのである。


 結局、戦闘面以外では『副総長』の座にミスズが相応しいというのが、組織の大半の認識である上に総長であるシゲンの優先事項であった『戦闘面』に関しても、キョウカよりも『ミスズ』が相応しいという結論に至ってしまい、当代の妖魔退魔師『副総長』の座は『ミスズ』に決定されたのであった――。


 しかし『副総長』の座を誰よりも欲していたキョウカは、片目でも戦ってミスズに勝ってみせると豪語して、戦いを見てから決めて欲しいと総長シゲンに直談判を行った。


 何としてもキョウカは『副総長』という座が欲しかったのである。


 何ももたざる者であった彼女が、何でも持っているミスズと『副総長』の座を争い勝つ事に対して、彼女には譲れない想いがそこに込められていたのだろうか。そして他者には理解されない程の思いがそこにはあったのだろう。


 そしてキョウカの必死の思いは同じようにして、他者に理解されないモノを抱き続けてきていた『シゲン』に届くことになった。


 ミスズとシゲンがキョウカとの試合を行うことを認めたために、キョウカは最初のシゲンの案通りに『副総長』の座を改めて試合で決めるという事に相成った。


 しかしでは、天才剣士である『ミスズ』に勝つことは叶わなかった。


 たった数歩の踏み込みに力加減、僅かな距離感の違和――。


 そういった小さな要所要所の要因が積み重なって、互いに当時でランク『8』に至ろうかという妖魔退魔師同士の決着の行方、その勝者はミスズとなったのである。


 『副総長』の座が決まった後、キョウカは精神的に立ち直れない程に、心身に過剰な負荷とゆがみが生じてしまい、一定の期間と呼ぶにはあまりにも長い期間、彼女は得の刀を握れない程であった。


 何も持っていなかった『持たざる者』であった彼女が、他者を観察するという術を身につけて、そこから必死に研鑽を積んで自分のモノにする事が出来るようになっていた故に、一番欲しかったモノが手に入らなかったという結果がもたらしたモノは、どうやら彼女自身が思っていたよりも根深いモノとなったようである。


 他者にしてみれば大袈裟だと思うかもしれないが、彼女にとっては大袈裟でも何でも無かった。


 彼女にとっては、妖魔退魔師を辞めて死ぬことも考える程だったのだから。


 何よりもう戦闘では自分は使い物にならないと思考が行き着いてしまったのである。


 ――いや、使い物にならないというのは他者からすれば語弊があるかもしれない。


 しかし彼女にとっては今後いくら強くなろうと研鑽を積んだり、これまでのように強い者から何か得ようと思っても片目を失う前より強くなれないのだと、それは両目が健在であったならばもっと強い筈だったと、自分で結論に至ってしまったのだ。


 流石のミスズであっても日に日に窶れていく親友に何も言えなかった。


 直接『副総長』の座を争い勝利を手にした彼女が、敗北させてこうなる原因になったキョウカに何もいえる筈がなかったのである。


 そして組織の中で孤立していくキョウカは、刀の道を諦めて妖魔退魔師の組織を辞めて人知れず、死ぬことを考えた矢先のことだった。


「キョウカさん……」


 彼女の名を呼ぶ一人の隊士が目の前に現れた。


 それは彼女の片目を失ってしまった原因を作った男で名を『チジク』といった。


 彼女は目の前に居る男の命を救う代わりに、今後一生彼女は『副総長』になれなくなってしまったのである。


「……」


 キョウカは震える手で自分の刀に手を充て始めた。


 それを見たチジクは意を決したように顔を上げながら口を開いた。


「貴方が副総長になれなかったのは俺のせいです」


「……」


 キョウカは無言でその場で刀を抜いた。


 そして抵抗の意志を一切見せないチジクの元に飛び込んだかと思うと、抜き身の刀を思いきりチジクの首を目掛けて振り切ろうとした。


「……」


「どうしました? 俺のせいで貴方は『副総長』になれなかったのですから、どうぞ俺を殺してください」


「で、できない……!」


 彼女がチジクの首元に刀を充てたままでそう告げると、チジクは笑みを浮かべ始めた。


「そうですか」


 どこか儚げにチジクはキョウカの顔を見ると、自分の首元に充てられている刀を右手で握り始める。


「あ、あなた!」


 チジクのキョウカの刀を掴んだ右手からぼたり、ぼたりと血が流れ落ちた。


「キョウカさんにお願いがあります」


「え」


 か細い声をあげながらキョウカは、一体何を言うつもりなのかと不安そうな瞳でチジクを見据える。


「この組織の当代の『総長』と『副総長』の座が決まったことで、次は『最高幹部』と呼ばれる当代の『組長』が決められる筈です。そこで貴方に『組長』になって欲しい。そして俺を貴方の組で働かせて欲しい」


「……」


「俺は貴方の生きる希望を失わせてしまった……。そんな俺が出来ることはもう、貴方のために働くことだけなのです。もし貴方に断られてしまえば、俺はもう自身の良心の呵責に耐えられる自信がありません。このままこの身をささげて死んで償います」


 そう言ってチジクはキョウカの刀を自ら、自分の首に押し付け始めるのだった。


「や、やめ……!」


「貴方にを俺に提供してもらえませんか?」


 キョウカの刀を握るチジクは自らの首に刀を押し付けて行くと、薄皮がプツリと切れて真っ赤な血が首から滴り落ちて行くのだった。このままキョウカが手を止めなければ、そのままチジクはキョウカの目の前でキョウカの刀を使って自殺をしてしまう事だろう。


 キョウカは目の前のチジクという人間が理解出来ず、唐突に胸のあたりがむかむかし始めたかと思うと、凄い勢いで喉にせり上がって来るものを感じ始めた。


「うっ……、ぐぇぇっ! うげぇ……!」


 嘔吐を始めたキョウカを見たチジクは、慌てて自分の首から刀を離したかと思うと、這い蹲った彼女の横に座って背中を擦って介抱を始める。


「勝手な事をいって巻き込んでしまい、すみませんでした。もう自分で命を絶って貴方の目を奪った罪を償いますから」


 そう言ってチジクが立ち上がると、最後にキョウカに向けて深々と頭を下げてその場を去ろうとする。


「ま、待って……! わ、分かった! 私は組長になるから、だから死なないでちょうだい……!」


「俺をを与えて下さるのですか……?」


 その時のチジクの目を見たキョウカは震えが走った。


 ――狂気という言葉が一番相応しいのだろうが、狂気という言葉で表すには足りないと感じた。


 キョウカは味わったことのない悍ましさというべきか、そのチジクの何かに取り憑かれたような目を、正しく言葉で表現することが出来なかった。


「わ、分かった……! わ、私が組を持てる組長となった暁には、貴方には私の傍で働いてもらう……!」


 そう言った時の『チジク』の笑み――、その目――、その表情を『キョウカ』は生涯忘れないだろう――。


「俺を生かす場を与えてくださり、ありがとうございます。キョウカ組長」


 チジクがそう言った直後に、再びキョウカはそのチジクのキョウカを見ているようで、全く見ていないかのような視線の『目』を見て嘔吐をするのだった。


 ……

 ……

 ……


 キョウカは自分が『妖魔退魔師』の組長になるキッカケとなった出来事を思い出して、その時のトラウマが蘇ってしまい、十年という時を経てその頃のことを思い出して身体を震わせて嘔吐をしたのだった。


 キョウカは自分が『副総長』になれなかった時の絶望感や苦しみは『組長』となったあとに、自分の気持ちに整理をつけることが出来た。


 それはチジクという男がキッカケではあったことだが、今ではそんな時のことなど忘れて日々を生きていられたキョウカだが、どうやらヒサトの言葉通りであるのならば、十年経った今でもチジクの中では時が止まったまま、キョウカが『副総長』になれなかったのは自分の所為なのだと思い続けていて、今でもそのことに囚われ続けていたのだろう。


 その真実に気づいたキョウカは、もちろんチジクに悲しみを覚えてはいるのだが、それと同時によく分からない恐怖心が彼女を再び苛むのであった――。

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