第1268話 いくつも交渉の手段を持つヒノエ

 この部屋に来たばかりの時とは別人のような表情をする者が居た。

 煌鴟梟の幹部として牢に閉じ込められていた『サノスケ』という男の事である。


 傍から見ている分にはこの男は掴みどころがなく、現在この旅籠町の護衛隊の副隊長を務めている『キイチ』から見て、表情からも何を考えているのか読みずらいと感じる程に、この屯所の牢に入れられてからもさっぱり物事に反応を示さない男で扱いずらいと常々考えていたのであった。


 ――しかし今その男は必死に頭を床にこすりつけながら、隠していたのであろう情報をこの男自らが『妖魔退魔師』の最高幹部にして『一組』の『ヒノエ』組長に、聞いて下さいと懇願しているのであった。


(ヒノエ組長は真に恐ろしいお人だ。先程彼女が彼に近づいて何かを耳傍で告げた後、彼は見るからに人が変わってしまった。息遣いは荒くなり、目の色を変えてヒノエ組長を視線で追う姿は、まるで『妖魔召士』の魔瞳と呼ばれる視線で魅了をされたかのようになっている)


「お、お願いします! 俺の話を聞いて下さい! そ、そして俺を貴方と一緒に連れて行ってください!」


「ああ、分かっているさ。お前の話す情報が有益だったなら、私が責任を持ってお前を満足させてやろう。もう離れたくないと思わせる程にな?」


 そう言って口角を吊り上げるヒノエ組長を見たサノスケという男は、必死に両手を股間に押し当てながら更に息を荒げ始めるのだった。


 ヒノエがじっくりと品定めをするようにサノスケの押さえている股間に視線を注ぐと、男はもう我慢が出来ないとばかりにヒノエの胸元に震える手を伸ばし始めた。


 しかしヒノエは自分に向けて伸ばして来たその手を強めに払いのけた。


「私の話を聞いていたか? お前の持っている情報が有益だったならという前提条件を忘れるなよ? 私はお前が思う程軽い女じゃねぇよ。舐めるなよ?」


「うっ……!」


 サノスケは期待と興奮で信じられない程に上機嫌な表情を浮かべていたが、ヒノエに強い拒絶をされてしまって、一転して信じられない程に絶望しているような表情に変え始めるのだった。


「……それで? 私にどんな話を聞いてもらいたいんだ?」


 そしてどこか冷静さの中に相手を誘うような甘い声を混ぜながら、ヒノエは足を組み替え始めた。


 人を絶望のどん底に落としておいて、ヒノエは再びサノスケに期待感を募らせるような視線を向ける。


 動きやすさを重視しているのか人の履いているものよりかなり短い袴が印象的なヒノエの袴だが、その短い袴を更に印象付けるように、彼女は足を広げて股の奥を見せつけるように艶めかしく動かしてみせると、サノスケはもうその煽情的なヒノエの動きに理性が残っているのかいないのか分からないくらいに興奮しながらヒノエの股の奥を覗き込もうと必死に首を傾けたが、そこでヒノエが自分を見て笑っているのが目に入り、慌てて姿勢を戻しながらサノスケは、秘密を聞いてもらう為に口を開き始めるのだった。


「……じ、実は『退魔組』に頭領補佐としてついているイツキ様は、元々俺達『煌鴟梟』のボスだった男なんだが、ヒュウガって男はそのイツキ様を仲間を加えようと『ケイノト』へ向かったんじゃないかと俺は思っている」


「何だそりゃ……。退魔組に居る退魔士がお前らのボスだったという話には少し興味が湧く話だが、何で妖魔召士の実力者のヒュウガが犯罪集団のボスを仲間にしようと思うんだよ」


 そこそこに聡そうだった目の前のサノスケという男がここまで勿体ぶって情報を隠していたのだから、もっと有益な情報を期待したヒノエだったが、実際に聞いてみればそこまで大した話じゃなかった為に大きく肩を落とすのだった。


「ほ、本当にヒュウガって野郎はイツキ様を仲間にしたそうにしていたんだよ! う、嘘じゃない! ヒュウガって野郎はイツキ様を仲間にする為に、わざわざ俺達の牢まで来て、ボスのトウジ様やイツキ様と親しい間柄だった俺と同じ『煌鴟梟』の大幹部だった『ミヤジ』まで連れて出て行ったんだぞ!? そ、それに何度もヒュウガはミヤジに『イツキ』様の現在の様子を確認していたんだからな!」


 先程のヒノエの魅力的な提案を破棄されないように、彼が必死に隠そうとしていた情報を曝け出していく。


 その様子を見るに本気で彼はヒュウガがイツキという男を仲間に加える為に、自分の一派を連れて『退魔組』へ向かったのだと必死に訴えるのだった。


「何か他に根拠はないのか? 例えば資金繰りを行える奴だったとか、大きい町の領主と繋がりを持っているだとか。そのイツキって野郎に『妖魔召士』達が無視出来ない何かがあるなら頷ける話だ」


「資金源の方ならトウジ様がそれに該当するが、イツキ様はた、なんだ! そ、それも凄くだ……!」


「はははは! 何だそりゃあ? 悪いがそんな程度でヒュウガ達が迎えに行くとは思えねぇよ。お前はそのイツキって奴のために『上位妖魔召士』が雁首揃えて、危険を省みずに『妖魔退魔師』が護衛についている『ケイノト』に迎えに行くと思うか? ケイノトには妖魔退魔師衆の見張りだけじゃなく、うちの大幹部の『キョウカ』組長とその組員達が奴らの見張りについてんだぜ?」


 『キョウカ』組長と言えば『煌鴟梟』のような大きな犯罪組織に属していれば、誰もが一度は耳にした事のある大きな名前である。そんな話を引き合いに出されてしまえば、イツキという男が本当は妖魔召士の中で『最上位』の『ヒュウガ』程よりも魔力を有していると知らず、ただ頼れる人間だという事くらいしか分からない彼では、それ以上の話が出来なくなってしまうのだった。

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