第14話:言葉に囲まれし部屋で、これから歩む先を

「ウイルスが消えた!? じゃ、いったい、何のためにみんな眠っている……」


「その理由を、そして真実を白日の下にさらさなくてはいけない。人が人として生きるために。それが母の願いよ……」


 書斎は六畳ほどの小さな部屋だった。厚生労働省の医務技監だったトワの父親がこの部屋に入るのは、たいてい週末の深夜だ。ここで一人、静かに本を読んでいたのか、あるいは平日にやり残した仕事をしていたのかは分からない。ただ、この部屋には膨大な数の書籍が残されていた。


「ここにはまだ本があるんだね……」


 部屋の壁はそのまま書棚となっていて、天井までびっしり背表紙で埋め尽くされている。ツグムは整然と並べられたその背表紙たちを目で追った。医学系の専門書だけでなく人文科学から法律に関する書籍まで、その分野は幅広い。


「ツグム、こっちへ」


 トワは、部屋の窓際に置かれたデスクと書棚の間にしゃがみこんでいる。彼女が書棚から本を数冊取り出すと、灰色の小さな扉が覗けた。


「金庫……」


「ダブルエントリーシステム……。わたしとツグム、二人の指紋認証を同時に行わないと、この金庫の扉は開かないようにできてるの」


「だから僕をここまで……」


 トワはポケットから携帯端末を取り出すと、金庫の扉の枠にある小さな通電タップと白いコードでつないだ。ほどなくして指紋認証システムが青白く点灯する。


「電池が切れる前に……」


 ツグムは、トワがそうするように、認証パッドに親指を押しつけた。青白い光が一回だけ点滅し、小さなアラーム音が鳴ると、金庫の扉が自動で開いていく。中にあったのは一枚のカードだ。


「これは君のお母さんの……」


 カードには田邊重工株式会社のロゴマークが印字され、トワによく似た女性の顔写真が埋め込まれていた。


「これで、本社ビルのセキュリティーを解除できる。」


「本社でいったい何をするんだ?」


「ミソラの制御を人の手に取り返すの」


「そんなことが、本当にできるとでも?」


「わからない。でもミソラはユーフォリアプロジェクトの全容と、この世界の変化をすべて完全な形で記録しているはず。人の記憶が改竄されたこの街で、唯一信用できる歴史的事実よ。その記録さえ手に入れることができれば、国際世論を大きく動かすことができるはずなの」


「わかった。協力するよ」


「ありがとうツグム。あのね、もう一つお願いがある。母を助けたい」


「もちろん」


 トワの瞳にかすかな涙が浮かんだその時、リビングの窓ガラスが割れる激しい音が響きわたった。驚いた二人が振り向くと、風になびいているカーテンの向こう側から、何者かが軽やかにジャンプしながらフローリングに着地していく様子が視界に入り込んでくる。

 まるで猫のようにしなやかな動きで二人に向かってくるそれは、四足で歩行する二体のロボットだ。丸みを帯びた背中は自動小銃で武装しており、金属製の胴体に接続された頭部は、エンフォーサーのそれと全く同じ構造になっている。赤い瞳はレーザー照準器のように、書斎にたたずむ二人に向けられていた。


「あれは、ラミア……。ネコ型一般意志執行インターフェイス。なぜここに……」


「危ないっ」


 ツグムが、トワを抱きかかえながらデスクの後ろに隠れたその瞬間、四足歩行ロボットの自動小銃が一斉に火を噴いた。弾丸は書斎を取り囲むように配置された書棚を端から端まで撃ち抜いていく。床に飛び散る本の欠片から、かすかな煙が立ち込め、あたりは硝煙の匂いに包まれた。


「おいおい、そのへんにしておけ。あの二人に当たったら俺もただでは済まされない。面倒には巻き込まれたくねぇよ」


 明らかな意思を持った人間の声に、ツグムはデスクの隙間からリビングを覗う。気が狂ったよう弾丸をまき散らしているロボットの後ろから、迷彩服に身を包み自動小銃を構えた男が二人、ゆっくりとこちらに歩いてくるのが見えた。


「はっ。ラミア執行モード、ノンリーサル。不適正文書、オールクリア」


「当たり前だ、ボケ。やりすぎだっての……」


 そうつぶやいた大柄な男は、インカムを通信モードに切り替え、風になびくカーテンを眺めながら何事もなかったかのように会話を始めた。


如月きさらぎです。目標を発見、確保します。……ええ、例のパスも、おそらく無事です」


 ラミアと呼ばれた二体の四足歩行ロボットは、その場から動こうとせず、頭部をひねりながら周囲をうかがっているようだった。その後ろから通信を終えた迷彩服の男が書斎に足を踏み入れてくる。床にかがみこんだ男は、弾丸で撃ち抜かれた穴だらけの本を手に取り、表紙に残る埃を払った。


「あ~あ、これじゃ作者も浮かばれないね。ウィリアム・シェイクスピアに……。ほう、フョードル・ドストエフスキー。危険なものほど美しいというのに」


「如月准尉、それは不適正文書です。お手に触れないほうが……」


「ああ? まあ、お前には強い毒……かもな。さてと、そこの二人。出ておいで」


 如月と呼ばれた男の手から、ハードカバーの本がドサリと床に落ちた。


「トワ。逃げるんだ。いいかい、敵はあの如月という男と、その後ろにいる部下、あのロボット二体だ。僕が左の本棚を蹴り倒すから、君はこの本の背表紙で後ろの窓ガラスを割って逃げろ」


 ツグムは数百ページはあろうかという分厚い本をトワに手渡した。デスクの裏側の窓は、すでにラミアの銃撃で一部が破損していたため、硬い背表紙なら人が通れるくらいの穴は簡単に作れる。


「そんな。ツグム……」


「急いで、大丈夫。きっとうまくいく」


「ごちゃごちゃ言ってねぇで、早くしてくれ」


 ツグムは両手を上げながらゆっくり立ち上がると、少しだけはにかみ笑いを浮かべながらデスクの前に歩みを進めた。


「お嬢ちゃんもだよ」


 如月がそう言い終わらないうちに、ツグムは彼の真横にある書棚を蹴り倒した。書斎とリビングの間を封鎖するように倒れこむ巨大な書棚と本の残骸に、華奢なラミアは押しつぶされたようだった。如月は窓ガラスの割れる音に焦りの表情を浮かべながらも、舞い上がった埃に顔をしかめて咳き込む。


「あんちゃん、やってくれたなっ」


 その隙を狙って、ツグムはトワの後を追って窓ガラスを飛び越えた。

「一個小隊を家の裏側に。佐伯トワおよび立原ツグムの両名を確保。ぶん殴ってもいいが、絶対に撃ち殺すなよ」


 窓の外から住宅街の路地裏に出てしまえば、逃げ切れる公算だった。しかし、ツグムとトワの目の前に現れたのは、迷彩服に身を包んだ数名の男と、その後ろに控えるラミアの姿だった。


「手間かけさせやがって」


 そう吐き捨てるように言った丸刈りの男はツグムに歩み寄ると、腰から拳銃を引き抜き、その銃把で思いっきりなぐりつけた。頭部を強打されたツグムはそのままゆっくり地面に倒れこんでいく。


「ツグムっーー」




 

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