拝啓黒山羊さん お手紙は食べる前に読んでください。

這撫広行

第1話 拝啓黒山羊さん 手紙は食べる前に読んでください。

 俺の名前は【黒山羊くろやぎ】。怪奇小説を主に達筆している、普通に食える分には売れている作家だ。とはいえ、やはり達筆というのは上手くいかない事の方が多い。俺はその日、完全に筆が止まってしまった。そんな時、未読のまま貯めていた俺宛てのファンレターの山が目に留まった。

気まぐれに手に取った手紙は、手触りが特徴的な和紙の素材だった。物珍しさにすぐに封は空けず、封筒をひっくり返して観察する。手紙にはきちんと住所と送り主の名前が書いてあって、字のクセも一筆で書いたような達筆だった。年配の人がこのような字を書いているのを見たことがある。封を開いて手紙を見ると、出だしにこんなことが書いてあった。

拝啓 黒山羊さん。手紙は食べる前に読んでください。

 あまりに馴れ馴れしい書き出しに少々不気味さを感じた。どうしてこの手紙の差出人はこんなに出だしから俺に距離を詰められるのだろうか。何故かその疑問が違和感に変わって、嫌な胸騒ぎがしてくる。

 この手紙を読もうか読むまいか迷っていると、ポケットに入れたままになっていたスマートフォンが振動した。画面を見るとそこには担当編集者の【文章かさのあきら】(通称【文章君ぶんしょうくん】)の文字が浮かんでいた。電話に出てみると、彼にしては珍しく原稿の催促ではなく、花火へのお誘いだった。


どうして夏という季節はこんなにも人々を浮つかせるものなのだろうか。たかが花火ごときにデパートの屋上にこんなに人がゴミのように集まって。人の熱気と匂い、互い違いに形の違う者が動き回るのが気持ち悪い。頭がくらくらとして、ふらついた衝撃でガクンと屋上の柵に俺の背中が当たった。反った背中と頭が夜空を仰いでそのまま地上を逆さまに映す。

「うわあちょっと大丈夫ですか先生⁉」

「花火はもういい……」

「何言ってるんですか、まだ上がってもないですよ」

 文章くんは俺の隣に背中を付けて、向こうの人ごみに視線を向けたままため息をこぼした。

「相変わらず人ごみダメですね?いつもネタ探しだとか言って、好奇心旺盛なのに」

「あのね文章くん。好奇心と人酔いしやすい体質は比例しないのだよ。船乗りが必ずしも船酔いしないとは限らないだろう」

「じゃあ何で来たんです?」

 不気味な手紙を読んで気分が落ち込んでいたから気晴らしに、なんて考えが甘かった。だってあまりに気分が優れな過ぎて夜景が燃えているように見えるもの。

「……燃えてる」

「は?」

 柵に背中をもたれて、顔を屋上の外側に向けたままの俺の視線に沿うように、文章君は柵の方へ腹を向けて外に視線を向けた。

「燃えてますね⁉」

 そう、燃えている。夜景が。ありのままを言うならば煉獄だ。もうここは地獄のどこかですかと言いたいくらいに辺りは煉獄で囲まれ燃え上がっている。

「さっきまでこんな景色じゃなかったはずなのに⁉」

 文章くんは踵を返して屋上を見やる。だがそこにはもう人も何も無かった。初めから此処には俺達しかいなかったかのように、月明かりだけが屋上を照らして周りは煉獄のような景色だけが残っていた。

「落ち着きたまえ文章君」

 俺はもたれていた体をゆっくりと起こして、眼鏡を掛け直す。

「せ、先生?」

 文章君の反応が正解なのだろうが、俺はどうもこういう反応はできない。理由は簡単だ、俺は今まで『ネタ探し』でこういう怪奇現象に遭遇し過ぎてメンタルが慣れてしまったからだ。我々の業界では俺のような奴を【探索者たんさくしゃ】と呼ぶ。

「まあ大丈夫。何とかなるよ」

「お兄さんたち誰?」

 突如、コロンと下駄の音がした。その音に付いてくるように、女の子のか細い声が聞こえてくる。俺と文章くんは2人揃って声のした方に視線を向ける。そこには金魚柄の浴衣を着た5歳くらいの女の子がぽつんと1人で立っていた。片手に金魚が1匹入った袋をぶら下げて、頭には狐の面を付けている。

「大丈夫? お父さんとお母さんは?」

 文章君は小走りで女の子へ駆け寄って、目線を合わせて声をかける。女の子は首を横に振った。今回はこの厄介なことに、この女の子も巻き込まれてしまったようだ。

「困りましたね」

「何はともあれ、まずは探索が基本だ文章君。君はあそこにある出入り口でも調べてきたまえ」

 あそこ、と指さした方角には、元々屋上にあった出入り口があった。人が消える前と比べて然程変化は見られないが、近くで見たら何か気がつくことがあるかもしれない。

文章君ははてなマークを浮かべつつ、小走りで出入り口の方へ向かった。律義に顎に手を当て、ぐるぐると出入り口付近を調べて回っている。

「お兄さん」

 女の子はころんころんと下駄の音を立てながら、俺の方へ近づいてくる。近づいて見て分かったのだが、この子の瞳がりんご飴のように真っ赤な色をしていた。そのりんご飴が、見下ろす俺を映して反射している。

「なんだい」

「眼、ヤギさんみたい」

「……うん。そうだろう」

 俺は女の子の方へ屈んで、じっと女の子の瞳を見返す。

「俺はだからね」

「お手紙食べた黒ヤギさん?」

「お手紙は読んでから食べるかな」

「お手紙食べちゃうの?」

 クスクスと女の子は口元に手を当てて笑い出す。何故かこの会話に既視感を覚えている俺がいる。

「誰かと話したの久しぶり」

クスクスと笑う女の子が、ぽろりとそんな言葉をこぼした。

「皆、お砂になって消えちゃたから」

「お砂?」

「せんせーい‼2つ見つけましたよ!!」

 女の子の発言内容に何か引っかかって、聞き出そうとしたところを文章君の声に遮られた。俺は女の子の手を握って、そわそわと落ち着きのない様子の文章君の方へ歩いていく。

「2つって何を?」

「扉とマンホールです」

 まずは扉、と文章君が示したのは出入り口の扉である。こんな事が記してあった。

 生者たちへ。ここは辺獄。 

 カエリたければ煉獄を渡るべし。扉の向こうに橋がある。

 モドリたければ穴に潜るべし。記憶を頼りに進めばよい。

「ふむ。思ったより簡単に行けそうだ」

「煉獄を渡れって書いてあるんですよ?あんな所生身で渡れますか?」

 文章君は眉を八の字にしてあたりを見渡す。きっとここに記された煉獄とはこの周りの風景のことだろう。生身であんな所を渡ったら焼け死んでしまうに違いない。

「でもこの扉の向こうに橋があるみたいで」

「お砂になっちゃう」

 俺の手を離して、俺と文章君の間に女の子が割って入った。

「皆扉の向こうでね、ミイラみたいな怖い人に会ってね、触ったらお砂になっちゃったの。お兄さんたちもお砂になっちゃう」

 辺獄、煉獄、触れたら砂……。俺の脳内にダイスが転がるような音が響く。

「……文章君、マンホールから

「え?でも帰らないと」

「カエリってなんでカタカナで書いてあると思う?」

 文章君はチラリと視線を扉の紙へと移す。眉間にしわを寄せ、そのしわがスッと無くなった時彼の顔色が悪くなった。

「カエリ、還り?」

「正解」

 パチンと指を鳴らして扉から距離を置く。

「辺獄は洗礼を受けなかった死者がたどり着く場所。煉獄は天国へ行く為に罪を清める場所。どちらも似たようで全然違う。砂になるということは、そもそも俺達が洗礼を受けていないから煉獄など渡れないからだ」

「で、でも、僕たち生きてますよね?」

「そう、だからモドればよろしい。マンホールは何処かね文章君」

「そこですけど……ほんとにそれで大丈夫なんですか?」

 俺は女の子の手を再び取って、示されたマンホールの方へ向かう。後ろの文章君に振り返らずこう言った。

「カエリたいならどうぞ。その先には塵埃を踏み歩くものが居るけどな」

「じ、じん……?も、もうわかりましたよ‼」

 後ろから文章君の駆け足が聞こえる。それが近寄ってきたところで手元に熱が籠った。ふと視線を落とすと、女の子が俺を静かに見上げていた。

「お父さんとお母さんの所にモドれる?」

「その為には記憶を頼りにする必要があるようだ。ちゃんとモドりたい場所にモドれるよう、日付け合わせからやってみよう。さて、今は何年の夏?」

「……39

 コロコロとダイスが転がる。 

和紙の手紙、年配の筆跡、拝啓黒山羊さ――

「2020年の夏ですよね?」

 横から文章君が顔を覗かせる。思わず驚いた俺は、彼に背を向けて避けてしまう。

「き、君はっ……マンホールを開けたまえ」

「……?」

 文章君は首を傾げつつ、マンホールを開く。縦穴に沿って底に繋がる梯子があって、中からは水が流れる音がする。我々が知っているマンホールと外見の構造は変わらないようで安心した。俺達は女の子を間に挟んで、慎重に梯子を下りる。底には水路があって、壁には小さな明りが等間隔に灯っている。進むには困らないだろうが、湿った匂いと水の音、薄暗い一本道の水路が多少の不安を煽ったのは事実だ。女の子が俺の手を握る力がより強まる。俺は女の子の手を握り返して、歩みを進めた。

 しばらく進むと、頬を生温い風が掠め始めた。遠くから、花火が上がって弾けるような音が聞こえてくる。どんどん人の声と、暖かさが感じられてくる。

「10月、楽しみだね」

 俺は女の子にそっと囁く。女の子はこちらには向かず、前だけ見て進んでいる。その真っ赤な瞳には賑やかな夏の祭りの風景が映し出されていた。

 俺は女の子の手を離す。すると女の子は紐が解かれたように前に駆けだした。その足はどんどん速くなって、一心不乱に腕を振りあげ頭の狐の面はズレて後頭部へと移動していく。手にぶら下げた金魚が振られて可哀そうだが、女の子はそんなことはお構いなしに、一生懸命に走って行く。女の子の姿がどんどん暖かな光に照らされて、表情はどんどん赤くなっていく。

「お母さん、お父さん」

 ドン――

 頭上で大きな花火が咲いた。その瞬間、俺達はデパートの屋上に来ていたことを思い出す。周りの人々はにこやかな表情で空を見上げていた。俺達はつられるように空を見上げる。打ちあがった花火は、先ほどまでの恐怖を忘れてしまうくらい、それはそれは綺麗だった。

「返事、書くか」


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

拝啓黒山羊さん お手紙は食べる前に読んでください。 這撫広行 @inkogasuki32

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ