第10話



 教会の勝手口を押し開けようとした寸前、マリアとミケーレは目配せをした。

 誰かが、教会の宿舎の中にいる。

 明かりが灯っていたからではない。この教会では、蝋燭は出かけている時に不用心だから、蝋燭をかたどった電灯を付けておく。窓から明かりが漏れていることは普通なのだ。

 それを抜きにして、確かに誰かの気配がある。殺気は感じないから敵対者ではなさそうだが、用心するに如くはない。

 何かと恨みを買うことの多い稼業だ。

 ドアの両脇に分かれ、マリアが鍵の開いていた扉を引いた。中の灯りが漏れる。そっと中を窺うと、


「今頃、お帰りかい?」


と、男の声が出迎えた。多少の訛りはあるが、流暢な日本語だった。そして、それはマリアには聞き覚えのある声であった。一瞬の後、マリアは相手から見えない位置まで顔を引いた。その顔を、嫌悪と辟易とした表情がかすめたのを、ミケーレは見逃さなかった。

 さすがのマリアにも、腹を括らないと会えない――つまり、会いたくない人物がいるらしい。


「いつ、こちらに? ヴォナッティ卿」


 マリアが宿舎の中に入りながら言った。ミケーレはドアの陰に隠れたまま、気配を消していた。マリアの知り合いのようだから、出しゃばらないようにしているらしい。そのまま、そっと会話に耳を傾けていた。


「昨夜だ。色々と情報を整理して、すぐさま、ここに来たというわけさ」


 ヴォナッティ卿と呼ばれた男は、特注で仕立てた豪華な修道士の衣装を着ていた。緋色の上等な上衣からしても、枢機卿カーディナーレの一員のようだ。年の頃は20代後半。細身で背丈はミケーレより僅かに高いくらいか。赤みを帯びた褐色の髪と、切れ長の眼をはめ込んだ細面の面貌は、鋭さも併せ持っていた。イメージ通りというべきか、声も僅かながら甲高い。

 若い身空で枢機卿なのだから、それなりに出来る人物か、家柄の出身なのだろう。


「相変わらず、危険な任務に就いているようだな。私の妻になれば、こんな任務ともおさらばだぞ?」

「その話は断ったはずです。パオロ・デ・ヴォナッティ卿」


 マリアは厳しい顔で、そう答えた。だが、パオロはなおも詰め寄ってきた。


「何故だ? こんな話はそうそうないぞ? 何が気に入らない?」

「そういうわけでは……」


 マリアはどう答えたものか、と言い淀んだ。以前から、言い寄られて難儀していたのだが、まさか、ここまで押しかけてくるとは思わなかった。任務に出ていれば、付き纏われずに済むと思っていたし、実際、これまではそうであったのだ。


 異端審問会のトップを務める枢機卿の1人であるものの、このパオロという男、評判は芳しくなかった。枢機卿であることを笠に着て、無理難題を押しつけたり、戦功をさも、自分の手柄のように横取りするだのと、したい放題であった。良家の出であるからなのか、自分より上に立つ者以外には傲岸不遜な態度を取り、自然、下の者たちからは嫌われ者であった。

 マリアを妻に――という話も本当のところは、風評を気にしてのことである。不幸な境遇の娘として教会にやってきたマリアを娶ることで、寛大な仁徳者という評判を得ようという魂胆であった。もちろん、マリアの美貌もあってのことである。

 そして、マリアも当然、その心底は察しており、だからこそ、固辞し続けているのであった。

 どうやって断ろうか、と考えあぐねているマリアを、煮え切らない態度と取ったものか、パオロはマリアに顔を寄せ、威圧的な口調で、


「本来であれば、お前など、私と口を利くのもおこがましいのだぞ。……


と、マリアに囁いた。いや、マリアを罵ったと言っていい。

 その時のパオロの顔付きは、たとえ小さな子供であろうと、一目で、この人は善人ではない――と判別出来るほど、醜悪であった。

 これがこの人物の本性なのであろう。

 マリアの顔が紅く染まった。それも当然である。かけられた言葉は、明らかに侮蔑の言葉であった。マリアが反論しようと口を開き、言葉が零れようとした、まさにその瞬間、


「もう、やめとけ」


と、ミケーレの声が流れた。2人のやり取りを見かねたのか、ミケーレが扉の傍に立っていた。


「お前さんは振られたんだよ。それ以上、付き纏ったら、みっともないぜ」


 パオロがミケーレを見やり、


「何ぃ……!?」


と、威嚇するような声を絞り出した。ミケーレはそれを物ともせず、


「鈍い奴だ。分からんかな? 嫌われてんだよ、お前さんは」


と、さらに捲くし立てた。パオロの顔が、見る見る紅潮していく。他人を罵倒することはあっても、されたことはないのだろう。我慢の臨界点は低いと見えて、身体が怒りに震えている。


「何だと~!? 貴様、何者だ!?」


 激高したパオロの怒声など、どこ吹く風――とミケーレは平然としたものだ。


「俺のことなんて、どうでもいいがね。そんなざまじゃ、とても枢機卿の器とは言えんな。お前さんにゃ、荷が勝ち過ぎる」

「な……、貴様!! 名を名乗れ!!」

「彼はミケーレです。ミケーレ・ヴェッキオ。ご存じでしょう?」


と、これはミケーレの代わりに答えたマリアだ。


「ミケーレ!? あの……?」


 ミケーレの名を聞いたパオロは、一瞬、戸惑ったように身を固くしたが、すぐに、低い笑いを漏らし出した。


「ふ、ふふふ。そうか、あのミケーレか。道理で……」


 そう呟いた後、マリアを振り返り、


「〝〟とはよく言ったものだ。半分とはいえ、やはり齢200を数える化物だな。――というわけか?」


と、見下すように、そう言った。マリアが俯き加減だった顔を上げた。その美しい面貌を、怒りが覆っていた。今度こそ、文句の1つも言わずにはおれなかった。

 自分のことはいい。しかし――。

 ――と、それより速く、


「おい」


と、ミケーレの声がした。それは何気ない声音のようでいて、しかし、呼びかけられたパオロが、ぎくり、として身じろぎ1つ出来なくなったのである。背筋を流れる冷たい汗を、パオロは感じた。背後のミケーレを振り返って、向かい合うことも出来なかった。顔を見ることすら、恐ろしい。

 パオロは唾を飲み込んだ咽喉が、ごくり、と自分で思っていたよりも大きな音を立てたのを聞いた。


「俺を何と言おうと構わん。だがな、お前さんと同じ教会に属するマリアを侮辱することは許さん。それは、背中を預けた相手に、後ろから斬られるに等しい」


 淡々とした口調。マリアには、それだけに、よりミケーレが怒っているのだと分かった。自分のために、パオロに腹を立てているミケーレが有り難かった。

 教会の仲間よりも、ずっと信頼出来る――。

 マリアには、それが嬉しかった。


「行け。ここは、お前さんが居ていいところじゃない」


 ミケーレが顎で、戸口を指した。〝出て行け〟と言っているのだ。


「わ、私にこのようなことをして、ただで済むと……」

「俺は教会の所属じゃない。お前さんの威光は利かんよ。だけどな、もしお前さんが、マリアに向けて権力を揮うなら、その時は容赦せんから、その心算つもりでな」

「な、何だと……」


 パオロが睨みつけようとしたが、ミケーレを見た途端に、怒気が抜けた。誰が見ても明らかに、〝ミケーレに怯えた〟――と映っただろう。


「くっ……」


 口を歪めたパオロが、逃げ出すように戸口から出て行った。悪態の1つも吐かなかったところを見ると、体裁を取り繕う余裕すらなかったようだ。


「やれやれ……。面倒な奴がいるもんだ」


 パオロを見送り、厄介事が増えたと言わんばかりに大きな溜息をつきながら、ミケーレが呟いた。そんなミケーレに近づきながら、


「ありがとう、ミケーレ」


と、マリアが静かに言った。


「うん?」

「私の代わりに怒ってくれて」

「ああ、いや。つい、腹を立てちまった。すまん。大人気なかったな」


 ミケーレは肩を竦めて、それから、


「悪かった。これでマリアに何かがあれば、俺の所為だ」


と、頭を垂れ、マリアに謝った。それにはマリアも慌てて、顔の前で両手を振り、


「う、ううん。気にしないで。彼もそこまではしないと思う。そんなことをすれば、自分が〝小物〟だって、言い触らすようなものだし。プライドの高い人だから、それはまず、ないでしょう」


 マリアはそう、パオロの人となりを冷静に分析して、言った。そんなマリアをミケーレはまじまじと見つめて、


「求婚されてた――とは驚きだ」


と、言った。優しい物言いであった。突然の言葉に、マリアは慌てて、


「なっ、何言ってんのよ!? あれは、私の見てくれだけが目当てなんだから! 見場みばが良ければ、誰だっていいんでしょうよ!!」


「ふんだ!」


 などとぼやきながら、そっぽを向いた。照れ隠しのようだ。


「いやいや、マリアを選ぶなんて、あの男、そこだけは見る目がある。カミさん選びの選択肢としちゃ、間違っちゃいないぜ?」

「んなっ……!?」


 予期せぬ台詞に、マリアが振り向いて、絶句した。あうあう、と言葉が見つからないその顔は、真っ紅であった。こんなマリアは、そうそう拝めない。


「教義で離婚は出来ないってのに、〝愛人〟なんてのじゃなく〝本妻〟に――ってんだから、奴なりに本気なんだろうぜ。まあ、やっこさんの場合、先ず人間がなっちゃいないがな。ま、それはともかく、俺としちゃ、本当はマリアには、こんな血生臭い稼業からは足を洗って貰いたいんだがな」


 ミケーレは娘を心配する父親のように、まったくこの世は儘ならんもんだ――と、呟いた。ただ、顔を紅らめるばかりで、口を閉じることも出来ないでいたマリアだが、その言葉にようやく我に返って、


「それは無理な話よ。私の手は血にまみれ過ぎてるわ」


と、冷徹な声音で言った。それを受けて、ミケーレも、


「そりゃあ、分かってる。だけどな、血塗れの手なら洗えばいいんだ。1度で落ちなきゃ、何度でも洗えばいい。100年も洗えば、少しは落ちるだろうさ」


と、気の長い話を返してきた。100年――とは不老である吸血鬼らしい意見だが、それをマリアにぶつけるとは、どういう心算か。しかし、マリアも、


「100年……か。そうかもね」


と、その案を吞むかのように、ぽつりと言った。口元には自然と、微笑が浮かんでいた。

 教会で孤立しがちなマリアを、教会に属さないミケーレのほうが理解し、案じてくれている。そういう人が1人でもいることは、マリアにはとても喜ばしいことだった。


「まあ、気長にやることだ。今さら、慌てることでもなかろう?」

「そうね。……ん?」


 そんなことを言い合っている最中、ミケーレは視線を投げかけ、マリアは実際に戸口まで歩いて行った。何者かの気配があったのだ。

 感じる気配は、扉の裏側。敵意は――ない。

 マリアが覗き込んでみると、沙月が座り込んでいた。


「沙月……?」


 マリアが声をかけると、沙月はようやく顔を上げたが、元気のない表情であった。どうも、具合が悪そうだ。


「こんな時間にどうしたの? 大丈夫?」


 屈み込んだマリアが抱き起こすと、


「あ……」


と、小さく声を上げ、


「おはよう……ございます。あの……ミケーレは……?」


 沙月は苦しげな声で、マリアにそう聞いた。


「いるぞ」


 2人の頭上から、声が降ってきた。ミケーレはいつの間にやら、戸口まで出て来ていて、2人を見下ろしていたのであった。


「どうした、沙月。苦しいのか?」


 そして、優しく沙月に声をかけた。しかし沙月は、ミケーレの顔を確認すると、また項垂れるように、顔を伏せた。


「どうだ? マリア」


 ミケーレはマリアに、沙月の状態を問い質した。


「ん……。良くはないわね。特に、教会ここは良くなさそうよ。家に連れ帰る方が良さそうね」


と、沙月の首筋を見やるマリアは暗い顔で、そう告げた。そこには2つの傷――噛み痕があった。


「教会で平気なのは、私たち少数だけよ」


 それを聞いたミケーレは、


「ああ、やっぱり、そういうことか」


と、静かに頷いた。ミケーレを振り仰いで、マリアは、


「沙月の家は知っているのでしょう? 連れて帰ってあげて」


 そう言って、ぐったりとしている沙月を抱きかかえ、立ち上がった。ミケーレは心情に反して、晴れやかに澄み渡った紺碧の空を見上げ、嘆息した。


「……やれやれ。結局、巻き込んじまったか」

「それについては、私に端緒があるわ」

「いや、それは違う。あの場に沙月がいたのは偶然だ。だよ」


 責任を感じ、落ち込むマリアに、ミケーレが言った。


、あの場に俺が〝怪物〟を追い込んじまって、、そこに沙月が居合わせ、、お前さんがナイフを投げたんだ。ただ、幾つも偶然が重なっただけさ。それだけだ。お前さんが責任を感じることじゃないんだよ」

「でも……」

「お前さんはどうも、何でも重く受け止め過ぎる。そんなに1人で、すべてを背負しょい込むこたぁないんだよ」


 その語り様は、まるで娘を諭す父親である。マリアは黙って聞いていた。

 それはあなたのほうよ――と、マリアは胸の内で呟く。

 仲間からは裏切り者と蔑まれ、助けたほうからは恐れられ、忌み嫌われる。

 それなのに、〝悲しい顔は出来るだけ、見たくないから〟――って、また他人ひとを助けるのよ――。

 すべてを1人で背負い込んで――。

 1人で出来ることなんて、たかが知れてる――とうそぶきながら――。

 誰からも理解されず、感謝もされず、報われることもなく――。

 あなたにかけられる労いの言葉は、すべて上辺だけ取り繕ったもので――。

 それでも――。

 そんなあなただから――。


「それに、まだ間に合うかも知れない。楽観的過ぎるとは思うがね。〝怪物〟を倒せば、沙月が元に戻る可能性だってあるんだから」


 そう言って、ミケーレは背を向けて、沙月を負ぶり易いようにと姿勢を下げた。



「くそっ……! 何だってんだ、あんな奴……」


 教会を出てから、パオロはそんな取り止めのないことばかりを口にしていた。ミケーレに対して怒っているのだが、文句の1つも言えなかった自分に対しても腹を立てていた。良家の出自故に、気位の高い男であったから、先ほどの体たらくは屈辱以外の何物でもなかった。


 ミケーレがマリアと旧知であるのは、噂で知っていた。ミケーレがマリアを教会に連れてきたことも聞いている。

 しかし、その2人の仲がいい――ということには承服しかねた。それが嫉妬であることは彼のプライドが認めなかった。自らの家柄と出自を自信の拠り所としているパオロは、自分はそんな感情は抱かないと、無意識のうちに、気持ちをねじ伏せたのだ。


 パオロは、自分がマリアに執着していることは自覚していた。それが、マリアに惚れているから――とは思っていないが、かつて、教会内で初めて見かけたマリアに、パオロが一瞬で心奪われたのは事実であった。

 それ以来、理由を見つけては、マリアのところに頻繁に顔を出していた。マリアが困惑していたことには、もちろん気付いてはいなかったが――。

 そんな彼だからこそ、自分の求婚をマリアが拒んだことは信じられなかった。求めれば、与えられる――ことが当然だと思い込んでいたのは、良家の跡取りとして甘やかされて育ったが故であった。祖父の代から3代続けて枢機卿を輩出した名家の自負もある。

 そんな自分が、けんもほろろに断られ続けている。

 今度こそ――と思っていた矢先に、マリアが任務で旅立ったと聞いた。パオロも仕事が片付き次第、向かうことにした。

 いつもと違って、追いかけて行けば、マリアの自分への認識を変えられるかも知れないと考えたのだ。

 ところが、そこでも予期せぬ事態が起きていた。それは、ミケーレがいたことだった。

 異端審問会に所属する別の枢機卿が、ミケーレに依頼したことは伝え聞いていたから、同じ任務で出向いたマリアとかち合うことくらいはあるだろう――とは想定していた。

 そもそも、マリアとミケーレは仲が悪く、ともすればケンカを始めてしまうと聞いていたから、安心しきっていたのだ。まったくの油断であった。


 とりあえず、自分の泊まっているホテルへと向かってはいたが、むしゃくしゃする気持ちのやり場が見つからない。怒りの矛先をどこへ向ければいいか、パオロにも分からなかった。手頃な石ころが落ちていれば、蹴っ飛ばしていたかもしれない。

 普段ならば清々しいはずの人通りのない早朝に、パオロはイラつきながら、ホテルへの道を進んでいた。そのずっと後ろを、肩に人形を乗せた少年が、付かず離れずの距離を保って追けていることに、パオロは気付いてはいなかった。



 心地好い、ゆったりとした振動に、沙月は眼を開けた。


「お、眼が覚めたか?」

「えっ? ミケーレ?」


 ミケーレの声に、眼をしばたたいた。状況が少しずつ理解出来てきた。自分はミケーレに負ぶさっているのだ。現在の状況は分かってきたが、そもそも、どうしてこのようになったのかが、思い出されない。

 確か――教会に出向いたはずだ。

 それから――?

 教会近くまで行ったら、気分が悪くなってきて、それでも何とか辿り着いたものの、それで精一杯。扉にもたれかかって休んでいたら、マリアが声をかけてくれたのだ。


「家に着くまで、眠ってていいぞ」


 ミケーレの声に、我に返った。沙月は戸惑いつつも、疑問に思ったことを問うことにした。

 ――したが、聞きにくいことだ。


「ミケーレ、あ、あの……ね」

「どこから、聞いてた?」


 ミケーレに先を取られ、逆に聞き返された。その問いかけに、叱られる前の子供のように、沙月の鼓動がどくり、と鳴った。身体も反射的に、ビクリとしたのだろう。


「ああ、怒ってるんじゃない。確認しただけだよ」


と、ミケーレに断りを入れられた。それで、緊張が少しだけ解れた。


「え……と……、マリアさんが、男の人にプロポーズ……されてるところ……から……かな」


 沙月は記憶を辿るように、視線を斜め上へ向けながら、そう言った。


「良い耳をしてるな。よく聞こえたもんだ」


 ミケーレが独り言のように、ぽつりと言った。その物言いには落胆の色が含まれていたが、沙月は気付かない。

 パオロがマリアにその話をしていた時、ミケーレは扉の裏にいたのだ。付近に沙月の姿はなかった。それは間違いない。

 いったい、どれほどの距離を隔てて、沙月はその話を聞いていたのか――?

 沙月が続けた。


「それから……」

「うん」

「なんか……200歳……みたいなこと」

「うん」


 言ったものか――と沙月は躊躇いがちに言ったが、ミケーレはさらりと受け止めた。あまりにあっさりとミケーレが相槌を打ったものだから、沙月のほうが、きちんと話を聞いていてくれたのか、と疑ったぐらいだった。


「ほんと……?」

「……」


 ミケーレは少し黙った後、小さく息を吐いて、


「ああ」


と言った。沙月は途切れ途切れに、口を開いた。


「え……だって……。マリアさん、若いじゃない。10代にだって見えるのに……」

「俺はいくつに見える?」


 ぽつりと問うたミケーレの声に、その質問に、沙月がハッとした。

 思い出したのだ。

 そうだ、ミケーレは――。


 今も、間近に迫った初冬の寒気を肌で感じる早朝に、暖かな陽射しを浴びる中を、沙月を背負って歩いていたり――とらしくない行動ばかりで忘れがちになってしまうが、ミケーレは吸血鬼で、不老不死の存在である。そのことを思い出しはしたものの、やはり違和感を覚えて、沙月は苦笑した。それを知ってか知らずか、ミケーレは言葉を繋ぐ。


「つまり、そういうことさ。マリアのを見たかい? 気付かなかったかも知れんが、あの娘の影はより薄いんだ。マリアにいろいろ聞いたんだろ? 母親の話はしなかったかい? あのは吸血鬼と人間の母親との混血なんだ。この国なら〝ダンピール〟と言えば、分かりやすいのかな? それはともかくだ。俺があの娘と初めて会ったのは、200年以上も前だ」


 ミケーレは静かに言った。口調は穏やかだが、何だか寂しげでもあった。

 まるで、のに――と言うように。


「俺がマリアの村をある事件で訪れた時、あの娘はまだ9つだったよ。教会に預けて10年もしないうちに、あの娘の成長は止まった。まあ、その時はそうだとは思ってなかったんだが、あの娘が初の任務の折、怪我をしてね。普通なら死んじまうくらいの大怪我さ。でも、あの娘は死ぬどころか、すぐに治っちまった。傷跡も残さずにね。それではっきりと分かった。それ以降、マリアはあのままさ。あの娘は身体能力の優れたtipaティーパ――タイプでね。本当の父親が誰かは知らんが、そいつがその口なんだろうな。そのせいか、特殊な能力なんてのは、さ。使えるのは簡単な〝結界〟くらいかな。それも護符を使ってだからな。他は……うん、そうだな。いろいろと回復が速い程度か」


 最後のところはどことなく、自慢の娘の話をする父親のように思えて、沙月は自然と口元が緩むのを感じた。


「マリアの素性は、教会でも知れ渡っていてね。上役の大半は苦々しく思ってる。

〝役に立つから使ってる〟――ってとこだ。さっきの男もその口さ。部下や同僚になると、まあ……半々だな。マリアは優しいし、よく気が付くからな。世話を焼いてやることも多いだろうから、人柄を知った者はマリアを好いてくれるようだ」


 学校での我が娘を心配する父親みたい、と沙月は微笑んだ。ミケーレはそこで言葉を一旦切り、


「上役には恵まれんことが多いようだが、何とかやってるみたいだ。まあ、マリアについちゃ、こんなとこだ。他に聞きたいことはあるか?」


と、沙月に聞いた。問われた沙月は、「う~ん」と小首を傾げた。あったような気がするが思い出せない。


「思いつかないなら、大したことじゃないんだろうさ。それに、もう家だ」


 ミケーレの声に、沙月は前を向いた。確かに自分の家だ。玄関前まで来てミケーレは、負ぶっていた沙月を降ろすと、


「1人……じゃ、無理そうだな。鍵は?」


と、聞いた。沙月が多少、フラフラしていたからだ。まだ足元が覚束ないようだ。


「あ、ここに」


 沙月が慌ててポケットから鍵を取り出すと、ドアのロックを外した。その途端、ミケーレがまた沙月を抱き上げた。沙月は突然のことに、顔を紅らめた。

 

「だ、大丈夫よ……」

「無理するな。頼れる時は頼ればいいんだ」


 ミケーレは降ろすように懇願する沙月を無視して、そのまま玄関に入った。


「沙月の部屋は?」

「あ、う、上……2階」


 抱き上げたまま、器用に沙月の靴を脱がし、自分も靴を脱ぎ、ミケーレは階段を上がった。


「そこの部屋」

「入ってもいいのか? ここまでにしとくか?」

「あ……、大丈夫。入って……」


 こくりと頷く沙月を抱いたまま、ミケーレは部屋へと入った。昨夜出かけた時のまま、教科書やら、参考書が載ったままの勉強机、それからベッドが窓際に置かれており、本棚が2つ。衣類はクローセットの中だろう。ベッドの上にぬいぐるみがあったり、棚に可愛らしい小物が置いていたりと女子高生らしい部屋だった。

 ミケーレはベッドに近づきながら、


「着替えるなら、出てるぞ」


と告げた。沙月は頬を染めながら、


「いい。このままで……」


と答えた。ミケーレは沙月をベッドに降ろすと、布団を掛けてやった。

 降ろす時に沙月が一瞬、ミケーレの首元に眼を見開き、大きく口を開け、噛みつかんばかりだったことにミケーレは気付いていたのか。

 それとも、すっ呆けているのか。

 だが、それも一瞬の出来事で、沙月はベッドの中から、ミケーレを見つめた。普段通りの表情だった。そんな沙月のおでこに手をやりながら、


「じゃあ、ゆっくりと寝てろ。鍵は掛けた後で、新聞受けに入れとくよ」


と、ミケーレは優しく声をかけた。


「う、うん……」


と、答える沙月の頬が、さらに紅らんでいた。目を瞑ると、睡魔が襲ってきた。ミケーレが見ている間に、ゆっくりとした寝息が聞こえてきた。それを確認すると、ミケーレは部屋を出て、階を下りた。居間を、開いているドアから覗いた。留守番電話にメッセージが残されているのか、赤い『留守』と表記されたボタンが点滅を繰り返している。液晶部分を見れば、1件のメッセージとある。さすがに勝手に聞くわけにはいかないし、もちろんミケーレにもその気はなかった。

 が、何か確信めいたものを感じたのか、再生ボタンを押した。ピッ、と電子音がして、メッセージが再生される。


『おはよう、沙月。父さんだよ。残念ながら、今年も年末年始は帰れそうにない。1人で寂しい思いをさせてるが、我慢しておくれ。来年度――4月からはそっちに戻れることになったから、それまでは苦労をかけるな。また電話するよ。じゃあ』


と、聞けば、そんな内容の伝言であった。メッセージを聞いている間、ミケーレは微動だにしなかったが、やがて、沙月が寝ている2階の部屋を見透すように振り仰いだ。

 その顔を暗い影が覆っていた。

 それは、これから起こるであろう出来事を憂いてか。

 メッセージを聞き終わり、留守番電話の状態が元通りであることを確認すると、今度こそミケーレはそっとドアを閉じ、玄関で靴を履き、鍵を閉め、ひっそりと出て行った。 



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