第11話



 教会にミケーレが戻ってきたのは、9時も近かった。

 開け放たれた大扉から、大勢の人が出てくる。ミサが終わったのだろう。しかし、出てくる人たちを眺めていると、その男女比は、圧倒的に男性が多かった。年齢も比較的、若い。その中には、蕩けるような顔をした者も少なくなかった。そんな彼らは普段から信仰しているのか、疑わしそうな人物たちが多く含まれていたのだ。

 マリアの所為であろう。

 今週のミサは臨時で美人のシスターが行う――という情報が飛び交ったらしい。お目当てはマリアというわけだ。当のマリアが最後の人を見送りながら、扉の所まで出てきた。

 その様子を見ていたミケーレに気付き、


「お疲れ様。沙月はどう?」

「出てくる時は、眠ってた」

「そう」

「説教は終わったのか?」

「ええ」

「盛況だったみたいだな」

「そうかしら。いつも、こんなものよ?」


 マリアが小首を傾げた。何気ない仕草がとても愛らしい。それを見たミケーレが、ふっと微笑みながら答えた。


「それはお前さんだからだよ」

「ん?」


 マリアが微笑を湛えて言う。


「人徳じゃない?」

「まあ、そういうことにしておこうか」


 ミケーレの返答に、柔らかく微笑む。

 マリアの金色の髪が、僅かにそよ吹く風に揺れていた。朝の陽射しに金色の髪が煌めいて、天使と見紛うばかりだ。こんな微笑で説教されれば、誰もが、教義を守る気になるだろうし、若い男連中は呆けてしまうだろう。そこまで話をして、ミケーレはマリアが頭衣を付けていないのに気付いた。


「そういや、頭衣はいいのか?」

「いいのよ。私の座右の銘は、〝臨機応変〟なんだから」

「気が合うな。俺の座右の銘は〝行き当たりばったり〟なんだ」

「……。まあ、いいわ。朝御飯にしましょうか」


 冗談とも本気ともつかぬミケーレの言葉に、マリアは一瞬の沈黙の後、微笑みながら、そう言って、奥へと戻った。それを見たミケーレは、柔らかくなったもんだ――と胸の内で呟きながら、マリアの後を追った。



「はい、どうぞ」


 テーブルに、カフェ・ラテを淹れたカップを置きながら、マリアが言った。宿舎のテーブルには、Cornettiコルネッティ――たくさんのクロワッサンが載った皿とバター、ジャムが置かれ、リンゴやオレンジ等の様々なフルーツが駕籠に盛られている。ブルーベリーソースを添えたヨーグルトもある。


「ああ、ありがとう」


 ミケーレが感謝の言葉を述べた。小皿にクロワッサンを取り分け、バターに手を伸ばす。マリアも席に着くとクロワッサンを取り、リンゴを手にすると果物ナイフで皮を剥き始めた。手際よく皮を剥くと4つに切り分けて芯を取り、小皿に載せて楊枝を刺した。


「はい、これも」

「お? おお」


 バターを塗ったクロワッサンを咥えながら、ミケーレが頷いた。意外にも子供っぽい仕草に、マリアが顔を綻ばせた。真似するように、マリアもジャムをクロワッサンに挿み込み、大きな口を開けて食べた。こんな美味しい朝食は久しぶりだった。


「ん、美味しい」


と、マリアは嬉しそうに、口にした。

 

 

 宿舎のドアの取っ手が音も立てずに回るのと、2人がそちらへ向くのとは、ほぼ同時であった。食事の手を止め、ドアを見つめる2人の前に、静かに姿を見せたのは、全高40センチほどの、碧い瞳と金の髪をした、紅いドレスを纏う小さな人影。〝人形使い〟が連れていた洋人形であった。


「〝人形使い〟の人形か。〝使〟……かな」

「何か、御用かしら?」


 ミケーレの呟きを受けて、マリアが洋人形に問いかけた。


「初めまして。そちらの方とは2度目ね」


 紅色の唇から零れるのは、愛らしい声だった。その人形はドレスの裾を摘まむや、優雅に一礼して見せた。にこりと微笑む顔も美しい。

 ミケーレは食べかけのクロワッサンの残りを口に入れた。しばらく、むぐむぐとやった後、カフェ・ラテで流し込む。そうして、


「ほう」


と、感心したように唸った。

 思っていたよりも出来がいい。人形使いがわざわざ連れている洋人形だから、これが武器であろう、とかつて2人は予想した。肩に載せるだけの愛玩用ではないだろう――と。

 逆に言えば、見た目はともかく、中身は無骨な造りなのではないかと想像していたのだ。

 それが〝お使い〟とはいえ、単独行動をとり、あまつさえ状況を自己判断出来るとは意外であった。


「なかなかに出来がいいな。他には何が出来るのかねえ?」


 洋人形の正面に向かって座り直し、腕を組んだミケーレは片方の手を顎にやり、意味深長に呟いた。洋人形は、こちらも含みを持たせた微笑を浮かべ、


「さあ? どうでしょうね」


と、返した。その言い方と雰囲気からすると、まだ何かありそうだ。


「……で? 結局、何の用なの?」


 大きな吐息を吐いて、マリアが先を促すように問いかけた。痺れを切らせたわけでもないのだろうが、本題から話が逸れそうだったので、口を挿んだようだ。


「ああ、そうだったわね」


 洋人形が勿体を付けて、マリアを見た。どこか、対抗心を持っているかのような対応である。笑顔ではあるが、眼が笑っていない。マリアを煽っているようにも見えた。

 その態度に、マリアの眼がすう……と細められた。冷めた半眼で洋人形を見ている。

 こちらも、売られた喧嘩なら、買う口だ。

 不穏な空気が流れ、緊張が高まるかと思いきや、洋人形があっさりと口にした言葉が、場の剣呑な雰囲気をころりと変えた。


「我が主からの伝言です。〝手を組まないか?〟との仰せです」

「うん?」

「え?」


 ミケーレとマリアは顔を見合わせた。意外な申し出であったからだ。それから、


「それは〝人形使い〟からの提案ということでいいのかな?」


と、聞いた。洋人形がそれを受けて、答える。


「はい」

「〝怪物〟とジル・ド・レエを――と言うのね?」

「そうなりますね」

「何故だ?」

「は?」


 ミケーレの疑問に、洋人形が間の抜けた声を漏らした。真意を図りかねたような洋人形に、もう1度ミケーレが問うた。


「それで〝人形使い〟に、どんなメリットがある?」

「ああ、そういうことですか」


 洋人形は質問の意味に頷いて、〝人形使い〟からの提案について、説明を始めた。


「〝怪物〟がヴァティカンから〝キリストの肝臓〟を奪って逃げたことが、今回の諍いのそもそもの発端ですが、その力を〝怪物〟が独り占めしようとしているようでして。それを察した主が危惧を抱いた――というのが、この提案の内情です。ジル・ド・レエについては〝怪物〟側に付いているので、もののです。あの方は決して、〝怪物〟を裏切ることは出来ませんから」

「奴には奴の目的があるからな。ところで、マリア。〝キリストの肝臓〟ってのは眉唾物じゃなかったのか?」

「そのはずだけれど……。もっとも、私も実物を見たわけではないから」


 マリアが肩を竦め、歯切れの悪い、困ったような声を出した。マリアとて教会のすべてを知っているわけではなく、また知らないことは答えようもない。


「それについてですが、喰らったらしい〝怪物〟が、〝〟したようだ、と主は仰られています」

「〝脱皮〟?」

「はい。そう伝えれば分かる……と」

「〝脱皮〟……な。それなりの効果はあったということか」


 ミケーレがぼんやりと遠くを眺めるようにぼやけば、マリアが思案顔で呟く。


「――ということは、〝怪物〟がこの街に潜んでいる理由が無くなった?」

「その通りだが、このまま俺たちに、うろちょろされるのも目障りだろうし、邪魔な俺たちを消してから、行方を晦ませる――かもな」


 ミケーレがマリアを見やって、答えた。確かに、その考えもあり得る話だ。


「そこで、主が〝怪物〟を誘き出しますから、お2人に仕留めて頂きたいのです」


 策を提案する洋人形に、ミケーレがもう1度、問い質す。


「最初の質問だ。俺たちが〝怪物〟を仕留めて、それで〝人形使い〟にどんなメリットがある?」

「……」


 洋人形は口籠った。〝人形使い〟に聞いていないのではないだろう。明言出来ないだけなのだ。じっ、と洋人形と見つめあった後、やれやれ、とばかりに大きく息を吐いて、ミケーレは軽く頷いた。

 腹は決まったらしい。


「まあ、いいさ。何を企んでいるのかは知らんが、〝怪物〟を誘き出してくれるのなら、捜す手間が省ける。協力しよう」

「いいの?」


 マリアが複雑な面持ちでミケーレに聞いた。信頼するに値するのか、と言外に問うているのだ。とはいえ、どうも今回の交渉の決定権は、ミケーレに委ねた感がある。今のマリアの言葉にしても、ただ確認したに過ぎない。


「ああ。〝人形使い〟だって、〝怪物〟を仕留めるまでは裏切らんだろうさ。それでは、接触してきた意味がない。ま、信用出来るのは、〝怪物〟を倒す瞬間までなんだろうがね」


 そう言ってミケーレは、小さな洋人形に手を差し出した。洋人形も苦笑と言っていい表情を浮かべながら近づき、小さな手でミケーレの人差し指を握った。またも、洋人形を見透かすように、じっと見つめていたミケーレが、


「さて、これからどうする?」


と、問うた。それを受けて、洋人形がにっこりと微笑んで答えた。


「はい。こちらの手筈はお任せ下さい。あとは、時間と場所ですが……」



 ふと、眼が覚めた。

 沙月はぼんやりと周りを見回してみたが、辺りは薄闇で覆われていた。自分のベッドで眠りについたことは覚えているが、どれくらい眠っていたか、さっぱりわからない。窓には遮光カーテンが念入りに掛けられていたし、ミケーレに送られてから泥のように眠っていたから、今が昼なのかどうかも判然としなかった。


「もう、こんな時間……」


 机の置時計を見れば、5時を回っている。8時過ぎに戻ってきたから、少なくとも、9時間ほどは眠っていたようだ。そのくせ、この身体の怠さは回復が遅いのか、眠り過ぎたからなのか――。

 起き上がるのが、億劫だった。昨日、出かけた時の服装のまま眠っていたから、さすがに着替えたかったが、それすらも億劫であった。そのままベッドで微睡まどろんでいると、またぞろ、眠たくなってきた。

 いつしか、沙月は寝息を立てていた。意識がなくなる前に、


 〝あの男の人を、自分のモノにしたくありませんか?〟

 〝自分だけのモノにしたくないですか? 出来ますよ?〟


 そんな声が、頭のどこかで鳴っている気がした。

 、誰かに囁かれているような、そんな感覚。

 そして――。

 沙月はむくりと上体を起こし、起き上がった。その眼差しに意思の光はなく、虚ろなままであった。幽鬼のような足取りで玄関に向かい、それでも靴はしっかりと履くことを忘れずに、ドアを開けて、夜が支配し終えた世界に出て行った。




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