第9話



「あん?」


 そう告げられたミケーレは、当惑したような顔をした。いや、心底困っていたのだ。

 けして色恋沙汰に疎いわけではないが、沙月をそんな対象とは、まったくもって見ていなかったからである。ガリガリと頭髪を掻きながら、


「そりゃあ……。う~ん」


と、考えがまとまらない様子だ。それから、


「……関わり過ぎちまったかな」


と、星空を仰ぎ見て、ぼそっと呟いた。そんな様子を見ていたマリアは、どこか嬉しそうな感で、ミケーレに言った。


「あら、お困りのようね」

「まあな。沙月も、まだ高校生だ。吸血鬼――なんて、非日常的なもんに魅かれてるだけなんだろうがな」


と、夜空を見つめたまま、マリアに答えた。


「特には、何もしない……と?」

「それで問題ないだろう。そもそも、ここには仕事で来ただけで、それが済んだら、またどこかへ行っちまう。それだけさ」


 それで終わり――とミケーレは言った。それで、もう2度と会うこともないだろう――と言うのだ。所詮、


「人間が吸血鬼に惚れたって、碌なことがないさ。逆もだけどな」


と、達観しているように言った。ミケーレはこれまで、それだけの事例を見てきたのだろう。そして、その結末もまた――。


「そう。さよならも言わずに、消えるの?」

「そのほうがいいな。余計な未練は残さないほうがいい」


 また、損な役回りを引き受ける気なのね――。


 マリアはそっと、胸の内で呟いた。

 あなたはいつも、他人ひとのことを気遣ってばかりで――。


「悲しむわよ」

「一時的な物さ。すぐに忘れる」


 ミケーレはそう言って、路地の入口に向かって歩き始めた。マリアも追う。すぐに並んだ。


「まあ、吸血鬼なんぞと付き合えるのは、お前さんくらいなもんさ」

「えっ!?」


 突然のミケーレの発言に、マリアがどぎまぎして聞き返した。


「どっ、どど、どういう意味っ!?」

「吸血鬼がどういうもんか、分かってなきゃあ、付き合えないだろう? その点、お前さんは吸血鬼をよく見知ってるからな」


と、マリアを横目で見ながら、ミケーレは言った。


「ああ、そういう意味……」


 ほっ、と胸を撫で下ろしながら、マリアは落ち着こうと努めた。まだ、少し鼓動が速い。顔が紅くなっていなければいいが――。


「そうね。私なら、どう対処すればいいか、分かってるものね」


 澄ましたていでマリアはそう言いながらも、しかし、どこか拗ねた風でもあった。それにミケーレが気付いていたのかどうか、窺うことは出来なかった。ちらりと見えた口元に、微笑が浮かんでいたように思えたのは、気のせいか。


「〝怪物〟も今日はもう、動かないかな?」

「う~ん、そうでしょうね。少なくとも〝怪物〟本人は、私たちの前には現れないでしょう」


 ミケーレの問いかけに、マリアも瞬時に真面目な返答で返した。そこはプロである。切り替えは速かった。さらに腕を組んで考え込んで、


「ただ、仲間がどう動くか……ね」


と、言った。ミケーレも頷き、


「同感だ。どうする? もう少し、うろついてみるか」

「そうね。何か暗躍してるかも知れないし……。もう少し、探ってみましょうか」


 そう言って、2人は並んで路地裏を出て行った。



「すみません。ちょっと、よろしいですか?」

「えっ?」


 もう100メートルも行けば家に着くというところで、沙月は声をかけられた。晩秋の午後の6時も過ぎれば、辺りは真っ暗だ。街灯の明かりだけが煌々と付近を照らしていた。

 ぼうっ、と考え事をしながら歩いていた沙月は、不意を突かれた。


 振り返れば、20代後半か、30代くらいの男性が声をかけてきたのだった。服装は……膝上までの黒いコートで、よくは分からない。パッと見では悪人に見えない面貌だが、今時、そんなことだけで判断は出来ない。

 沙月は用心しつつ、応対した。いつでも逃げ出せるようにしながらだ。しかし、家が近い場所で声をかけられたことは、実に微妙だった。いざ逃げ込むには良いが、それはそれで家を確認されてしまうからだ。以降、付き纏われたりするのは頂けない。


「何か?」

「ああ。いえ、大したことではないんですが……」


 そんな沙月の不安も知らぬ気に、男は気さくな感じで話しかけてきた。


「はあ……」

「昨夜、男の人と一緒でしたよね?」

「え……?」


 沙月は何のことを言われているのか、咄嗟には分からなかった。


「昨日の夜ですよ。男の人といたでしょう?」

「え、と……?」


 男を訝しんで、沙月は曖昧な返事を返した。どうやら昨夜、ミケーレといたことを言っているようだが、どうして知っているのか――。

 男に見覚えがないか、沙月は男の顔をじっと見た。にこやかに話しかけてきたが、その眼が笑っていないことに沙月は気付いた。背筋に寒気が疾った。

 この眼は――。


「その男の人を、自分のモノにしたくありませんか?」


と、男は言った。沙月を覗き込むように、男はこちらを見つめている。


「え……?」


 この人は何を言ってるんだろう――?


「自分だけのモノにしたくないですか? 出来ますよ?」


 自分だけのモノに――?

 沙月は自分の声を遠くに聞いた気がした。

 ミケーレを――?

 気付かぬうちに、マリアへの嫉妬と対抗心も湧き上がっていた。

 恨んでいる、とマリアさんは言ったじゃない――。

 そんなマリアさんになんか、ミケーレを渡すものか――!!



 黒騎士ジル・ド・レエが暗闇の隠れ家に戻った時、そこには誰も居なかった。少年――〝人形使い〟が出かけるのは見ていたが、ジル・ド・レエが出た後に〝怪物〟もどこかへ行ったらしい。

 ひっそりと静まり返る隠れ家で、ジル・ド・レエは重い身体を壁にもたせかけた。斬られた左腕が、じりじりと焼けるように痛む。吸血鬼の治癒能力を持ってすれば、失った腕の再生は無理としても、痛みはないはずであった。

 それが痛む。


「あの女……」


 ジル・ド・レエは忌々しげに呟いた。このようなことは、これまでなかったのだ。ただの異端審問会の女ではないな――と、ジル・ド・レエは考えていた。疲れた身体を休めていると、少年が帰ってきた。少し微睡んでいたが、かぶとの中で閉じていた眼を開き、ジル・ド・レエは少年を見た。


「おや、どうしたんだい? 始祖にやられたのかい?」


 少年はジル・ド・レエを心配して聞いたわけではない。情報を得るためである。本当にそれだけだ。他意はなかった。敢えて言えば、からかうくらいの気持ちだった。


「いや、異端審問会の女だ。油断したわけではなかったのだがな」


 重い声でジル・ド・レエは正直に答えた。こんなことは秘す必要もない。


「異端審問会の……?」


 少年は静かに呟いた。マリアのことか?――と、少年は思った。少年にとって、異端審問会で注意すべき人物など、数えるほどしかいない。マリアはその数少ないうちの、さらに、ただ1人の〝〟であった。直接、まみえたことは未だなかったが、噂には聞いていた。出来るなら、手合せしたくない相手である。

 だが、少年はマリアのことをジル・ド・レエに教えるつもりはなかった。情報は独り占めしてこそ、先んじられるというものだ――と、少年は思っていた。

 ミケーレと関係があると思われる娘とマリアがいたのを見たが、自分が別の手を打ちに離れた後で、ジル・ド・レエと相見えたのか。なら、ミケーレとマリアは手を組んでいるな――と少年は結論付けた。ジル・ド・レエがミケーレ、マリアの2人と一戦やらかしたことまでは知らなかったから、少年は自分だけが有利な情報を握っていると思い込んだ。


「ふうん……」

「何か、知っているようだな」

「いや、大したことは知らないよ。手練れの女がいる――って噂を聞いていただけさ」


 少年はとぼけようかと思ったが、ジル・ド・レエを誤魔化せるとも思えなかったので、一部を教えることにした。そのほうが、すべてが嘘よりも、信憑性が増すものだ。


「かなりの仲間が殺られた――って聞いてるよ」

「そうか。あの女、それほどの手練れだったか」


 その声には、賛辞の感が含まれていた。好敵手に巡り合えたような、そんな呟きだった。どこか嬉しそうだ。


「それより、〝怪物〟はどこに行ったの?」

「戻ってきた時にはいなかった」

「まさか、逃げたんじゃ……」


 少年の声に、やはり、と言った響きが加わった。


「ないとは言えないな」


 ジル・ド・レエも即座に否定することは出来なかった。〝怪物〟が何を考えているかは、彼らにも分からない。


「そう言えば……」


 ジル・ド・レエは〝怪物〟がいつも蹲っていた辺りを見た。床に何かが散らばっている。ごわごわとした黒い塊だ。それも多数、ある。ジル・ド・レエの様子に気付いた少年も不思議そうな顔で近づいて、それを見た。


「これは……?」


 しかし、よくよく見れば、塊というよりは殻に近い。しかも、これは抜け殻だ。バラバラに砕けた抜け殻のようである。


「脱皮した?」

「その表現がピッタリとくるな。しかし、何になった?」


 少年とジル・ド・レエは、顔を見合わせた。



 ミケーレとマリアは、あれから空が白むまで、街をずっと駆け回っていた。

 当初は、ジル・ド・レエが退いた時点で〝怪物〟側の動きはないだろうと予想していた。だが、いざ街を調べてみると、〝怪物〟側の者によるであろう眷属――即ち、生ける死者が複数、発見されたのである。この眷属たちは最下層――ただの食料・隷属としての存在であり、特筆すべき能力などはないが、放っておくと、血に飢えた死者が別の者を襲い、ねずみ算式に眷属が増えていくことになる。

 そのために2人は、見つけた眷属たちを片っ端から、始末する羽目になったのである。


 眷属たちの捜索は、生ける死者たちが活動を停止する明け方まで行われた。二手に分かれて街を捜索した結果、合計12体の死者を発見し、始末した。それらは死者であるため、すべて首を刎ねた。生ける死者である眷属を殺すには、首を刎ねるか、心の臓を刺し貫くしかない。今回は手っ取り早く、しかも確実に活動停止を狙える首刎ねを採用したのである。

 今、夜明けを迎え、2人は二手に分かれた時、落ち合う約束をした場所で、再び合流したのであった。


「どうだった?」

「見つけた奴らは全部片付けたけど、陽が昇ったからね。他の奴らは隠れたんじゃないかしら」


 これ以上は無理ね――と、マリアは肩を竦めた。ミケーレも頷き、


「そうだな。今日のところは、ここまでか」

「続きは、また今晩ね」


 連れ立って歩きながら、2人はそんなやり取りをしている。それだけ見れば、友人同士か、会社の同僚の会話みたいな風だが、その内容はと言えば、かなり物騒な話をしているのである。


「そうだ、ミケーレ。行くところの当てはあるの?」

「いや。まだ、決めてない。まあ、どうとでもなるだろ」

「じゃあ、教会を使う? ミケーレなら、寝泊りには不自由しないでしょ」


 マリアは、吸血鬼でありながら、ミケーレが教会や十字架をものともしないことを指して言っているのだ。う~ん、としばし唸ってから、ミケーレは頷いた。


「では、お言葉に甘えるとしよう。あそこなら、美味いマッキャートも頂けるしな」

「ま、そんなものでよろしければ」


と、笑顔でマリアも返した。ミケーレもまた頷き返し、こう言った。


「じゃあ、帰ったら、さっそく淹れてもらおうかな」

「はいはい」


 そう返事を返すマリアは、どこか楽しそうであった。



 何をしていたのか、思い出すことが出来なかった。

 気が付けば、リビングでぼんやりと立っていた。昨夜来ていた服のままで――だ。それまでのことが記憶にない。僅かに覚えているのは、家の近くで男に声をかけられたところまでだが、その男の顔も定かでない。

 窓から差し込む朝陽の光で、ふと我に返ったのだ。もしかすると、一晩こうして、ぼんやりと立っていたのかも知れない。


「あれ、なんでこんなとこに……?」


 曖昧な記憶の回復に努めたが、やはりはっきりとしないので、諦めた。それより、昨夜は何故出かけたのかをようやく思い出した。

 教会のマリアに会いに行ったのだった。


「今なら、ミケーレもいるかな」


 ミケーレと会えないか、と沙月は知らず知らずのうちに期待していた。

 ミケーレとマリアを和解させる――。

 大義名分としてはそうであったが、2人を和解させたくない。

 心のどこかで、そうも思っている自分に、沙月は気付いていなかった。

 昨夜の男に焚き付けられた様々な心の動きに自分でも気付かぬままに、沙月は教会を訪れるため、再び家を飛び出した。



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