第6話


「終わったわよ。ミケーレ」


 講習が終わると沙月は、せっかくの土曜日だからどこかへ行かないか、という友人達の誘いを断り、一目散に校庭の榎の下へとやって来た。梢を見上げ、そう声をかけた。


「お、早かったな」


と、ミケーレは梢の上からでなく、太い幹の反対側から現れた。


「あら、上にいるのかと思ってたわ。そんなとこで何してたの?」

「クラブ活動を見てた」


と、校庭を走り込む陸上部らしき生徒や、軽快なバットの打撃音を響かせる野球部員らを見やり、ミケーレはそう言った。まだ、土曜日の午後2時過ぎだ。運動系のクラブ活動は真っ盛りの時間である。

 ミケーレは沙月に向きなおり、


「わざわざ、すまんなぁ」


と、頭を掻きながら、沙月に詫びた。


「え!? いやいやいや、謝んなら、あたしの方だから! こんな時間まで待たせちゃって……」


 沙月は両手を振って、ミケーレに謝らないよう、言った。


「えっと……、じゃあ、行きますか。ちょっと遠いですけど……」

「ああ」


と、2人は連れ立って、歩き出した。のんびりと散歩を楽しむくらいのスピードで歩きながら、沙月が切り出した。


「あの……。マリアさんとは長い付き合いなんですか?」

「うん?」

「あっ、いえ、付き合いというか、知り合いというか……」

「ああ。……そうだな。もう、かなり長い付き合いになるな」

「マリアさんと仲がいいですよね。羨ましいくらい」


 そう言った沙月の顔を、ミケーレはしばらく黙ったまま、見つめた。急に立ち止まったミケーレを、沙月はきょとんとした表情で振り返った。


「どうしたんです?」

「いや。仲が良さそうに見えるか?」


と、歩き出しながら、ミケーレが聞き返した。ミケーレが横に来るのを待ってから、沙月も歩き出し、


「ええ。とっても。恋……気の置けない友人みたいですよ」


と、言った。変な言い回しをしてしまった、と沙月は自分で思った。マリアのことを意識し過ぎているのかも知れない。しばらくの間をおいて、


「俺は、あいつに恨まれてるからな」


と、ミケーレがぽつりと言った。

 本当に、独り言のように――。

 沙月が一瞬、何のことを言っているのか、と思ったくらいに自然な口調で、何気ないことを洩らしたように、そう言ったのだ。


「恨む? ミケーレのことを恨んでるんですか? マリアさんが?」

「ああ」


 自嘲気味な表情のミケーレを、沙月は見つめて、


「どうしてなんです?」


と、問うた。聞かずにいられなかった。あんなに楽しそうだったのに。沙月はもう1度、聞いた。


「どうして?」

からさ」


 前を向いたまま、ミケーレがそう言った。


「あいつの両親を、俺が殺したのさ。あいつが恨むのも当然だ。あいつを独りっきりにしたのは俺なんだ」


と、ミケーレは淡々と口にした。とんでもない内容に、沙月は言葉を失った。何て言ったらいいのか、分からなくなった。ようやく、


「本当にミケーレが……? 何か理由わけがあったんでしょう?」


と、問い質した。きっと、そうした理由があるに違いない、と思いたかったのかも知れない。

 だが、ミケーレは穏やかな微笑を浮かべるだけで、何も言わなかった。言いたくないのか、言えないのか、言う心算つもりがないのか――。

 今度こそ、沙月は何も言葉を継ぐことが出来なくなった。これ以上は触れてはいけないのだと、漂う雰囲気で感じ取れた。


 その後は、2人とも黙ったままで、家路を歩いた。時おり、子供たちが数人、笑い声を上げながら、通り過ぎて行った。その様子をミケーレは優しい顔で見やっていたことにも、沙月は気が付かなかった。

 しばらくして、


「恨まれちゃいるが、〝仲が悪い〟ってわけじゃないんだ」


と、ミケーレが言った。俯き加減だった沙月が顔を上げた。ミケーレが穏やかに、こちらを見ていた。


「余計な心配を掛けちまったかな」


と、沙月に詫びた。


「いえ、気にしないでください。仲が悪くない――って、そうですよね。だって、2人とも、楽しそうでしたもん」


 そう、沙月は嬉しそうに言った。沈んでいた気持ちが、パッと明るくなった気がした。


「そうか。なら、いい」


と、ミケーレが呟くように静かに言った。〝いい〟といった言葉がどれを指していたのかまでは、沙月には分かりかねた。



 家に着くと、沙月はミケーレに、リビングに上がるように言ったが、ミケーレは断った。

 女子高生が単身で生活している家に、男が上がり込むのは不味いだろうとの判断からだった。誰が見ているか分かったものではないし、周辺で変な噂が立つのも問題だ。

 ここでいい、と玄関で待つミケーレに、部屋まで取りに戻っていた沙月が、持ってきたカメオを手渡した。


「このカメオ、綺麗ですね」

「なんだ。中を見たのか」

「ご、ごめんなさい。これが何か、分からなくって……」

「いや、構わんよ」

「これ、聖母マリア様ですよね。こんな奇麗なマリア様、あたし、初めて見ました」

「そうかい? 見たままに、彫っただけなんだがな」

「これをミケーレが? ……って、えっ……? 見たまま?」

「そう、見たまんま。奇麗な女性ひとだったよ」

「……って、聖母マリア様ですよ?」


 言葉に含まれる意味を理解して、沙月は問い返した。2000年ほど前の人物を見た――と、ミケーレは言うのだから。

 だが、ミケーレはさらりと言葉を継いだ。


「俺は吸血鬼だぜ。忘れたのか?」

「あ……」


 沙月はそれをすっかり失念していたのだ。あんぐりと口を開ける沙月に、


「忘れてたみたいだな」


と、ミケーレが苦笑した。照れて赤面する沙月が、誤魔化すように、


「で、でも、カメオに彫るくらいだから、その……マリア様のこと、好きだったんですか?」


と、つい聞いてしまった。


「さあ……。どうだかな」


と、答えになっていない返答をしたミケーレの顔は先ほどと同じ、淡く、儚い微笑を浮かべていた。それを見た沙月は、悟ってしまった。聞かなければ良かった――とも思った。


「……。伝えなかったんですか?」

「彼女は俺を憎んでたろうぜ」

「憎む?」


 また、その言葉だった。


「ああ。彼女の息子を始末したのは俺なんだ」

「え……?」


 その女性の息子と言えば、それはつまり――。

 だが、ミケーレが〝〟といったことに沙月は気が付いた。


「今、〝始末〟って言いましたよね? それって……」

「誰に噛まれたかは、わからん。磔刑に処された時点では、まだ吸血鬼になりきってなかったようだがな。その息子の〝〟の真相は、吸血鬼になってたからだったのさ。この世に戻った彼が、彼女を襲おうとしたんでな。俺が始末した」

「でも、それじゃあ、ミケーレは命の恩人じゃないですか。なのに、〝憎んでた〟って……」

「どんな存在ものになってようが、息子は息子さ。それが偽りの生だとしてもな。その息子を殺したんだ。そりゃあ、憎むだろう」


 ミケーレは達観しているように、淡々と言った。


「こういったことは理屈じゃないんだ。頭では正しいと理解していても、ここが納得しないのさ」


と、胸のあたりを親指でトンと指しながら、ミケーレが言った。


「……その女性ひとに憎まれて、後悔してないんですか?」

「感謝されようと思って、やったわけじゃないからな」


 ミケーレはきっぱりと言った。自分の行為に、悔いはないらしい。それがたとえ、汚名・悪名を被ることであろうと――だ。

 自分だったら――と考えて、沙月は黙り込んだ。

 自分だったら、感謝されたいと思うだろう。愛されたいと思うだろう。それが自然な考え方だ。でも、この人は――。


「まあ、大昔のことだ。沙月が気にすることじゃない」


 気まずい思いになって黙り込んでしまった沙月に、ミケーレが気を使う必要はない――と言った。何せ、2000年ほども前のことだ。カメオをポケットに仕舞い込み、


「拾ってくれて、ありがとう。助かったよ。それじゃあ、な」


と、別れを告げた。それで沙月も気が付いた。これで〝さよなら〟だということに。


「あ、あの……」

「ああ、まあ大丈夫だと思うが、沙月も昨夜、奴に出会っちまってるからな。もし、何かあったら、マリアに知らせればいい。俺につないでくれる」

「あ、それなら、スマホで……」

「俺は持ってないんだ。スマートフォンも携帯電話も」


と、ミケーレが両手を上げて見せた。それに関しては、まるで降参――と言っているようだった。その仕草が可笑しくて、沙月は微笑がこみ上げてきた。その様子を見届けた後、ミケーレが言った。


「それじゃあ」

「はい。……それじゃあ、また」


 これで終わり――ではないように、と『また』と言った。沙月にはそう言うのが、精一杯だった。

 歩き出したミケーレの背を見送った後、沙月は大きな溜息と拭いきれない寂寥感とともに、家に入った。



 沙月の家を後にして、しばらく歩いたミケーレはふと、立ち止まった。自分を見つめる視線を感じたのである。いや、沙月の家にいた頃から、見られているような感覚はあったのだ。だからこそ、念のため沙月に、何かあったら知らせればいい、と伝えたのである。振り返り、沙月の家の方角を眺めていたミケーレであったが、そちらには気配はない。ミケーレを追ってきたのか。

 ミケーレは太陽を振り仰いだ。少し傾いてはいるが、午後3時を回ったくらいで、まだ陽は高い。〝怪物〟が動き出せる時間ではない。こんな時刻に活動しているミケーレのほうが例外なのだ。


 再び歩き出したミケーレは、高校生と思しき男の子とすれ違った。ダウンジャケットを羽織り、ジーンズを穿いた、童顔で線の細い、どこか柔らかい印象を与える少年であった。

 それだけなら、ミケーレも気に留めなかったであろうが、その少年は肩に、大きな人形を乗せていたのだ。肩にちょこんと座っているその人形は、立たせれば、全高が40センチはあろうか。紅いドレスを着て、金色の髪と碧い瞳をした可愛らしい洋人形であった。

 へえ、という顔をしたものの、まあ、そういう奴もいるだろう、とミケーレは思い直しながら、双方が相手を右側へ見る形ですれ違った。まさに、その一瞬、


 こんにちは――。


と、男とも女ともつかない幼い声が、頭に直接、響いたのだ。

 瞬時にミケーレは刀を抜き放っていた。

 いつの間に刀を手にしていたのか。それは神速の早業であった。身体を右方向に反転させるや、左足を後方に引き、十分な刀身分の間合いを、退ことによって作りつつ、抜き打った。また、こうしなければ、威力を発揮しうる速度で刀身を振り切ることが出来ない。

 しかし、刀は空を切った。ミケーレが振り返った時には、すでにその少年の姿はなかったのだ。すれ違った道は一直線で、ミケーレの前後に曲がれるような脇道はない。


か」


 ミケーレが呻くように呟いた。〝怪物〟ではなかったが、そちら側に付いた者だろう。しかし、これは、相手側にも証左と言えた。そして、それは同時に、昼夜を問わずに活動出来るミケーレだけが有利ではない、ということでもあった。


「やれやれ。こりゃあ、考え直さにゃいかんな」


と、納刀したミケーレは頭を掻きながら、ぼやいた。昼間に〝怪物〟を追い詰めていく心算だったのだが、これで戦略の練り直しが必要となったからだった。



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