5.争いの無い世界

 巨木には螺旋状のツタが階段のように絡みついていた。気が付けば、俺はそのツタを駆けあがっていた。彼女がいるとしたら、この先しかない。直感がそう叫んでいた。

 必死で走っていると、突然視界が広がった。どうやら、巨木の頂点に辿り着いたらしい。幾層にもツタが生い茂った、広い空間。

 そのちょうど中央の空間に、ツタに覆われた緑色の球体が囚われていた。近づくと、その球体はゴボゴボと音を立てて、やがて一人の人間を吐き出した。


 いや、人間というにはあまりにも皮膚は緑色過ぎたし、目は昆虫のように真っ赤にギラついている。だが、その顔つきだけは、どうしても過去の面影を拭いきれていなくて。


「……馬鹿なひと。私のことなんて、忘れたらよかったのに」


 その言葉は、紛れもなくアルストロメリアのものだった。


「やっぱりな。まだ意志が残っているじゃないか」


「ふふ……やっぱり、貴方にだけは嘘が吐けないわね。昔からそうだった。貴方は、いつだって私の本心を見透かしてくる」


 アルストロメリアはふっと視線を逸らして、巨木の向こうに広がる世界を見渡した。


「ねぇ、ターナー。私のせいで人間は随分と数が減ったけれど、世界は随分よくなったと思わない?」


「そうかな。大勢の人が死んだよ」


「“終末のダンデライオン”の前から、大勢の人間が死んでいたわ。くだらない諍いで争いが起こって、戦争に発展し、大勢の罪もない人たちが死んでいった」


 ねぇターナー、と彼女は言った。その声は、朧気な色をしていた。

 夢に向かって語り掛けるように。


「いつか人間同士が争わない世界が訪れたらいいなって思った。でも、人間はあまりにも愚かだった。私は神様なんかじゃない。だから、人間の在り方そのものを変える――なんてことはできない」


「だからお前は、人間に変わる新たしい種族を生み出そうとしたのか」


 俺と彼女の付き合いだ。それだけ聞けば、大体何を考えていたのか分かる。分かってしまう。

 災害植物は、彼女が理想とする世界を創るために生み出されたのだ。

 この世界から人間を駆逐して。

 争いの無い世界を創るために。


「人間よりも強く、凄まじい繁殖力を持った生物が地上を支配すれば、人間は争うどころではなくなる……」


「そうよ。人間もいつか、災害植物わたしたちと敵対することが無謀だと悟り、武器を手放す。その予定だった。その予定だったのに……ターナー」


 あなたはどうして、ここに来てしまったの? と。

 彼女は悲しそうに問いかけた。


「ねぇ、ターナー。あの時、貴方が戦うことを辞めていれば、。どうして、綺麗な想い出のままでいてくれなかったの?」


「思い出にはなれないさ。俺はまだ生きているんだから。そしてメリア、お前もだ」


 もしまた彼女に会えたら、ずっと言おうと思っていた。

 あの時、伝えられなかったことを。

 ずっと心の中にわだかまっていた感情を。


「お前の言う理想の世界とやらに生きる人間は、どこに行っちまったんだ? 大勢の人が死んだんだ。弱い奴から死んでいったよ、メリア。お前が目指した理想は、死体の上にしか咲く花のことだったのか?」


 そんな理想を、彼女はずっと追及していたのか。

 大勢の人間を殺して理想の花を咲かせるなんて方法は――戦争と何も変わらないじゃないか。


「だからあの時、言ったでしょう? もっと早くあなたに会えたらよかったのに――って」


 メリアの両腕から、それぞれ一本ずつ巨大なとげが伸びてきた。赤い瞳がギラリと輝いて、俺を見据える。


「貴方はきっと、「人間が変わるのに遅いことなどあるものか」って言ってくれるのだろうけど……でも、やっぱりもう遅いのよ。私はもう人間じゃないのだから……」


 メリアの背中に、巨大な花が咲いた。淡いピンクの花。アルストロメリアの花。


「ターナー。もし、もしも私が間違っていると思うなら――どうすればいいか、分かるわね?」


「…………」


 俺は、AK-47の引き金に手をかけた。そして銃口をゆっくりと、彼女に向ける。


「メリア。俺は、お前が理想を語る時の、嬉しそうな顔が好きだったよ。植物で世界を救うだなんて、最初は馬鹿げた話だと思った。でも、いつかそんな世界で一緒に過ごせたらいいって思うようになったんだ――馬鹿みたいだろ?」


「そうね、ターナー。でもね、私だって――私が理想とした世界の片隅で、貴方だけは幸せになってほしいって思ってしまったのよ。馬鹿みたいでしょう?」


「ああ、とんだ馬鹿野郎だ」


「まったく、お互いにどうしようも無い馬鹿だったわね」


「ははは……」


「ふふふ……」


 俺たちは、どちらともなく笑った。それは懐かしくて、胸の奥にしまっていた時間がぽろぽろと溶けだすようだった。


 そんな時間も、一瞬で過ぎ去ってしまう。


 メリアの全身がめきめきと音を立てて、背中や胸を突き破り、天を突くような勢いで枝葉が生い茂った。腕や足は無数のツタへと変貌し、いくつにも枝分かれして空を覆った。

 災害植物の腹に巨大な口が覗いて、けたたましいハウリングの残響が空気を揺らした。


「あは! あははは!! あははっはははは!!!! アハハッハハハハハハハハハハっハハハハハ!!! タァァァァァナァァァァァァ!!!!!」


 そこにいたのは、災害植物に成り果てた一人の女体だった。

 メリアの面影はどこにも残されていなかった。


 俺がAK-47の引き金を引いたのと、災害植物が背中の棘を無造作に抜き取って、俺に向かって投擲したのは同時だった。


 それから先は、実にシンプルな話でしかない。

 ただ単に、銃弾の方が速かったという――それだけの話。


 無数に放たれた棘のうち、ひとつが俺の腕を貫いた。だがその時には既に、無数の銃弾が災害植物の腹部、大きく開けた口内に吸い込まれていき――体内で、何度も爆裂を奏でた。


 何度も、何度も、何度も――俺は銃弾を放った。やがて弾倉が切れると俺はAK-47を放り投げた。銃身がごつんとアルストロメリアに叩きつけられるのと、彼女の内部が炸裂し、おどろおどろしい緑色が解き放たれたのは、まったく同時だった。


 どろどろした果肉や煤けた枝葉の残骸に埋もれるように、人間の肢体が転がっていた。


 彼女の赤い瞳は、もう何も見ていないようだった。彼女は弱弱しく口を動かした。


「ねぇ、ターナー。……もし、私たちが……戦争がない世界で……出会っていたら…」


「…………出会っていたら?」


「……ふふ。やーめた。……ねぇ……最後にひとつだけ聞いてくれる? 私が送ったブローチはね……」


 アルストロメリアは最後の力を振り絞って、いくつかの言葉を残した。それが彼女の最期の言葉になった。

 

 彼女は最期に、小さく笑っていた。もう人間の面影もない、ぼろぼろの表情だった。けれど、確かに笑っていたんだよ。

 

 ――分かってしまうんだよ、そういうのが。

 彼女とは、ずいぶん長い付き合いだったから。

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