第九十七夜 乱れる

 エレンとルーナが教会に戻って来てからハクヤとミュエルも含めての夕食。

 しかし、周囲が和気あいあいとした空気を作り出す中で、ハクヤ達の席だけ少しだけ静かであった。


 いや、もっと言えば静かなのは特定の一人であった。その人物であるエレンは終始ぼんやりとした表情で食事を続けている。


 そんなエレンにハクヤは思わず声をかける。


「どうした? 妙にボーっとしてるが、出かけた先に何かあったのか?」


「え? あ、ううん、何もなかったよ。ただ寄った教会にたまたま勇者様が来てて話しただけだよ」


「ぐふっ」


 その発言にハクヤは思わず飲んでいた果実酒を吹いた。そのハクヤらしくない動揺っぷりにエレンは「大丈夫!?」と声をかけ、隣のミュエルは「汚い」と言いつつもむせているエレンの背中をそっと擦っていた。


 そして、ハクヤは口元をさっと拭っていくと自分の服の汚れはどうでもいいかのようにエレンに質問していく。


「勇者と話したっていつの話だ? 何を話した?」


「なんか怖いよ、ハクヤ」


 ハクヤを見つめるエレンの表情はどこか怯えていた。それはその質問をしたハクヤの顔がどこか鬼気迫るような表情で身を乗り出していたからだ。


 エレンの様子に気付くとハクヤは少し落ち込んだように「ごめん」と告げて席に着く。そして、ルーナから「とりあえず落ち着いたら?」と果実水を渡された。


 それをありがたく一気に飲み干して頭を冷静な思考に切り替えるとエレンに改めて告げた。


「何を話した?」


「私が女神様の声が聞こえるってこと。そしたら、聖女様のところに呼ばれちゃって......」


「聖女からはなんて言われた?」


「聖女エレンって......ねぇ、ハクヤ? これってどういうこと?」


 エレンの疑問はもっともであった。聖女しか聞こえない世界の意思とも呼べる女神や聖樹の言葉が聞けて、話が出来る。


 それはハクヤもできるから特別は特別でも人よりちょっと優れた能力であるだけだと思っていた。しかし、事はそう単純で終わってくれない。


 現聖女エイメルから聞かされたのはエレンが正統な聖女の後継者であり、そして滅亡したオーラル王国の王女であったということ。


 オーラル王国が襲撃された時、エレンは当時五歳でまだまだ幼さが前面に出ていた年齢だ。

 加えて、五歳からエレンは聖女としての役割を受け継ぐための修業期間になるが、それに入る前に襲撃が来てしまったせいでエレンは聖女のことはまるで知らない。


 そして、ハクヤに引き取られる形で辺鄙な地でエレンは育てられた。ちなみに、エイメルはこの時点で修業期間なしで聖女業へと移行した。


 しかし、オーラル王国襲撃の際にエレンが最後に覚えているのはハクヤとエレンの母親......つまりは聖女と話していた姿ということになる。


 となると、ハクヤは聖女について一切知らないなんてことはなく、むしろ他の人よりも詳しいとすら言える。


 であるならば、ハクヤは当然エレンが聖女の後継者であるということを知っていた上で今の今まで隠していたということになる。


 エレンは聖女に関してまだまだ知らないことが多い。大概のことはエイメルから聞かされたが、もし他にもあるのだとすれば、それをエイメルの他に知っている者はただ一人。ハクヤだけ。


「ハクヤ? ちゃんと話してくれるんだよね?」


「......」


 エレンの真剣な眼差しにハクヤは正面から受け止めるがすぐに目を逸らす。そして、苦しそうに胸に手を当てて顔を俯かせる。


 こうなることは理解していた。いつかこの日が来ることは。そして、それを望んだのは誰でもない自分自身。


 ここに来ていずれエレンが自分自身の本来の役割について話す予定であった。それが手違いで早まってしまっているだけで、何の問題もない。


 にもかかわらず、どうしてこんなに胸が苦しいのか。このまま聖女という役割を担ったままここにいてもらえれば、安全になるはずなのに。


 そのための今回の旅だ。つまりはエレンとの旅の終わりで、自分がこれからもっと危険な、地獄へと足を踏み入れいようとしているのに。


 思ったよりエレンに対しての親としての愛が強すぎたのか。確かにかけがえないのない時間だとは理解しているが、それでも今までずっとエレンを危険にさらしてきたのは事実。


 その危険からエレンを守ろうという行動にもかかわらず、どうしてこんなにも迷っているんだ。

 チラつくの育ての母との記憶。あの人なら今の自分ならどんな言葉を送るのが正解なのだろうか。


 全然考えがまとまらない......いや、言うべき言葉はわかってる。しかし、それをもう一つの心が拒絶する。


 もしかして、執着していたのはエレンじゃなくて自分なんじゃないか? エレンの存在がいることがどこかまだ母との繋がりを感じているようで。


 母のたった一人の大事な娘であるという口実を作ってエレンをずっとそばに置いていたのも、全ては自分のエゴのためじゃないか?


 いや、違う! 断じてそんな気持ちでエレンを育ててきたわけではない! こんな浅ましい自分の欲望でなんて......なんて.......


「ああああああ!」


「「「!?」」」


 ハクヤは立ち上がり叫びながら頭を掻きむしる。汚らしい自分が頭の中に住んでいるようでとても気持ち悪い。


 今までそれなりに合理的に生きてきたはずなのに、いつもの自分とは違う何かが住み着いているような感じがして気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!


 そして、ハクヤは机にバンッと両手をつけると虚空を見つめるような瞳でぼんやりとし始めた。その様子に一番に危機感を感じたのはミュエルであった。


 この場にいる誰も気づかない。しかし、獣人でありハクヤの闇の部分を一番近くで見てきたからこそわかる深淵のような底のない黒が瞳に宿っている。


 この感覚は前にもあった。自分の分離しそうな精神を力づくで押さえつけているような感覚。意図的に作り出す殺気とはまるで違う、しかしわかる人にはわかる戦慄するような恐怖。


「出る」


 ハクヤはそうポツリと呟くとふらふらとした足取りで歩いていく。その途中で躓いて転ぼうともまるで生きたまま死んでいるかのような様子で立ち上がり、再び歩き出す。


「みゅ、ミュエルん? 今のって......!?」


 ルーナが様子の変わったハクヤからミュエルに視線を移し替えると思わず固まっていた。

 なぜなら、あまり表情の変わらないミュエルが表情を歪め、恐怖を必死に歯を食いしばって耐え、強く握った拳を震わせている。


 明らかに異常事態ということは一目で理解できた。しかし、そのミュエルもハクヤが宿を出ていく姿をずっと見つめることしかできずにいた。


「......る。ミュエル!」


「......!?」


「ハクヤ、どうしちゃったの!? 私が何かしちゃったの!? ねぇ、明らかにハクヤの様子がおかしかったけど、追いかけた方がいいんだよね!?」


「ダメよ、追いかけちゃ!」


「でも!」


「ダメ! 私が行く。前にも似たようなことがあったし、私の方が対処を知ってる。それに今エレンちゃんが向かうと余計に心が乱れてしまう」


「心が乱れる?」


「見てわかる通りハクヤの精神状態は酷く不安定で今が非常に危険な状態。それはまあ、エレンちゃんだけじゃないわ。

 ......実は今日、私達も勇者にあったの」


「二人もなんだ。あたし達よりも前?」


「ええ、その勇者に会ってからハクヤは様子が少しおかしくなった。何かされたわけじゃない。でも、ハクヤは何かを知っていてそのせいですでに精神的に混乱していた可能性が高いわ。

 ともかく、二人はこのままじっとしてて! そして......ハクヤが戻って来ても何事もなかったように迎えてあげて」


 ミュエルはとても悲しそうな顔をして二人に告げた。しかし、その表情は二人に向けたものじゃない。先に出ていったハクヤに向けたもの。


 そして、ミュエルはハクヤを追っていくように宿から出ていく。

 宿の食事処はすっかり冷え込んだ空気になってしまった。先ほどの温かさなんて見る影もないほどに。


 その中心にいる二人は未だ混乱していた。その中で特に取り乱しているのは当然エレンである。

 エレンは自分が何か過ちを犯したと考えている様子で自分で自分を抱きしめるようにしながら体を震わせている。


 そんなエレンにルーナはそっと腕を回して抱きしめてやる。まだまだ新参者であるルーナには三人にどんな事情があるかは全然わからない。


 しかし、どんな形であろうと味方でいたと思っている。命の恩人達でありこんなにも楽しい人達は他にはいないから。


 それに、ハクヤほどではないがルーナも今回のことにはきな臭さを感じていた。特に教会で神父の目を見た辺りからどうにも記憶が曖昧だ。


 見ていてしゃべっていたはずなのにまるで夢を見ていたように話していた内容も聞いていた内容もぼんやりしている。


 そして、気が付けば自分は聖女と話した帰りだった。それがおかしい。

 少なからず、勇者一味でもない完全なる部外者の亜人種である自分が積極的に「城へ行こう」などというだろうか。いや、言う可能性は低いだろう。


 そこまで図々しくないし、それに教会の中に入ることすら渋った自分がいくら勇者の提案であるからといって易々と乗るのか?


 勇者だからと信じて乗った? 安易に信用して痛い目見たばかりなのに? 加えて、ハクヤがおかしくなったのも勇者が原因だという。


 ということは、勇者に何か原因があるのか。それとも勇者にハクヤが個人的何かをもっているのか。

 それは定かじゃない。だったら今は、ただエレンのそばいるべきだ。こんなにも可愛くてか弱い女の子を一人にするべきじゃない。


*****


「「!?」」


 ほぼ同時刻、月夜の光がステンドガラスから差し込む教会の中で二人の男が遠くから感じる異変に気付いた。


「なんだ? この意味わかんないくらい悍ましい殺気とも言えない何か」


「ククク......カー、ハハハハハ!」


「この怪電波でも拾ってきたのかよっと」


 長椅子で寝そべる【影王】は反対側で足を組みながら座っている【斬撃王】の突然笑い出した様子に思わず顔をしかめる。

 すると、【斬撃王】は嬉しそうに告げた。


「あれだよ、あれ。忘れちまったのか? 調子乗った鳥人間どもが反乱を起こしたときに、丁度近くにいたという理由で貶められたあいつがたった一人で五十人ものそいつらをぶっ殺した時のことを」


「あ~あったあった、そんなこと。あれはさすがに驚いたよっと。

 なんせ獣人であるというだけで強いのにさらに空中に飛べて、一定の暗殺技術を持っている。つまりは全員が手練れだし、そのボスはあと少しで“王”の称号がつきそうな奴だったな」


「ああ、でも顔のかすり傷一つ残して俺以上に切り刻んでいたんだぜ? まあ、その後にぶっ倒れちまったがな。

 ババアが言うには精神が分離しかけていたらしいぜ。要は半分廃人の殺人鬼が誕生しようとしていたと。今じゃわからねぇが、あの時の俺じゃ間違いなく勝てねぇだろうな」


「その割には嬉しそうな顔をしてるっと」


「そりゃあ、そうだ。もしかしたら、その時のあいつと今の俺が戦えるかもしれねぇんだぞ? たまらぁねぇだろう」


 そう言って【斬撃王】は舌なめずりをして笑った。

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