第七十三夜 聖樹と対談

「さて、無事に毒発生源は倒したし、後はこの毒をなんとかしなくちゃな。そうしないと俺が干からびちまう」


 ハクヤは右手の魔剣の融合を解除すると思わずふらついた。どうやら思ったよりも血を吸われていたらしい。


 融合してしまうと魔剣が吸っている血の量が曖昧になるのだ。いわば、魔剣と血管を共有しているようになるため。


 そのために融合化は強力な攻撃ができる分、調子乗って使いすぎると解除した瞬間に血が足りなさ過ぎて死ぬなんてことがよくあるらしいのだ。


 簡単に言えば、クレジットカードで支払っててどのくらい残高があるかすぐに分からないといった感じに。


 ハクヤは「もうストックもないし、これ以上血を使いたくないんだけどな」とぼやきながら、しゃがんで地面に魔剣を刺す。


「あんまり吸いすぎないでくれよ――――状態無効化領域ユークリア


 ハクヤが魔力を魔剣に流した込んだ瞬間、体にも大きく頭がふらつくような眩暈がした。

 そして同時に、魔剣からは半透明の光の輪が広がっていき、毒で汚染されていた領域をその輪が触れた瞬間に消していく。


 しかし、その範囲が使われている最中は常に血が吸われ続けているために酷い疲労感に襲われた。


 額に大量の脂汗をかき、それが頬を伝って顎から滴る。ガルフォルンと戦っていた時よりも汗をかいている。


 感覚的に理解している。もう血の量がすでに危険区域イエローゾーンに来ているということを。しかし、まだ瀕死区域レッドゾーンまでは来ていない。


『――――もうよい』


 その時、頭の中に直接流れ込んでくる言葉を聞いた。ふと俯いていた顔を上げるとそこには聖樹が力強くそびえ立っている。


 誰が話しかけて来たかなんて明白だ――――この聖樹そのものだ。


『もうお主が頑張って浄化するほどの毒はない。ワシにも自浄作用があるからな。そのままでは本当に死んでしまうぞ』


「......まだ死ねない理由があるんでね」


 ハクヤはその言葉を信じ、パッと魔剣から右手を放す。その瞬間、清々しい解放感に襲われ、直後に押し寄せる疲労の波がやってきた。


 さすがのハクヤもその場に尻餅をつき、しばらく乱れた呼吸を整えることに精一杯になる。

 多少動けるようになったぐらいで地面に刺さった魔剣を回収すると聖樹に話しかける。


「さて、あなた様が聖樹御本樹でいいんだな?」


『いかにも。ワシがこの森を司る統括者であり、同時にこの世界の行く末を見守る管理者でもある。さて、何か聞きたいことでもある様子だが?』


「さすが聖樹様、人を見てることで。それじゃあ、率直に言わせてもらうが――――なぜあいつらを見逃した?」


『お主が殺した魔族達のことか?』


「ああそうだ。こいつらはよりにもよって、お前の目の前であんな兵器を設置しやがったんだぞ?

 恩着せがましいが、俺がいなかったら多くの犠牲者が出てた。だが、逆に言えばお前を守るエルフ達は死んでいたんだぞ?」


『......』


「だんまりか。言っておくが、俺は神をロクすっぽ信じちゃいない。あいつらは結局運命の行く末を見守ってるだけで、ただ幸せな暮らしをしてる奴らを見殺しにするんだからな。挙句に姿も見せないと来た。信じる筋合いがない」


「随分な物言いだな」


「当たり前だ。こっちは命張って生きている。そんないるかもわからない存在に運命を投げるのは死に際ぐらいだ。

 だが、聖樹お前はまだ違うと思っていた。この森を守り、エルフを守り、そして現存していた。だから、幾分か期待はしていたが......正直言ってがっかりだ」


『お主が守りたいのはお主の仲間だけではないのか?』


「最悪そうだ。誰だって親は自分の息子か赤の他人かだったら、自分の息子を選ぶだろう。だが、それはそれしかない選択肢の時だ。

 お前は違う。聖樹というこの世界の偉大な存在であり、エルフを加護で守っている。その見返りとしてエルフはお前を守っている。そうだったはずだ」


『......ああ、そうだな』


「だが、お前がやったことはただの傍観。いや、裏切りだ!」


『お主は随分と怒っているようだが、そもそもお主はここのものじゃなかろう』


「だったら、お前には関係ねぇってか。随分と聖樹様は広い心をお持ちのようで。

 たとえ自分を守ってくれる存在が、崇めて信じてくれた存在が、賊の手によって自分の目の前で殺されそうって時に同じ等しい命だからって見逃すこともできるんだからよ!」


 ハクヤは鋭い殺気をぶつけながら怒りのままに拳を地面に叩きつける。歯はギリギリと食いしばり、瞳は瞳孔が開いている。


 そんなハクヤに対して、聖樹は静かに笑った。


『......ふっ、なるほどな』


「何がおかしい?」


『いや、お主という人物を測りかねていたが、ようやくわかったのでな』


「?」


『すまぬな。ワシはお主の心根を知りたかったのだ。それ故に、あえて挑発することをした。

 戦闘中は随分と冷静に物事を見据えていたのでな。よもやここまで腹に据えかねたものを吐き出すとは思わなかったが、そのおかげでお主を測れた』


「この老いぼれ樹木が......俺を謀りやがったな?」


『伊達に長生きをしておらぬ。それにどちらかと言えば、お主の自爆とも言えるがな」


 確かに、言われてみれば随分と冷静さを失っていた。

 血が抜けすぎて頭に血が上りにくくなっているかと思ったら、ハクヤの場合むしろ頭に血が回らない分思考が純度百パーセントで漏れ出てしまったようだ。


 これは何とも恥ずかしい。普段の自分なら怒るとしてももっと穏やかに怒るはずなのに。


『それにしても、お主はワシが見てきた中でも面白い人物に当たるようだな』


「そりゃどうも。偉大なる聖樹様に気に入られて俺は嬉しいよ。それで? どんな部分がとか聞いても?」


『そうだな。端的に言えば、お主は隠すのが上手いようだが、そのせいでまるでお主に二面性があるように感じるな』


「二面性? 俺が二重人格者って言いたいのか?」


『あながち間違いではなかろう。そもそも人は誰しも二重人格.....否、多重人格者だ。

 喜ぶ時も、怒れる時も、悲しむ時も、楽しむ時も感情という不確かなブレによって様々な一面を見せる。あれが多重人格でなくてなんというか』


「どう考えても過言だろ。どんな感情であれ、それは結局一人の人間に出力されたものでしかない。そのどこにも自分以外の誰かなんて住んじゃいない」


『いいや、見ておるぞ。気づかなくて当然だ。何しろそれは自分自身だからな』


「自分自身?」


『人は気づかぬうちに自分を俯瞰的に見るもう一人の自分がいる。その自分が感情という者を用いて“表”の自分に表現させているのだ。

 もっともそれは気づかなくていいものだがな。気づけば感情に囚われず物事を見ることになり大変苦痛だ』


「聖樹様はなんとも物知りなことで」


『違うな。ただ見て来ただけだ。幾千、幾万年の時をこの血にて変わりゆく人々の歴史、流行、文化を見続けながら、変わりゆく流転の時の中で変わり続けることのない人という生き物を見てな』


「スケールがでかすぎてついていけそうにないな」


『お主も知り得る日は遠くないかもな。もしかしたら、来世では気になっているやもしれぬ』


「やめてくれ」


 そんな話をしているとすっかり怒りは収まり、言葉に毒気も抜けてきた。今感じるのはただただ疲労感。非常に寝たい。


 だが、まだ聞きたいことが聞けていない。


「話がずれちまったが、俺に二面性ってどういうことだ?」


『見たままの意味だ。お主は仲間内やエルフの者達と話している時と戦っている時ではまるで人が違う。

 穏やかに話すときが神であるならば、差し詰め戦闘時は悪魔かな』


「ひでぇ言いようだな」


 先ほどの怒ったことに対するちょっとした意趣返しのようにも感じるハクヤ。言葉には出さないが。


『戦ってる時はとても冷酷だ。もはやそこに命を背負う覚悟すら投げ出しているような、ただの使われ道具であるようなそんな存在。まるで心が氷漬けされてしまっているかのような』


「言い得て妙だな。俺も戦闘のスイッチを入れる時は“ただの道具”だと自分自身を思うようにしている。妙な情で殺し損ねて厄介ごとが増えてもよくないからな。

 まあ、強いて言うなら環境がそうさせた。人は“適応する生き物”っていうだろ? その環境に合わせて“適応”したまでだ」


『だとすれば、とても悲しい環境だな。どんな境遇によりそんな環境で育ったかは知る由もないが、それでもただ悲しいと思う』


「憐れむなよ。聖樹に哀れまれるとそこら辺の連中に言われるよりだいぶ惨めに感じて凹むから。

 けどまあ......あんな環境は同情する余地もない。そして、そこ自身で育った俺自身にもな」


『......仲間が来たようだな』


「みたいだな」


 ハクヤはふらつきながらも立ち上がると背後からくる気配に体を向けた。すると、聖樹は伝え忘れていたことを伝えてくる。


『そういえば、言い忘れておったことがあった。ワシ......実はもう加護とか使えん』


「そう......は?」


 その突然のカミングアウトにはハクヤも思わずびっくり。咄嗟に頭を聖樹に向ける。


『もう体の限界が来たのだよ。お主らに加護を与えてそれっきりだ。故に、もう加護は使えん』


「ってことは、魔物はどうなる? お前が沈めてたんじゃないのか?」


『魔物は穏やかじゃよ。ワシの加護が効いていた世代が命を繋ぎ、穏やかな性格が引き継がれたからな。

 もっとも“現時点では”であるがな。もう厄介は起こってしまっているのだろう?』


「まあな。それをもっと先に言えよ」


『お主との会話が思ったよりも面白くてな。こう言い返してくれる相手は中々おらなんだ』


「......そうかい」


 ハクヤは疲れたため息を吐くと前方から走ってくる人影に向かって歩いていく。

 向かってくる人影はエレン、ミュエル、ルーナ、グレン、ティア、ハウズといった少人数のメンバーであった。


 そして、大手を振って向かってくるエレンなんかは泣いてるようで怒っているようでという不思議な顔だ。


 どちらにせよ分かっていることは後で叱られるということだ。恐らくこの貧血状態で。

 そんなことを思うと自然と乾いた笑いが漏れる。まだ全てが終わったわけではないのに。


『それでは申し訳ないが、後のことはよろしく頼む。帰り際はワシのもとへ来るといい。いいものを準備しておく』


「そんじゃ、また戦勝報告の後でってことで」


 ハクヤはふらつきながら手をひらひらと動かしていく。一先ずゆっくりできそうだ。

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