第五十三夜 殺意#2

 エレン達がいるダンジョンはどす黒い感情が渦巻いていた。

 まるで空気が薄くなったかのように呼吸が浅くなるほどの憎悪、嫌悪、殺意、悪意がだんだんと密度を増して満ちていく。


 その空気を感じ取ってしまったが最後、エレンはとてつもなく胸が締め付けられる思いをしていた。

 その空気を出しているのはたった一人。目の前にいる醜悪な笑みを浮かべる男カルロス。


 たった一人であるが故に、ダンジョンをここまで深く潜ってきたエレン達ならば束になって戦えば勝てるかもしれない。


 もっともそれはエレン達が万全で尚且つ状況に限る。


 しかし、エレン達は不意打ちによってボードンが戦闘不能に陥り、メニカがその後の魔法攻撃によって意識を失った。


 3人で相手をするには厳しい相手が目の前に不敵に笑っている状況で、エレン達はもっとも大事なものがまさに失いかけていた。


 それは“死に対する恐怖”である。

 その恐怖及び感情は本来なら冒険を続けていくうちに自然と鍛えられていくもので、それが鍛えられているのならば、どんな状況でも死に勝る恐怖はないので冷静に物事を考えられたり出来る。


 しかし、その恐怖も2種類あり、それは魔物によるものか人によるものかである。

 魔物の憎悪は単純だ。生きるため、種を反映させるために怒るのみ。言わば直接的な殺意をぶつけてくるだけである。


 だが、人の場合の怒りは様々だ。その時のその人の感情次第で千変万化となり、また思考が発達しているからこそより狡猾で残虐な怒りを持つ。


 そして、現在エレン達がぶつけられているのが正しく後者であり、今までまともに人と戦ったことのないエレン達には初めての生々しい死の恐怖であった。


 その怒りはねっとりしていて、まるで全身がべたついたように恐怖が張り付き、生理的に受け付けない感覚が鳥肌を立たせる。


 特にエレンはその感情をダイレクトに受け取っていた。もとの心が優しいからこそ、相手をまず受け入れて確かめようとする気持ちがあるからこそ、吐き気を催す邪悪によってその場から動けずにいた。


「まずはどうすっかな~。普通にやっても面白くねぇし、まあまずは簡単にそこの死にかけのガキの手足でももいでみるか? それともさっさと生娘の服ひん剥いて目の前で犯すか、もしくはそのままゴブリンの群れか盗賊団のテリトリーに投げ入れるか?」


 カルロスは至って真面目にそのようなことを呟き始めた。その目は闇に染まっていて、もはや正気とは別の何かが感じ取れる。


 少なくともわかるのは奴が本気であるということ。冗談で済む話ではないが、冗談で済ませる気が相手からさらさら感じ取れない。


 エレンは乱れまくる思考の中で必死に考えた。ここからどうやって逃げ出すかということ。

 現在はダンジョンの35階層。ボス部屋にいて、周囲には開けた空間があるのみ。


 エレン達が向かいたい出口に続く道にはカルロスがいて、負傷者2名がいる状況で通してもらえるとは思っていない。


 そもそもカルロスの実力をその目で見ていない以上わからないが、少なくともエレン達が5人がかりできたこの場所にカルロスはたった一人で来たということは事実。


 となれば、やはりエレン達が5人で束にかかってようやく互角になるぐらいか。もしくは、それすらもうぬぼれか。


 ならば、このまま下がるという選択肢もあまりお勧めできない。

 36階層以降はもうダンジョンの最終局部にさしかかり、敵の強さもよりさらに強くなると考えられる。


 ここに来るまでの道中でも休み休みやってきたというのに、どうやって負傷者2名を背負って奥に進めようか。いや、進めるはずがない。


 故に、現状は絶体絶命というほかない。もし逃げ切れるチャンスを作るとすれば、最低でも1人は確実に犠牲にしなければいけない。

 もっともそれも1人で済めばの話だが。


 しかし、エレンにはもとよりその選択肢はない。生きたいのは絶対だ。しかし、ここまで一緒に冒険してきた仲間を見捨てられるほど落ちてなければ、それは自分の心情が許さない。


 とはいえ、それを考慮すればほとんどの選択肢が潰れることになる。

 何かの作戦を考えたとしても目の前に立ちはだかる死という壁。それはどこまでの広く高く続いていて、それを避けて進む方法を考えようにも思いつかない。


 圧迫し続けるような嫌な空気に、焦る気持ちが募っていく。精神的にかかっていくストレスは次第に強く大きくなっていき、エレンの目から思わず涙が溢れ出る。


 下唇を髪ながら必死に流さないように堪えるが、感情の高ぶりが抑えられない。

 この状況で生まれた不安がだんだんと自分を責めるような気持ちへと変化していき、「弱いから」「ずっと守られてきたから」「助けられっぱなしだったから」と自虐的な心へと変化していく。


 そして、思わず漏れた言葉は隣にいるウィルに向けた謝罪であった。


「ごめん......なさい。私が、私のせいでこんなに......」


 その言葉と表情に怒りに顔を歪めていたウィルは思わずハッとした顔になる。そして、何かを考えるように目を閉じた。


 その一方で、カルロスはふとエレンの様子に気付くとニタァと気持ち悪い笑みを浮かべる。


「なんだぁ? 泣いてんのか? ククク、ハハハハハ! まじかよ! 何もしてねぇのに勝手に泣き始めた! ハハハハハ、クソ雑魚いメンタルしてんなぁおい!

 けどまあ、その顔は相当にそそるぜ、やっぱりな。よし、決めた。やっぱりてめぇを犯そう。そして、聞けばてめぇはあの白髪男の仲間みてぇじゃねぇか。だから、そいつの前で鳴いて喜ぶほどの快楽攻めにしてやるよ」


 そう言って、カルロスはゆっくりと前進してくる。腰にある剣も抜かずに悠然と。まるで何をされてもすぐに対処できるかのように。


 その一挙一動にエレンは目が吸い込まれるようにカルロスを見る。そして、読書家による想像力が高いせいかその言葉でどんなことをされるか思わず脳裏に浮かんでしまう。


 すぐにその思考を払拭しようと頭を振っても、今さ迫っている現実がエレンの思考をカルロスが一歩一歩歩みを進めるたびに固定されていく。


 するとその時、隣にいたウィルが静かに目を開けて軽くエレンの背中を叩いた。

 その衝撃で一時的に思考が緩んだエレンは隣にいるウィルを見る。


「お前のせいじゃねぇよ。少なくとも危なっかしいと思って助けたのは俺達だ。勝手に悲観的になってんな」


 ウィルはそう言って立ち上がると小刻みに震える右手に持つ剣を自身の前に出した。そして、左手もその剣の柄をしっかりと握る。


 そして、ウィルが告げた言葉にエレンは思わず耳を疑った。


「エレン、もしかしたら最後の頼みだ。あいつらは俺の大切な仲間だ。だから、俺が死ぬ前に脱出しろ」


「......え?」


「二度は言わねぇ! 行け、エレン!」


 その瞬間、ウィルは剣先をカルロスに向け上段に構えて特攻していく。体の震えや負ける思考を払拭するように雄たけびをながら。


「あ? 邪魔すんなよ」


 カルロスは眉をひそめてそう告げるとそっと右手を右腰の剣に触れさせた。

 そして、その剣の柄を逆手に持つとそのまま抜刀とともに横へ振り抜く。


「!?」


「ああああああ!」


「チッ」


 しかし、その横薙ぎはウィルが直前でしゃがんだことで躱され、それからウィルはそのまま次の一歩を踏み出すと同時に剣で突く。


 だが、やはり実力差があるのかその攻撃はカルロスがすぐに引き戻した剣によって流されていく。

 そして、すぐさま右ひざの鋭い蹴りがウィルの腹部に刺さった。


「うぐっ!」


「どけよ」


 カルロスは冷めた瞳でそう告げると左手でウィルの頭を鷲掴みにして、横振りながらぶん投げた。

 勢いよく飛ばされたウィルは地面に叩きつけられるとそのまま転がっていく。


「ウィル!」


「今度はなんだ?」


 ウィルの言葉を叫んだのはエレンではなく、気絶しているメニカの様子を見ていたベルネであった。

 そして、ベルネはウィルが攻撃されたことにより、怒りのままに突撃していった。


 ベルネは右拳のガントレットを大きく振りかぶると全力の右ストレートを放つ。

 その攻撃はカルロスのの顔面を捉え、普通の岩なら粉々になるほどの衝撃が加えられた。


「!?」


 しかし、カルロスはその場に突っ立ったまま吹き飛ばされることも、ましてや殴られて血が出ることもなかった。


 そして、左手でベルネの右手首を掴むと無機質な瞳で告げた。


「血気盛んなのも嫌いじゃねぇが、俺はどっちかっていうと今にも絶望で勝手に諦めてくれる女の方がヤり甲斐があるんだ。つーわけで、邪魔だから死ね」


「嫌、嫌、嫌あああああ!」


「ベルネちゃん!」


 カルロスは左手を掲げると右手に持つ剣を順手に持ち替えた。その間、ベルネは残った左腕や足を使って殴る蹴るを行うがまるで堪えてる様子がない。


 カルロスが左手を軽く前に投げるように放すとベルネは空中で無防備になった。

 そして、カルロスの殺意の剣がベルネを切り裂こうとしたその瞬間――――


「どけ! ベルネ!」


ベルネは横から飛び出してきたウィルによって、弾き飛ばされ難を逃れた。

 しかしその一方で、ウィルからは盛大に血しぶきが舞った。


 吹き飛ばされたウィルにベルネは転がった地面からすぐに立ち上がるとウィルの名前を何度も叫びながらそばに駆け寄る。


 ウィルの意識を確認するように声をかけ続けるが、ウィルはうんともすんとも反応がない。


「うるせぇ」


 ウィルに注意が向いていたベルネにカルロスがすぐさま近づいて思いっきり蹴り飛ばした。

 その勢いでベルネは地面を軽く跳ねて転がっていくとぐったりとした様子で意識を失った。


 その瞬間、エレンの心に変化があった。今まで白かったエレンの心を真っ黒に染め上げるような殺意やみが。


「......ね」


「あ? なんか言ったか?」


「死ねええええええ!」


 エレンは今までに見たことないような殺意の宿った瞳で杖をカルロスに向ける。

 そして、明らかに過剰とも思える魔力量で<灼熱の光サンライズ>を放った。

 その眩い光と熱の砲撃は地面を盛大に抉りながらカルロスに直進していく。


「いいねぇ、一周回ってそそるわ」


 しかし、カルロスはその砲撃を左手の甲をぶつけただけで弾き飛ばした。

 そして、瞬時にエレンに近寄るとエレンの首を左手で掴んで持ち上げる。


「これでもう何も――――」


「サン.....ライ......」


「おいおいマジか」


 ゼロ距離に迫ったことで何もできないと踏んだカルロスであったが、エレンの思考がすでに殺意に飲まれているせいか自らを巻き込んででも<灼熱の光サンライズ>を放とうとした。


 そのことにはさすがのカルロスも思わず顔を引きつらせる。このゼロ距離で放たれればさすがに死んでしまう。


 しかし、その攻撃は結果的には不発に終わる。なぜならここに一人の女性が飛び出してきたからだ。


「エレンちゃん、その感情はまだ早い」


 そして、カルロスの左腕を切り飛ばし、エレンを抱えて距離を取ったのはエレンと同じような殺意を滾らせたミュエルであった。

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