第87話 拘束

 帝国の首都・トレファノサイドの城壁は、茶色を基調に所々真っ黒な金属で補強されていて、一言でいえば要塞の様な雰囲気を醸し出していた。



「なんだか重苦しい雰囲気の街だね。これが一つの国の首都なの?」


「そうだね、間違いないと思うよ。あの背の高い塔、あれが目印だ」


 城壁の近くに来ても見える、果てしなく大きい塔。真っ黒で鈍く輝いているあの塔は、果たして何なんだろうか……



「さあ、俺達の番だ」



 入門待ちの列に並んでいたアレクが声を掛けてくる。


 ここでもシャルマン王国と同じく、入門の検閲と入門税が取られるみたいだ。


 帝国兵の鎧とか、少し怪しい物を持っていたが大体こういう所は袖の下を渡せば問題なく通れるものだ、とアレクが言っていた事を思い出す。


「よしっ、次の者!」


 門兵に呼ばれてゆっくりと馬車を進める。

 荷物を検める者と入場手続きをする者。その二人に税とは別のそっと王国の銀貨を渡す。


「……なんだ、お前達。隣からきたのか。……これじゃ足りないんだが」


 最後にボソッと小声でアレクにいう門兵。一瞬戸惑ったが、ここで何か面倒を起こすと後の行動にまで影響しかねない。


 アレクは再び腰の袋に手を入れると、それぞれ追加で何枚かの銀貨を握らせた。



「……ようこそ、わが帝国へ。異国の方よ、どうぞゆっくりとこの素晴らしい街を堪能してください」


 先程迄の対応とは打って変わり、よそ行きの笑顔で僕等を迎え入れる門兵。


 その胡散臭さに寒気を覚える程だったが、何はともあれ第一関門は突破した。


 やっと目的に近づけたのだ。こんなくだらない事で躓いていられない。


 僕等はゆっくりと馬車を城門の中へと進ませた。






 ◆◆◆◆◆






 ──バスアミド帝国




 近隣の小さな国をその武力で併呑し、その規模を少しずつ大きくしていった新興国だ。


 先代の皇帝が武勇を誇る人間で、この国では強さこそ全てだという。


 その強さも単純な武力だけでなく、知力や魔術、建設技術など国を大きくする為に有用だと判断されれば誰でも権力の座に就く事が出来る、自分に自信を持つ者には夢の様な国だった。


「……と、言うことがこの国では言われているそうだ。だが実際はどうなんだろうね。この国が出来て約五十年。先代の皇帝は既に亡く、その後三回も皇帝が変わっているみたいだ。初代皇帝の意思がそうであったとしても、現皇帝が果たしてそれを受け継いでいるのか」



 クラリスが帝国の概要をざっと教えてくれた。


 そうか、初代皇帝の意思が引き継がれているならば、この帝国は成り上がる機会が王国よりも多いのかも知れない。


 アレクは帝国の事をある程度知っていたようで、クラリスの話も馬車を進めながら頷いていただけだった。



「それで、どうする? 馬車を止めないと情報収集も出来ない。どこにする?」


 アレクが言っているのは宿屋の事だ。新しい街に来たらまず宿を取る。旅の鉄則らしい。特に僕達はこれからいつまでかかるか分からない作戦を決行するのだ。早めに宿を取るに越したことはない。




 街の馬屋に馬を預けると勝手に貸し出されてしまう事もある。そういう事態を避ける為、宿は馬ごと預けられそうなちょっと立派すぎる宿にした。



「すみません。部屋の手配と馬の預かりをお願いしたいんですけど」


 立派な宿の入り口を押し開けて入ると、カウンターには宿に似合った白髪の紳士が立っていた。


「いらっしゃいませ。一泊ですか。それとも連泊ですか?」


「連泊でお願いします。一週間か、もしくは一カ月くらいいるかも知れません」


 部屋数や馬の預かり、希望を伝え宿の金額を確認してもらう。


「以上の内容ですと、まずは前金で一週間分、三名様合計で三万ルピー頂けますかな」


「あっ」


 ここで僕達はまたしても失念していた。

 ここは帝国だ。王国の通貨は使えない。使えなくはないのかも知れないけど、恐らく割高になる。門兵が袖の下が足りないと言っていたのはそういう事なんだろう。


「ああ、すいません。私達はシャルマン王国から参りました。まだ通貨の両替を行っていない為、王国の貨幣しか持っておりません。どこか両替商はご存知でしょうか」



 宿屋の紳士は一瞬がっかりした顔をしたが、そこは歴戦の紳士だ。表情を引っ込めるとすぐに先程の笑顔に戻り、街の両替商を教えてくれた。それまで支払いは待っていてくれるとの事だ。



 宿屋の紳士からおおよその交換比率を教えて貰い、紹介された両替商に向かう。


 王国の金貨一枚が、帝国では銀貨五枚程度の換算となるそうだ。


 王国では銀貨十枚で金貨一枚だから、貨幣価値は約半分。三万ルピーの宿という事は、王国では六万ギルに相当する、相当な高級宿だ。そんな所泊まった事ないよ……。




 アレクの家の財力をしみじみ感じながら三人で帝国の街を歩く。


 帝国にきて初めて入った村とは当然比べ物にならない。


 建物は城壁の様に、全体的に暗い色が多かった。そして何の金属か分からないが、やはり金属が多用されていた。


 だが、街中はかがり火ではなく魔道具による光で辺り一面が照らされている。まだ昼間なのに煌々と光っている灯りは、まるで帝国の栄華を示しているようだ。


 フライハイトとはまた違う街並みに、僕達は田舎者の様な視線を注いでいた。




「あ、あった。あそこだよね」



 首都の丁度真ん中くらいだろうか。街中を流れる運河に架かる橋、その中央に両替商とみられる男達が何人か座って絨毯を広げている。



 そのうちの一人、一番端に座っている髪の茶色い男が宿屋から紹介された両替商だ。



「あの、すいません。宿の方から紹介を受けて伺ったんですけど……」


「おっ、いらっしゃい。うちはどこよりも換金率の良い両替屋だよ! それで、誰からの紹介だい?」


「あっ、あの、大きな宿の、紳士のような方からなんですけど……」



 ここに来て、宿の名前も店主らしき人の名前も聞いていない事に思い至った。果たしてこれで通じるだろうか……。


「ああ、ワイトさんのところか。じゃあしょうがねえな。それで、何を何に替えたいんだい?」


「ああ、王国の貨幣をこちらの国の貨幣にしたいんだ。どれくらいあれば足りるか?」


「どれくらいって、滞在期間とか何をするかにもよるけどよ。あんたらどれくらいいる予定なんだい?」


「長くて一カ月ほどだ」


「んー、じゃあまあ二十万くらいあれば足りるだろう。三人でな」


 そう言われてアレクは王国の金貨二十枚を取り出し、両替商に渡す。受け取った両替商は丁寧に数を確かめ一つの袋に入れると、もう一つの袋から帝国の金貨を取り出した。


「一、二、三……。よし、確かめてくれ」



 両替商から渡された金貨を三人で数える。


 二十枚渡したはずなので、そこには十枚の帝国金貨が……ない。アレクの手元にあったのは、七枚の帝国金貨だった。


「おい、ちょっと待ってくれ。枚数が足りない。俺は二十枚金貨を渡したはずだ。なのになんで七枚しか両替できないんだ」


「おいおい、馬鹿な事言ってくれるな。俺は確かにあんたから二十枚の王国金貨を預かった。それを今現在の比率で計算すると、帝国金貨七枚になる。何も間違いはない」



 両替商はさも当然とばかりに、臆することなくこちらを見据え言い放つ。


 だが、こちらも現金がかかっている。こんな所で引き下がるわけにはいかない。



「宿の主人、ワイト氏からは王国金貨の価値は帝国金貨の約半分だと聞いた。俺が二十枚の王国金貨を渡したのだから返ってくるのは十枚の帝国金貨だ。何故少ないんだ」


「あんたも物分かりの悪い奴だな。ワイトさんの言った比率が違っただけだろう。その比率はワイトさん以外に誰が言ったんだ? 誰がその換金率が正しいと言ったんだ? そんなのも分からない奴はそもそも帝国に来るべきじゃない。田舎の王国で大人しく畑でも耕してればよかったんだ」



 そう言い放つと、両替商は片手を払い、話は終わりだとばかりに僕等を追い払う素振りを見せた。


「きっ、貴様っ……!!」


 突然の出来事と言葉にアレクが沸騰してしまった。


 僕等が止める間もなく、勢い余ってその腰に下げている剣を抜いてしまったのだ。



「はっ、おいおい兄ちゃん。悪いことは言わないからその得物はしまった方がいい。あんた、誰に剣を向けてるか分かってるのか?」



 アレクの気勢に押されるわけでもなく、両替商は冷静にそう言った。

 そして、次に聞こえてきたのは街の人達の叫び声だった。


『誰かー!!』


『両替商に剣を向けている奴がいるぞ!』


『憲兵だ、憲兵を呼んで来い!』



 確かにそう聞こえた。


 街中の喧噪に呑まれ、アレクもその剣の矛先を向ける先が分からなくなってしまった。


 そうこうしているうちに、僕等の周りは完全武装した帝国兵と見られる人影に囲まれてしまった。


「おい、両替商に剣を向けたのは貴様等だな! 今すぐ剣を捨てて投降するんだ。そうすれば手荒な事はしない!」



 十人以上の憲兵に囲まれ、僕等には既に逃げ場がない。


 ちらっと視線を橋に戻せば、先ほどの両替商がニヤニヤした顔でこちらを見ていた。



「あんたら、両替商に手を出すっていう事をもう少し考えた方が良かったな。まあ冷たい牢屋でゆっくり頭でも冷やしてくれ」



 両替商が言い終わると共に、憲兵の包囲が少しずつ狭まってくる。


 逃げようと思えば逃げ出せたのかも知れない。


 だけど、この時の僕達は突然の出来事の連続に頭が付いていかず、ただ言われるがままに憲兵に捕まってしまったのである。

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