第69話 希望を掴む為に

 王都の夜道を馬車に揺られながら、僕とクラリスはアレクの待つ屋敷へ向かう。


 流石はフリューゲル家の用意した馬車だ。多少の凸凹なら気にならない程度の衝撃しか感じない。僕が初めて王都へ来た時の馬車とは比べ物にならない。

 そんなどうでもいい事を考えていると、間もなくアレクの家へ着く。


 以前来た時は明るい時間だったが、夜に訪れるとまた違った雰囲気を醸し出していて、何やら近づき難い。



「どうぞ、こちらへ。アレク様がお待ちです」


 執事のクルトは礼儀正しくお辞儀をすると、僕達を目的の場所へと案内してくれる。


 正面の玄関からは入らず、屋敷の裏手、その脇にある地下へと続く階段へと通され

 る。




 階段を下っていくとそこは広めの踊り場になっており、そこにアレクが待っていた。


「良く来てくれた。ここから先は俺と極僅かな人間しか入れていない。それだけは覚えていて欲しい」


 神妙な面持ちで話しかけてくるアレクに、自然と僕の表情が強張っていくのが分かる。ふと横を見るが、どうやらクラリスはいつも通りだ。


 この先にエリスがいるはずだ。果たしてそれはどういう事なのか。


 実感が湧かないままアレクの後ろをついて行く。ふと気づけば案内をしてくれたクルトは既に姿を消していた。





 地下へ続く階段を下っていくたびに、だんだんと気温が低くなっていくのが分かる。そしてしばらく下り続けた先に、重厚な扉が待ち構えており、その前に屈強な男が二人、槍を手に立っていた。



「ご苦労。少し用があって入る。引き続き誰も通さない様に見張ってて欲しい」



 そうアレクが声を掛けると男達はさっと身を引き、扉の前を開ける。


 扉には様々な文様が刻まれており、その中央、丸い円盤の様な所へアレクがそっと手を翳す。

 そして何やら呟きながら触れ続けると、最初に円盤が、次に紋様が、最後は扉全体が淡く光を放ちながらギシギシ音を立ててゆっくりと開いていく。




 開け放たれた扉の向こう。そこはまさしく異世界だった。


 視界全体を埋め尽くす白。肌を刺す様な冷たさ。肺の中まで凍り付きそうな寒さの中に、エリスはいた。



 真っ白な部屋の中央、無造作に置かれた寝台の上にエリスは横たわっていた。

 但し、その身体は触れる事を拒否するように氷で包まれている。


 既に息をしていない事は見れば分かる。


 ただ横たわるその姿は生を拒否してもなお、見る者を魅了し、その美しさに近づく事すら躊躇われた。



「エリス……」



 小さく呟きながらアレクが近づいていく。僕達もその後に続くが、エリスに近づくたびに冷気が強くなっていき、同じ部屋なのにまるで極寒の大陸にいるような錯覚に陥る。


 ついにエリスの目の前にきた時、クラリスがアレクの横にならびエリスを包む氷にそっと触れる。



「これは誰が?」


「誰というのも難しいが、何人もの魔術師達が力を合わせて施した。何か?」


「いや、良く出来ていると思っただけだ。ただ、これでは足りない」



 そう言うとエリスを包む氷を隈なく触り始めるクラリス。その行動にアレクも怪訝な目を向けていただが、何も言う事はなかった。



「さて、アレク。君はエリスを生き返らせたい。そうだね?」


「ああ、もちろんだ。それが出来るのであれば何も惜しくない」


「わかった。じゃあその為の準備をする。私を信用して外に出ててくれるかい?」



 その言葉に一瞬たじろぐアレク。しかし次の瞬間には覚悟を決めた様だ。



「分かった。では外にいるので、終わったら声を掛けて欲しい。ではハクト、行こう」


「待ってくれ、ハクトはここにいて欲しい」



 再びアレクは固まるが、すぐに気を取り直す。そして黙って部屋の外へと出て行った。


「ねえ、クラリス。どうして僕はここに残ったの?」


 僕はこの残された事を確認せずにはいられない。クラリスの事だから変な事にはならないと思っているけど……。


「何、簡単な事さ。私はこれから極大魔術を使う。それこそ、自分の魔力を全て使い果たしてしまうくらいの。そうなった後、私は立っていられないだろう。そんな姿を君以外に見せてもいいのかい?」



 そう言って薄く微笑んでくるクラリス。ああ、やっぱりいつものクラリスだ。僕以外の人間にはきっと弱みを見せたくないんだろう。こそばゆいが、素直に嬉しい。




 そっと僕の手を取りただ一言、支えて欲しい、と言ってエリスに向き直る。

 そうして杖をかざし、クラリスには珍しく呪文を詠唱する。



「氷窮の深淵より覗きし者よ、汝の蒼き手に包まれてこの者に永き眠りを与え給え『絶対零度アブソリュート・ゼロ』」


 杖に収束された光は一つの塊となり、ゆっくりとエリスの身体を包んでいく。


 今までも確かにエリスは氷に包まれていた。

 だが、クラリスの放ったそれは今までと比べ物にならない、間違いなく極大魔術だった。



 元々エリスを包んでいた氷は粉々に砕け、代わりにクラリスが魔術が氷となり、再びエリスを包み込む。


 その氷はまるでクリスタルの様な透明度で、且つ異常なくらいに分厚かった。


 恐らく20cmはあるだろう。分厚い氷はエリスの全身を包み込み、再び永い眠りにつかせた。



 ──ドサッ


 そんなエリスに見蕩れていると、横から不意に物音が響く。慌てて目をやれば、クラリスが床に膝をついている所だった。


「だ、大丈夫クラリス!」


「あ、ああ、大丈夫だ。君は意外と薄情なんだね。私がこうなると最初から言っていたじゃないか」



 ……あぁ、その通りだ。僕は何をしていたんだ。クラリスの魔術に見蕩れてクラリス自身を見落としていた。


 慌ててクラリスの手を取り立ち上がらせる。肩を貸し、凍える部屋から外に出るべく一緒に歩く。


「魔術は上手くいったの?」


「ああ、大丈夫。上手くできたよ。アレは私の魔力が切れない限り溶けない、地獄の氷さ。私が死ななければエリスも永遠に凍ったままだ」



 なんと。そんな威力の魔術だったのか。確かに氷の透明度も厚みも桁違いだった。それに、部屋の温度も更に低くなった気がする。このままここにいたら僕達まで凍ってしまうかも知れない。



 歩く足を慌てて早め、一緒に外に出る。扉に手をかける時は皮膚が貼り付かないように服を重ねて扉を開けた。



「……無事に、終わったんだろうか」



 扉を開けると、そこには壁に背を預けたアレクが腕組みをして立っていた。


 僕等が出てきた事に気付くと慌てて近寄ってきて、声を掛けてくる。


「あ、ああ。無事にすんだよ。見ての通り、私はこのざまだけどね。エリスの封印は、私でないと解けない。誰もこの先エリスには手を出せないよ」


「……ありがとう、クラリスさん。次は俺の番だ」



 クラリスに深く頭を下げるアレク。そして再び顔を上げた目には、しっかりと決意の色が宿っていた。



「次は俺がちゃんとケジメを付けてくる。宿まで馬車を出すから、今日はゆっくりと休んで欲しい。準備が出来たら、今度は俺がそちらに向かう。それまで、待っていてくれ」




 アレクはもう決めたのだ。この街を出ると。エリスを助けると。階段を静かに昇るその背中に、僕もクラリスも声を掛ける事は出来なかった。

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