第29話 ハクト本戦(下)

 僕は痛みを堪えながら立ち上がる。ゆっくり近づいてくるジェドと一度距離を取り、体勢を立て直す。



 ダメだ、まだ目はちゃんと見えない。左腕は肩を貫かれていて上がらない。僕の刀は一体どこだ。


 霞む目を凝らしてみると、ジェドの後ろに刀が転がっているのが見えた。まずはアレを手に入れないと、流石に戦えない。


 左肩を押えながら立っている僕に、ジェドは大剣クレイモアを振り回してくる。


 僕に手傷を負わせた事でいくらか油断しているのか、ジェドの攻撃は隙だらけだった。だが、今ここで反撃は出来ない。せめて目が見えるようになるまでは油断したままでいてもらいたい。



 ジェドの剣をギリギリで躱している様に見せ、僕は体力の回復を図る。攻撃しても当たらない事にジェドがいくらか苛立ちを見せる頃、やっと目が見える様になってきた。呼吸も楽になってきたので、そろそろ刀を取り返して反撃をしたい。



 恐らく、僕の視線が刀に向いていたのだろう。目ざとくそれに気づくと、ジェドは僕から離れていく。


 ……何をするんだ?



 離れて行ったジェドが向かうのは僕の刀の元だった。そして、足を大きく上げその足で刀身を踏み抜く──。その瞬間に、ジェドが派手に転んだ。


 転んだ足で刀を蹴とばしてしまい、僕の手元に運よく刀は戻ってきた。



 何だ、何が起きた……? まぁいい、今は余計な事を考えてる場合じゃない! ジェドが転んでいるんだ! こんなチャンスを逃すわけにはいかない!


 痛む肩をおしながら、ジェドの元に飛び込む。そして、片手で力いっぱい刀を振り、その首を狙った。



 だが、流石にジェドはこれを防いだ。大剣を杖代わりに地面に付き立て、甲高い音を立てながら僕の斬撃はジェドの大剣に阻まれる。



 一度後方へ飛び退り、お互いに体勢を立て直した。



 ……現状では僕の方が分が悪い。腹部のダメージは消えてはいないし、左腕は使い物にならない。ジェドは一発頭に蹴りは入ったが、ダメージはほぼないだろう。



 5メートル程の距離を保ちながらお互い牽制しあっていると、ジェドが汚い声で罵ってくる。


「おいクソガキ! これで対等に戻ったと思うなよ! 今泣いて謝れば、その左腕一本で許してやる。殺されたくなければ刀を捨てて、腕を出しながらこっちにこい! ぶった斬ってやる」


「お前こそ、今降参すれば首は胴体から離れずに済むぞ。仕事もまともに出来ない臆病者なんだから、ここで降参して大人しくママのおっぱいしゃぶって寝てな!」


 ジェドは僕の言葉に異常な反応を示す。

 顔を真っ赤にして喚き散らすと、大剣を滅茶苦茶に振りながら突撃してきた。



 なんだこいつ、図星なのか。前に自分で言った煽り文句だろうに。だが、最大のチャンスだ。ここで決めないと僕も後がない。


 左腕は、……あがらないが握る事は出来る。大丈夫、戦える。これで最後だ。


 僕は刀を静かに鞘に納める。腰を落とし、痛む左手で鞘を少し前に出す。


 ──この一撃で決める!




 ジェドが先に仕掛ける。大剣を振り上げ、唐竹を割るように真っ直ぐ下に振り下ろす。愚直な迄に単調な攻撃だが、込められた力は凄まじい。

 大剣クレイモアは唸りを上げて僕の頭を目掛けて飛んでくる。



 ────だが遅いっ!!


 先に仕掛けてきたジェドよりも速く、僕は全身の力で刀を振り抜く。

 爪先から膝、腰から腕へと余すことなく回転の力を伝える。鞘走りで加速させ、刀身がしなる程の速度で振られた刀は、何一つ音をたてる事なくジェドの体を摺り抜けた。



 お互いの体が交差し、一瞬の残心の後、ジェドの体が真ん中からゆっくりとずり落ちる。



 神速の抜刀術。遥か東方の国で使われる、刀の為に作られた武術。両刃の剣と違い、刀は片刃で反りがある。また、鞘がある。

 その反りと鞘を使い、目に見えぬ速度で振るわれた刀は、後の先を取り相手よりも速く全てを断ち切る。


 僕がこの闘技会の為に覚えてきた、最強の技だ。隙が多く、おいそれとは使えないとっておきの技だ。それだって、クラリスがいなければ完成はしなかっただろうけど。



 ジェドの体が腹部から真っ二つに割れ、その周囲は血に染まっている。当然ながらジェドは死んでいる。




 ……初めて人を殺した。

 命の危機があった。自分が助かる為だった。無我夢中で刀を振るった。


 極限の状態であり、覚えていないはずなのに、この手はその感触を覚えている。肉を、骨を、命を断ち切ったその感触を。



 体がワナワナと震えてくるが、その余韻に浸っている余裕はなさそうだ。人は少なくなったけど、それでもまだ予選は続いている。


 ふと周りを見渡せば、僕の事を標的にしているだろう人間が何人もいた。当たり前か。腕は上がらず呼吸もままならない。なんとかジェドは倒したが、今、僕は確実に弱っている。


 一人でもライバルを減らしたい参加者にとっては僕は格好の的だった。


 恐怖なのか何なのか。喉が自然と震え、笑いが込み上げてくる。どうやら、まだまだ終わらせてはくれなさそうだ。

 さっきの一撃でだいぶ体に負担がかかったのだろう。刀を握る手も微かに震えている。

 でも、やるしかない。負けてられない。ここで気を抜けば命を落とす。へその下に力を入れて、力一杯に叫ぶ。





「うおおぉおぉぉおぉぉぉぉ!!」





 僕は雄叫びを上げて、周りの人間に飛び掛かる。

 右に左に身体を廻し、相手を翻弄しながら刀を振るう。気が遠くなる様な一瞬を、歯を食い縛り刀を振り続ける。




 …………そうして、気が付けば闘技場で立っている人間は、僕だけになっていた。








 ◆◆◆◆◆






「ハクト……、良く頑張ったね。お疲れ様」


 そう言ってクラリスは温かく僕を迎えてくれた。闘技場の選手控室、その個室を借りて僕の傷の治療を始める。


「予選の参加者は医務室で治療してくれるって言ってたよ。わざわざクラリスが治療してくれなくても良かったんじゃ……」


「いいんだ。ハクトが無事に予選を勝ち抜いたご褒美だ。私には他に何も出来ないからね。せめて少しでもハクトの役に立ちたい」


 今日のクラリスは随分世話焼きだった。美人にお世話をされて嫌な気分になるわけないが、なんだかとてもこそばゆい。それでもクラリスは、全身傷だらけの僕を甲斐甲斐しく治療をしてくれた。


「……クラリスは治癒魔術も使えるんだったね」


「一応これでも元宮廷魔術師だよ。とんでもない魔術意外は大体使えるさ。得意不得意はあるけどね」


 そう言いながら、クラリスの魔道具が白く優しく光る。僕の肩の傷にそれが触れると、温かな光が傷口の奥深くへ染み渡っている感覚がする。


「闘技場の医務室は、薬や包帯を使った通常の治療だけだ。この傷は普通に治したら結構時間がかかるからね。ハクト、君は幸運だ。元宮廷魔術師をお抱えの治癒術師として独占してるんだから」


 意地悪な事を言いながらクラリスは治療を続ける。僕の傷口はどんどんとその傷を小さくし、5分程したら身体中の傷が綺麗さっぱりなくなってしまった。


「ありがとう、お陰で痛みも無くなったよ。これで明日も戦える」


「そう、君は明日も戦わないといけない。だから今日、ちゃんと治療をしたかったんだ。……本当に、無事で良かった」


 クラリスは心底ホッとした表情で安堵の溜息をつく。僕もその顔を見て、生きてて良かったと心から感じた。



 ……そして、気になってた事を聞いてみた。


「クラリス、僕が刀を拾おうとした時の事、覚えてる?」


 ピクっとした。


「突然ジェドが転がった様に見えたんだけど、あれってなんだったんだろう」


 クラリスの肩がぷるぷる震え出す。


「……まさか、誰か心優しい人がジェドを転ばしてくれたのかな。それで僕に刀を渡してくれたのかな。それだったら僕はその人にお礼をしなきゃならないなって思うんだよね」


「……ハクト! それは私だ! 私がやったんだ! だけどいいんだ、お礼なんて。ハクトに無事生き延びて欲しかっただけだから。ただ、私が君の事を思っている、それだけは覚えておいて欲しい!」


 じーっ。

 僕は出来る限り冷たい視線でクラリスを見つめる。僕の視線に気付いたのか、クラリスはしまったと言う顔をして僕から目線を逸らした。


「……クラリス、ありがとう。なんとなくクラリスが助けてくれたのかなって思ってはいたんだ。だけど、もう大丈夫だよ。僕は僕の力で戦う。負けるかも知れないけど、全力を出すよ。だから、クラリスは安心して見ててね」


「……ん。分かった。余計なことしてごめんね。明日も頑張ってね」



 治療を終えた僕達は、明日のスケジュールを聞きに運営まで行く事にした。




 ◆◆◆◆◆



「ねえねえ、アレク。昨日会ったハクトって子、凄かったね! まだまだ経験は少ないんだろうけど、彼の剣術? 刀術? は光るモノがあったね!」


「ああ、あの大男を両断した一撃はまぁまぁだったな。だがあれくらい俺にも出来る」


「確かにアレクも出来ると思うけど、彼の眼とあの速度の剣術が合わさったら、多分普通の人じゃ太刀打ち出来ないよ。体を一つの鞭のように使ってた。アレって凄いよ」


「……」


 俺は何も答えられない。

 多分、ハクトという奴が使ってたのはこの国の剣術ではない。あんな動き見た事ないからな。


 あの独特の動き、一撃に掛ける想い。隙も多いが威力も絶大だ。こちらの隙を突いてあの攻撃を仕掛けてきたら、きっと避けられない。そしたら間違いなく死ぬ……。


 エリスが気にかけていただけはある。眼が良いだけではない、何かをあの少年は持っているんだろう。



 明日からは決勝トーナメントだ。どんな組合せになるのか。誰と戦うのか。




 ……誰であろうと斬り伏せるだけだ。静かな決意を胸に秘め、俺は闘技場を後にする。

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