第183話 忍び寄る刃
前書き
サリア視点スタートです
―――――――――――――――――――
「さてと……」
季節は世間的には夏休み――だけど、貴族の子女にとって長期休暇とは、ただ遊び自堕落に過ごすためのものではないのだ。私――サリア・サンドバルにとってもそれは同様である。
戦争に勝利してから――いや正確に言えば、“紅蓮の公爵令嬢”レイナ・レンドーン様が奇跡的な生還を果たしてからこちら、王国は毎日が祝日のようなお祭りムードに包まれている。
終戦直後――つまりドルドゲルス帝都ロザルスでの決戦があり、戦争が終結し遠征していた軍が引き揚げてきた直後は、本当に戦争に勝ったのだろうか? と思うくらい街中は静まり返っていた。
私の友人アリシアも――いいえ、アリシアだけではなく、ディラン殿下を始めとした方々、そしてもちろん私自身も深く深く深い深淵の底のような悲しみと喪失感を味わっていた。
けれどその身を犠牲にされたレイナ様の為にも、悲しみをこらえて一歩ずつ歩いて行かないといけない。戦場に赴いていない私のような人間こそが、強い心を持ち、今度はアリシアたちを支えていかないといけない。そう決意して望んだ学院での追悼式。
――とまあ、国民全員がそんな状態だったのにあんな奇跡的な生還を果たされれば、盛り上がるなというのが無理な相談だ。
そんな奇跡的な生還を果たした伝説的な英雄であるレイナ様でさえ、もう執務に復帰されているというのだから、凡人である不肖この私もがんばらなければというものだ。
「はい、こちらの書類にまとめておきました。ではランゲルにいるシルヴェスターお兄様によろしくお願いします。あ、あとアリシアもよろしくお伝えくださいって」
我がサンドバル家は商家とのつながりが深い。今も兄たちは、大戦終結直後の混乱ある中、各国へと買い付けに赴いている。私はその事務的な手伝いだ。お料理研究会で人の使い方を勉強させていただいていることが活きていると思う。
「うーん、それにしてもバルシア市場の値動きがおかしいような?」
視線の先には、そうやって各国にいる兄たちから届いた最新の市況が書かれている。バルシア帝国はドルドゲルス北東にある大国だ。その数字に違和感を覚える。具体的にどうとはわからないのだけれど……。
「私の思い過ごしだといいんだけれど……」
激戦を戦い抜いた友人たちに、穏やかな日が長く続くことを静かに祈った――。
☆☆☆☆☆
部屋にいるのは私とクラリスの他に何人か。聞こえてくるのは紙をめくるパラパラと言う音と、ペンを走らせるカリカリという音。夏真っ盛りなこの季節。遊びにも行かないで私が何をしているかというと事務仕事だ。
お父様から預かった領地のあれこれは、私が大陸に行ったり死んだりしている間にとんでもない仕事量が溜まっていた。学校が始まる前に全部片づけちゃわないとね。というわけで、こうやって出向いて朝から晩まで事務仕事だ。
「はい、こっちは終わりましたわ。残っているものは?」
「こちらの水争いに関する案件に
「わかりましたわ。資料とまとめてよこしてちょうだい」
役人が渡した書類に何も見ずにサインを書いてはい終わり……というわけにはいかないわ。お父様から任されたからには、貴族として恥ずかしくない領地の運営をしないといけない。
だから本当に書類に書かれている事が正しいのか、小役人が賄賂を受け取っていないのか、という調査も含めた参考書類がこれまた分厚いのなんの……。例えば今私が持っている案件で言うと、まず村人Aさんの訴え、次に村人Bさんの言い分、担当した役人の判断、その上司の判断、そのまた上司の判断を挟み、最後に専門家の見解が書いてある。
気の利いた異世界転生者なら効率的な解決方法の一つでも提示できるんだろうけど、そこはしがないブラック企業ソルジャーだった私。そんなことはできないので、少なくとも一生懸命に取り組む。
「さて、もうひと頑張りしましょうか」
これも立場ある者の義務よね。タワーの様にうず高く積まれた書類を前にして、私は気合を入れなおした。
☆☆☆☆☆
「んんーっ! 疲れたー」
書類の山との格闘もひと段落して、ぐっと伸びをする。なんだかんだ言って私は事務仕事って結構得意よね。窓から差し込んでくる日差しは柔らかくなり、時間の経過を教えてくれる。もうじき夕暮れだ。
「……。クラリス、夕食の前に少し散歩をするからついて来て」
「かしこまりましたお嬢様、お供します。しかしもうじき日が沈みます。時間にはお気をつけを」
「大丈夫。オードブルまでには済ますわよ」
☆☆☆☆☆
クラリスを連れて、小川沿いを歩いていく。ちょうど以前水路をふさいでいた岩を破砕した方だけど、そこまでは行かない。けれど村からは十分に離れたところで、私は立ち止まった。
「さあ、そろそろ出てきたらどうかしら?」
「……さすがは“紅蓮の公爵令嬢”。お見通しか」
くぐもった男の声が聞こえた。すると私たちの前後左右から取り囲むように、
やっぱり変な連中がいたわね。いくら事務仕事の後とはいえそこら辺の感は鈍らないわよ。戦場帰りを舐めないでちょうだい。
――この仮面には見覚えがある。
最初に見たのは三年前。私がエンゼリア一年生の時だ。先輩方の卒業式をむちゃくちゃにした集団が被っていたのがこの仮面だった。あれは結局ドルドゲルスの支援を受けたルーノウ
「ルーノウ派閥の残党かしら? それともそう見せかけたいだけ?」
「貴様は知る必要のないことだ。レンドーンの家の者はことごとく死んでもらう。それは貴様もだ!」
「なんて典型的な三下暗殺者のセリフかしら? 逆に興奮しますわね」
「減らず口を! 死ね!」
そう言って男たちは、ある者は手にした剣で、ある者は魔法で私たちに襲い掛かってくる。その切っ先が私の喉を捉えて迫り――
「いいわ、排除してちょうだい」
「「「はっ!」」」
――私の喉をかき切ることは出来なかった。
「クソっ! こ、こいつらどこから!?」
「オーホッホッホッ! レンドーン家の誇るSP部隊が、あなた達がごとき素人に毛が生えたような集団に察知できると思って?」
私の合図で出てきたレンドーン家SP部隊の皆さんが、仮面の男達を取り押さえる。何か良からぬ連中が私を狙っていることはわかっていたわ。
だからわざと村から離れたところへ行き、出てくるように言った。護衛の皆さんには私が敵の情報を聞き出すまで待ってもらっていたというわけよ。
「《束縛の
そう言っている間にクラリスは五人の襲撃者を魔法で取り押さえていた。
「お嬢様、お怪我は?」
「あなた達のおかげで大丈夫よ、ありがとう。襲撃者はなるべく殺しちゃだめよ? 聞きたいことは沢山あるんだから」
公爵令嬢という立場上、身代金目的の誘拐や政治的な襲撃を受けることはわりとよくある。けれどこいつらは何らかの組織として動いていると思うわ。であるなら、背後関係を洗うことが重要ね。
「ルーノウ派閥の残党でしょうか?」
「わからないわ。……そう言えばこいつら、レンドーン家の者はことごとく死んでもらうって言っていたわよね?」
「言っておりました。であればレンドーン家に強い恨みを持っているというのは確実でしょうね」
「だとするとよ、クラリス。わざわざ強い私を狙った理由は何?」
不本意ながら私はあのおとぼけ女神によって、常人ではありえないレベルの魔力を持ち、これまた不本意ながら“紅蓮の公爵令嬢”なんて二つ名をいただいている。
魔法ではなく剣を使えばお嬢様な私は怖がって判断が遅れると思ったのかもしれないけれど、わざわざ私を襲撃することはないと思う。レンドーン家自体に恨みを持つのならなおさらよ。
「万が一にもお嬢様の襲撃に成功したのなら、宣伝としてこの上ない効果だからでは。――だとすると……!」
「ええそうよ。こいつらは何かの指示を受けて行動している。きっと別動隊がいるわ。そして私以上にレンドーン家を代表するのは当然当主!」
――だとしたら、お父様とお母様が危ない!
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