Track.9-09「復讐だからです」
「森瀬さん大丈夫?顔色悪いよ?」
通された会議室、隣に座る小早川さんが顔を覗き込んでくる。
「大丈夫です……ちょっと、緊張しているだけで」
「そう?」
心臓が痛いけれど、これは弁に孔が空いたせいじゃない。そうじゃなく、ぎゅうと周囲から握られているような収縮感。これからのことを考えると、心臓はさらに小さくなるようだ。
「芽衣ちゃん」
横を見ると、叔父さんの自信有りげに微笑む顔。
鼓舞ならさっき、車の中で貰っている――それを思い出してあたしは頷きを返す。
正面に向き直り、目を閉じて深呼吸をひとつ。
「先ずは、自分がどんな感情を抱えているかを言葉にするんだ。ああ、口に出さなくてもいい。心の中で、自分を苦しめている感情と向き合いなさい」
「……はい」
怖い――最初に浮かんだのは、恐怖だった。
でもそれはまだ漠然としている恐怖だ。得体の知れない、顔を背けたくなる恐怖。でもそれじゃあ、あたしが何に恐怖しているのかは判らない。
触れる。紐解く。
あたしは、――そうだ、あたしが迷惑をかけた人たちに、どんな顔をされるのか、どんなことを言われるのかが怖いのだ。
だっていうのに、その上さらに“もう一度
でも、頑張ると決めたのはあたし自身の筈だ。
これは誰にも強制されていない、あたし自身の願いだ。
思い浮かんだのは、咲の顔だった。どうしてだかそれは綺麗さっぱり傷の治った顔だったけれど、その顔をあたしは見たことの無い筈だったから不思議だったけれど、でもその天使みたいな笑顔にあたしは心の中でも頷きを返す。
ガチャリ――ドアが開く音が響いて、あたしは刮目して立ち上がる。叔父さんと小早川さんも。
「お待たせしてすみません」
現れたのは、
ドクン――心臓が高鳴る。
着席を促され、テーブルを挟んであたしたちは椅子に腰を落ち着けた。
「はじめまして、の方もいらっしゃいますね。僕は
文輝
その名前からも判る通り超絶感覚派の芸術家肌で、気難しいと思われがちだけど人情家で通っている、雲よりも掴み難い人物――昔、何かの雑誌のインタビュー記事でそういう煽り文句を見たことがある。
実際の人物像と言えば――あたしは正直、二度ほどしかお会いしたことが無いからよく解らない。今日が三度目の邂逅というわけだ。
「森瀬芽衣の後見人という立場になります、森瀬世尉です」
「森瀬さんが入院している病院の医療スタッフで検査技師の小早川です。正直僕に関しては本当にただの付き添いですので、いないものと思っていただいて大丈夫です。何なら廊下で待つことも出来ますが、どうされますか?」
後見人、そして入院――その
そして恐らくその答えは
「あの」
だから先手を打ってあたしが声を放った。
斎藤さんが何かを言おうとしたけれど、西田さんとに挟まれて座る中央の文輝さんが手でそれを制し、そしてその手をあたしに向けた。五指を揃えて掌を天井に向けるそれは、“どうぞ”というジェスチャーだ。だからあたしは小さくお辞儀して語りを始める。
「……その、……休業中という立場にも関わらず、……えっと、……これまで、連絡を取らずに来たこと……本当に、すみませんでした」
深く――それこそテーブルに額をぶつけそうになるくらいに頭を下げた。
言葉にすることで罪悪感があたしの中で輪郭を鮮明にし、涙と嗚咽が込み上げてくる――でも駄目だ、まだ何も伝えていない。お臍の辺りにぐっと力を入れてそれらを喉の奥に押し込めたあたしは、ゆっくりと頭を上げて恐る恐る三人を見た。
「――続けて下さい」
表情を一切変えないまま、文輝さんはあたしに続きを促した。だからあたしは、用意してきたこれまでのあたしのことを、出来るだけ用意した通りに話す。
時折込み上げてくる懺悔のような嗚咽を噛み殺しながら、出来る限り正確に伝わるように。
オーディションにクラスメイトと一緒に応募してあたしだけが受かったことなら既に話している。でも改めてそこからあたしは話した。
そして段々と孤立していくあたしの学生生活と、
学校にも行けなくなり、引きこもって何をするでも無い毎日を過ごしながら、弾みで手首を切ったこと。それに依存していったこと。
包帯の下のいくつもの蚯蚓腫れを見た斎藤さんと西田さんは唖然としていた。文輝さんは何を考えているのか分からなかった。
三月末、両親が乗る飛行機が墜ちたこと。それをニュースで知ったあたしは、自殺しようとして――結局出来ずに、生きたいと願ってしまったこと。
それらを話し終える頃にはあたしの顔はぐしゃぐしゃで、何度も何度もつっかえながらそれでもあたしは話し切った。全部を、多分うまく伝えられたと思う。
「……どうして、戻ろうと思ったの?」
しゃくり上げてうまく息が出来ないあたしの呼吸が整うまでを、文輝さんを始め斎藤さんも西田さんも待っていてくれた。
叔父さんも、小早川さんも。何も言わずただあたしの側にいてくれて、そして待っていてくれた。
噛み殺したはずの嗚咽も涙も、その度にゾンビみたいに何度も蘇ってはあたしの喉に張り付いた。まるで言葉を通せんぼしているみたいで、身体の全てがあたしの言葉を堰き止めようとしていた。
それでもあたしはそれを言わずにはいられなかった。
「これが、……っ、……あたしの、っ……復讐だからです」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます