Track.9-07「――笑顔が、作れない」

「手術、来週に決まったよ」

「え?」


 病室に遊びに来た咲が、あたしが腰を落ち着けているベッドに上がり込みあたしの隣に擦り寄った。そのついでみたいなノリで、結構大事なことを告げた。


「迷ってたけど……元に戻りたいっては思うしさ」

「そっか。……大丈夫?」

「大丈夫って何が?」


 問われ、自分でも何に対してそう問いかけたのか判らないことに気付く。所謂気休めってやつだ。


「――大丈夫だよ。寧ろ芽衣ちゃんの方が」

「あたし?」

「……まだ、切ったりするの?」


 咲が右手であたしの左腕を持ち上げた。いつの間にかその五指はあたしの五指に絡み付いて“恋人つなぎ”になっている。無意識だけれど、ちゃっかりあたしもその指を握り返しているし。


「……切りたいって気持ちは今は無いよ。でも、未来のことは判らない」

「んじゃまた切っちゃうかも?」

「切らないで済むなら、それが最良ベストだとは思う」

「ふぅん……」


 でも何となく、あたしはもう切らないだろうと思う。

 それを言葉に出来なかったのは、そうしないという確証は無いからだ。


 あたしはもう一度アイドルに、RUBYルビに戻りたい。

 自傷行為を続けている限り、それは絵空事に過ぎないだろう。

 それを現実に引き戻すためには、あたしは絶対に手首や腕を切らないべきだ。

 でも、あたしはその夢に拒絶されるかもしれない。現実は思い通りになることの方が少なくて、自分以外の様々な要因で理想なんていとも容易く崩れてしまう。

 そうでなくてもあたしは自傷と自殺未遂という受け入れられ難い経緯を持ってしまった。


 拒絶されたら――また、切ってしまうあたしに戻ってしまうかもしれない。


「アイドル、戻れるといいね」

「え?」


 そんな心情を察知したのか、咲は唐突にそんなことを口走った。


「わたし推すよ。ライブとか握手会とか行くから」

「……うん、ありがとう」


 彼女は凄い。

 志々雄ししお真実まことばりの包帯姿だって言うのに、その奥に満面の笑みを湛えているのが判る。凍り切った心でさえ融かしてしまうような天使の微笑みだ。その様相で判るくらいなんだから、よっぽどだ。


 そしてその笑顔を受けて、あたしはもうひとつのあたしの問題を想起する。


 たぶん、切らないことはそんなに難しいことじゃない気がする。だって今、切りたいという気持ちはきれいさっぱり無くなっているのだから。

 寧ろそれよりも問題なのは――――


「……ねぇ、」

「何?」

「……芽衣ちゃんって……わたしといて、楽しい?」

「え?……楽しいよ」


 ――――笑えないってこと。笑顔を、あたしが作れないってこと。


「あたし、咲といて楽しいし、嬉しいよ。でもごめん……どうしても駄目なの。どうしても、――笑顔が、作れない」

「……ごめん」

「ううん……あたしが、笑えないから」


 笑おうとすると、どうしてだか急に泣きたい気持ちが強くり出てくる。

 上げようとした笑い声は込み上がる嗚咽に掻き消されて、自由に呼吸できない苦しみがあたしの身体を支配する。


 楽しさは申し訳なさに。

 嬉しさは不甲斐なさに。

 幸せな気持ちは情けなさに変換される。


 自分がとても、要らないナニカに思えて仕方なくなる。


 自分の中で、誰かの声がこだまする――


『お前みたいなブスがアイドルだなんて烏滸がましい』


『歌も上手くない、大して踊れもしないやつが目指していい場所じゃない』


『お飾りにもならない』


『笑えない奴が何をどうしたらアイドルなんて夢見れるんだ?』


『消えろよ』


『クソが』


「大丈夫だよ」


 いつの間にか泣きじゃくっていたあたしは、隣の小柄で華奢な身体に抱き留められていた。

 包帯を突き抜けて、彼女のぬくみがあたしを融かす。

 頭を撫でる手が、背中を摩る手が、耳を塞ぐように声を消した。


「芽衣ちゃん可愛いもん。笑えなくても、そういうアイドルだっていていいと思う」


 まるで金槌ハンマーで殴られたような衝撃だった。

 笑えないというあたしの欠落を、この子はそれでいいと告げた。


 それが嬉しくて。


 とても嬉しくて。


 あたしの目はより一層の涙を溢して、あたしの喉はより一層の嗚咽を漏らした。


「よしよし。よしよし――」


 決めた。

 あたしは彼女に、笑顔を見せたい。


 彼女は笑えなくてもいいと言ってくれたけれど――あたしは、すぐじゃなくても。いつか、彼女に笑顔を贈りたい。

 だから、今すぐには難しいかもしれないけれど、笑おう。精一杯の笑顔で伝えよう。


 “ありがとう”を。



   ◆



「え、常盤さんが咲ちゃんの手術担当するの!?」

「そうよ?あれ、四月朔日さんから聞いてないの?」

「え、全然……」


 あたしたちが友達であることを知った――正確には友達にだけど――常盤さんは、彼女の主治医であることと、ものすごく黒寄りのグレーだけど可能な範囲の彼女の情報を教えてくれた。無論それは、あたしの情報もある程度は彼女に筒抜けだということだ。

 常盤さんは意外にも大雑把な性格で、ちゃんとしているところはちゃんとしているんだけれど、線を超えたらもう本当にあっけらかんと色々教えてくれる。まぁちゃんとしているところはちゃんとしているから、本当に駄目なことは教えないと思うけど……


「でも先生、外科医なんですか?」

「外科手術も出来る腕はあるけど、違うわよ。専門は――魔術医。術系統は時術だけど、大体の療術は扱えるの」

「え、じゃあ咲の手術って……」


 あたしはどうやら勘違いをしていたらしい。咲の爛れた皮膚を除去して、培養した皮膚とか被せて縫うような形成手術を想像していたんだけど、実際には違った。


「魔科手術よ。彼女のような場合は大抵、爛れた皮膚を除去した後に彼女の持つ自然治癒力を増強させて再生を早めるような術式が採用されるんだけど、今回は私が執刀するから違う術式」

「どんな手術になるんですか?」


 にこりと微笑んで、常盤さんは誇らしげに説く。


「術式の名称は“損傷部位回帰法”――彼女の爛れた部分の時を戻して、爛れる前の状態にする。“除去再生法”だと細胞分裂の回数消費しちゃうから寿命縮むしね」


 よくわからないということが、よくわかりました。


「でも、普通の外科手術じゃ駄目なんですか?」


 通常の外科手術と魔科手術では、執刀できる医師の数が極端に違う――術式にもよるけれど、やはり後者の方が圧倒的に少ない――し、それにかかる費用だって段違いだんち――これもやはり後者の方が箆棒べらぼうに高額――だ。

 それに彼女は魔科手術を必ずしも要するというわけでも無い。通常の外科手術でも、彼女の容姿は元に戻る筈なのだ。


「それはね、大きく二つの理由があって――まずひとつは、魔科手術の方が早く元に戻る。よくある“除去再生法”だと治癒能力を増強するし、私がやる“損傷部位回帰法”も時間を元に戻すだけだから術後の腫れとかも無いしね」

「もう一つは?」

「綺麗に戻るかどうか」

「綺麗に?」

「そう――特に“損傷部位回帰法”はね、何度も言うけど時間を元に戻して治療するから、全部が損傷する前にぴったり戻るのよ。こういう手術でよくあるケースが、直った後の容姿をどうしても自分の容姿だと認められない――特に彼女みたいに自分の容姿になまじ自身があると尚更、どこか違和感を覚えてしまう」

「……そんなことがあるんですか」


 確かに、怪我をすると治ったとしてもその部分はどこか以前と違う形になる。あたしの左腕なんかその代表だってくらいだし、顔なんて毎日見る部位は、それがより顕著なのかもしれない。

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