Track.7-32「あ」

「茜っ、――本当に、君は」

「煩えって言ってんだろっ!」


 駆け出し、左鉤突きを見せておいてからの右下段蹴りローキックを叩き込む。目論見通り化け物アキラは対応しきれずに全身の羽毛を逆立ててハリネズミのようになった。しかし膝から下はそもそもが羽毛に包まれてはいない。だからオレは人体の急所でもある脛を目掛けて低弾道の蹴りを放ったのだが――


「痛ぇっ!」


 金属バットを思い切り振り抜かれたような衝撃に飛び退いたのはオレの方だった。

 成程、羽毛に守られていないのにはちゃんと理由があるってことね――納得は得られたが、代わりに打つ手を手放したってところだ。攻めあぐねたくは無いけど、もう少し考える必要がある。


「茜、本当に、本当に君は――」

「あ?今更何迷ってんだよ、正義のヒーロー」


 十分に距離を取り、改めて化け物アキラの全身を隈なく眺める。

 攻めるなら、顔面しか無い。股間への蹴りは硬化した羽毛の針で弾かれる、膝から下の皮膚はまるで鋼だ。ならば、羽毛に守られていない顔面こそが化け物アキラの弱点だろう。先程目突きを放った際に硬さも実感済みだ。


「……そう、……そうなんだね」

「何がだよ」

「僕が憧れた正義は君にはもう無いんだね」

「はあ?」

「君なら、僕のことを理解してくれるって思ってた。君が僕なら、同じことを――っ」


 硬く毛羽立った羽毛が萎れていく――本人の意思に関係ないのだとしたら持続時間は5秒程度、と言ったところか。

 化け物アキラの表情は憤怒と憎悪に塗れている。

 赤黒く濁った双眸は鬼気迫る眼差しでオレを貫くも、当のオレは攻め手を組み立てるのに必死で全然気にしちゃいない――それがより一層、化け物アイツの逆鱗に触れていようとも。


「君は、変わったんだね」

「……そうだな、でもそれは、コバルトさんと出会ってからだな。少なくともお前と友達ダチになった頃には今の自分でいたつもり――――」


 言い終わる前に、眼前にいた。


「――っ!?」


 咄嗟に後ろに飛び退くも、リーチの違いでオレの胸部に一筋の赤い線が引かれる。鋭く熱い一閃は、もしあとコンマ数秒でも反応が遅れていたら痛みを感じる間さえ無く意識を途絶されていただろう、って感じだ。

 しかし化け物アキラの攻撃はそれで終わりではない。

 踵で着地してそのまま倒れ転がるようにして後方へと距離を取ろうとするオレに対し、振り抜いた右腕を今度は引き払うようにして、その腕に生えた風切り羽根を射出する。

 都合四つの風切り羽根を立ち上がりざま横っ飛びに躱したオレの視界に、また新たな風切り羽根が襲来する。


 ここじゃ駄目だ――――脳が警鐘を打ち鳴らし、オレは逃げながら遮蔽物を探す。

 あった――――貯水タンクを擁するコンクリートの壁、そこを目掛けて跳躍した。


「ぐっ――――ぅ」


 浅く裂かれた腹部の痛みに顔を顰める。背中を預けたコンクリートの壁は大きく、弾かれた風切り羽根のひとつが錐揉むように屋上の床を跳ねていく。

 化け物アキラの攻め手は両腕に生えた風切り羽根での直接的な斬撃、そしてその風切り羽根を射出することによる射撃。体つきが変わったことによる身体能力の変化だどれだけの上昇率なのかはまだ判らないが、腕を振り抜いた速度スピードから考えると本来の倍以上には強化されていると考えていいだろう。

 気になるのは化け物アイツがどれだけの戦闘訓練を受けているかだ――魔術士というのがどんな職業なのかをオレはよく知らないけれど、荒事を生業にしている者も多いとは聞いたことがある。アキラからは魔術でどういう生計を立てているのかとか、家でどんな魔術の訓練をしているのかなんていうことは全く聞いて来なかった。こんなことなら、せめて自分語りと同じ程度の興味を暁に注いでいれば良かった、だなんて後悔しても後の祭りか。


「茜ぇ!」


 羽根を集めて握りこんだ巨大な拳がコンクリートをぶち抜き、その破片がまるで散弾銃のように降り注ぐ――咄嗟に飛び退いたおかげで直撃は避けられたものの、脳内で取り纏めた情報を更新せざるを得ないことが腹立たしい。

 そりゃあそうか――鋭く硬化させることが出来るんだ、羽根を折り曲げて固めれば拳と変わらない、寧ろコンクリートを砕く程度の芸当は難しくないか。


「く、――っそ!」


 前進しながら硬大な拳を振り上げる化け物アキラに対してオレもまた前進を決め込んで蹴り足を踏ん張る――だがオレの爪先は屋上にばら撒かれたコンクリートの細かい粒子に滑り推進力を失った。


「あ」


 まずい、という思考とともに、急速に時間の流れが停滞し始めた。

 振り翳された化け物アキラの右拳がやがて頂点へと達し。

 大きく踏み込んだ左足の黒い鉤爪が屋上の床を貫いて食い込んだ。

 限界まで振り上げられた右腕が降下を開始する。

 巨躯もまた捻りを見せ、羽毛の豹紋も追従して捩じられていく。


 その中に、

 流線を垣間見た。



   ◆


「どうだ、話してみないか?」


 フラマーズに詰め寄られたトリは意を決した。

 浅く伏せた視線を再度上げて眼前の銀騎士を見据えると、固く結んだ渇いた唇を開く。


「……仲間がいる」

「仲間?」

「ああ。あそこの洞穴に隠れている」


 少し離れてしまった洞穴を指差すトリの挙動に後ろの七人は心の中で身構えた。

 その言動だけを切り取れば、トリは荒野を根城とする賊の一味であり、仲間を売ったのだとも取れる。しかしそうでないことをフラマーズは何となく理解していた。


「仲間の数は?どうして戦わない?」

「一人だ。具合を悪くして休んでいる。元より、そうでなくとも戦いなど出来ない奴だ」

「そうか。そいつは、……お前と同じ鳥人アラトゥミアンか?」

「いや、違う。違うが、翼は持っている」


 トリにとって鳥人アラトゥミアンという言葉は聞き馴染みは無かったが、凡そどのようなことが聞きたいのかというのは判っていた。だからこそ発せられたその言葉に、騎士たちの目の色がほんのりと変わる。


「……鳥人アラトゥミアンでは無いが、翼を持っているのか」

「そういうことになる」

「そうか」

「そうだ。そして俺は、彼女を聖都まで連れて行かなければならない」

「聖都まで?」

「ああ、聖都までだ。彼女はどうやらそこで生まれ育ったらしく、ただ――連れ去られ、見世物小屋に捕まっていたんだ」


 フラマーズの後ろで七人が顔を見合わせる。同じ並びにいたならフラマーズさえそうしただろう。しかし彼はそうせず、今しがた聞いた情報を脳内に流し込んでただただ平静を装った。


「俺もまた、連れ去られ見世物小屋へと捕まった一人だ。ただ運良く、小屋があった町に魔獣の群れが襲い掛かり、その混乱に乗じて逃げ出すことが出来た」


 その後、街から街へと移りながら彼女の望みに従い聖都を目指してきたとトリは告げた。

 その言葉を聞き終わったフラマーズは静かで深い溜息を吐いた。


「残念だが、君が彼女を連れて帰ることは出来ない」

「そうだろうな――俺のこの姿はどうやら、人間ヴェルミアン至上主義の街では歓迎されないだろうからな」

「そうじゃない」


 トリは目を見開いた。銀騎士は静かに言葉を紡ぐ。


「そうじゃないんだ――5年前、人々の希望と謳われた“聖女”が姿を消した。郊外の村に洗礼を施す旅路の途中のことだった」


 聖女を運んでいた旅団は賊の襲撃に遭ったのだと銀騎士は語る。しかし驚愕は次の言葉だ。


「聖女はその姿から、“天の御使い”として信者に希望を与える存在とされていた。聖女は、背中に翼を持って産まれてきたからだ」

「――――そうか」


 絞り出すように答えたトリの表情は、全てを察した者のそれだった。フラマーズは難しい顔でその表情を眺める。


「俺が彼女を連れて行けば、俺こそがその賊として裁かれるのか」

「……そういう、ことだ」

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