Track.7-29「正義なんかじゃ無いんだよ」

「何で……?」


 戸惑うその声を、オレの耳はやっぱりアキラの声だって認識する。

 でもオレの目に映る風景の中にその姿は無い。一切、ありはしない。

 ただそこにいるのは化け物。

 身の丈は2メートルくらいだろうか、意外と巨きい。まるで立ち上がった熊だ。

 でもそれは熊じゃない。意匠デザインとしてはハヤブサフクロウタカのような猛禽類を思わせる。

 短く逆立った茶色い羽毛は豹のような斑紋模様がちりばめられ、太い両の豪腕には風切羽が生え揃っている――でもその長さではきっと飛べないだろう。

 両足も太く筋肉を秘めているが、膝から下は毛を失い、鋭く黒い鉤爪が足の先端から伸びている。


 何もかもが違うその姿なのに。

 だって言うのに、オレは化け物ソイツを、アキラだと確信していた。

 だからだろうか――こんなにも頭が痛くて、胸が痛いのは。


「何で?お前が……お前が、“助けて”って言ったからだ」


 化け物の顔が歪む。

 悲痛が刻まれたその歪みの上に、そして徐々に違う色の感情が灯る。


「……遅いよ。遅すぎるよ!もう、僕は、僕は――――っ!」


 化け物の顔が歪む。

 悲痛はもう憎悪に代わってしまった。やがて段々とその熱量と深度とが増していく。


「僕は――――6人も……」

「……ああ、そう」

「何でだよ……何で、すぐに……っ、……僕は、だって、僕は……っ――」

わりぃ――――何て言えばいいのか、わかんねーや」


 狼狽する化け物アキラに向けていた視線をほんの少しだけ落としたオレは、頭をがしがしと搔きながら再度化け物アキラを見据える。


友達ダチ失格だな」

「そんなっ……っは、……何で?……だって、僕は……君が、……っ、」

「……その格好」

「えっ……?」

「……何つーか……トリ、みたいだな――あの小説のさ」


 暁から借りたあの小説の最後――主人公であるトリは憎悪に塗れて“猛禽の怪物”へと変貌し、復讐のために暴虐を振るう。

 暁のその姿にほんの些細な既視感を覚えていたのは、きっとこれが初めての邂逅じゃないってこともあるけれど――――でもそれは多分、あの小説を読んでいたからだ。


「僕は……トリになりたかった……」

「……だろうな。お前がやってんのは結局、正義感から生まれた断罪なんだろ?」


 小薗井おぞのいレオ。

 於保沼おほぬま晁生あきお

 元木もとき真主良ますら

 もり生弥なれや


 それぞれの中学生時代にそれぞれの中学校でやりたい放題暴れ回っていた彼らに虐げられた者も勿論いる。

 金をせびられ巻き上げられたヤツも。

 理由もなく殴られ、身体と心に傷を負ったヤツも。

 高校に入学してからはすっかり丸くなったかもしれないが、その過去が、その悪が消えることは無い。

 当の本人たちはケロッとしているけれど、犠牲者の中には未だ傷痕を痛めているヤツもいる。


 オレでさえ、ここ数日の間にそれだけのことを知れたんだ。

 暁が一体どれほどの時間を情報収集に費やしたかは分からないけど、それでもオレなんかよりももっと濃密な過去を暴いたんだろう。


「正義って、……気持ちいいよな」

「茜……」


 オレだってそうだった過去があった。正義を振り翳せるだけの力があると思い込んで、自分の内側の苛立ちや焦燥を、正義だと言い聞かせることで正当化した。


「でもさ、違うんだよ。それは、正義じゃ無い」

「……じゃあ、何だって言うの?」

「暁――お前がやってることは、正義なんかじゃ無いんだよ」

「何でだよ――あいつらは罪を犯してた。たまたま裁かれずに済んで、被害者の今も知りもせず反省もせずそんなことがあったことも忘れてのうのうと暮らしてる!おかしいじゃないか!何で正しい人が傷ついて、何で悪人がのさばってんのさ、おかしいだろ!?」


 まるで酩酊しているかのようにふらりふらりと揺れながら捲し立てる化け物アキラの様子は、一語一語を発するごとにその身が表す野生を色濃くさせている。

 咆哮にも似た激昂の怒号は夜の屋上に響き渡り、荒く息をする怪物アキラは――だって言うのに、憎悪というよりは悲哀の眼差しをオレに向けている。


「誰かが、懲悪者にならなきゃってずっと思ってた。出来ることなら僕が、そうありたかった」

「……そ」

「でも僕にはそんな力なんて無かった。僕は魔術士の家に生まれたけど、特別な才能なんて持ち合わせていなかった。僕が理想とする僕になることを、僕は一度諦めたんだ――でも、君の話を聞いたとき、純粋に憧れた。自分の培った力で以て、正義の鉄槌を振り下ろしてきた君に僕は畏敬の念を抱かずにはいられなかった!――茜、僕は……君になりたかったんだ」

「お前はオレにはなれないし、もしなれたとしてもしょーもねーよ」

「僕がもう一度“変わろう”って思えたのは、茜、君がいてくれたからだ」

「ああ、おめでとう、って感じだよ。で、変わった結果がソレか?」


 指を差すと、化け物アキラは自分の両手を見下ろした。そして虚無的ニヒル嘲笑わらったかと思えば、口角を上げて言い放つ。


トリ、みたいだろ?」

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