Interlude.02「配列を組み替え、次を試す」
雲、というよりも。
あれは空間そのものに空いているのかもしれない。
その穴は中心に向かって極彩の渦を巻き、その律動は大気を揺るがす咆哮のようだった。
そして渦の中心から、ひどく巨大な黒い腕が出て来る。
穴というか、渦の外縁を掴み、黒い腕は引き上げるようにして黒い巨躯を穴の外に押し出した。
肌が黒いのではない。
漆黒の外皮を纏った、闇を擬人化したような存在だ。
辛うじてヒトの形を保っているその存在は、しかし腕が6本あり。
その体長もおそらく5メートルは超えているだろう。
眼窩には赤白く爛々と輝く光球がふたつ、双眸の如く鎮座し。
額からは
その巨躯の後ろではためいているのはおそらく尻尾だろう。
見たままを言えば。
それは、悪魔に他ならなかった。
ただし私は悪魔を見たことが無かったため、それが本当に悪魔だったのかは判らない。
「――――っ!――――っ!!」
部族どもがどよめき、口々に何かを叫んでいるが私にはその言葉の意味は判らない。
ただ束ねられた草枝を振り回していた老齢の男だけが静かに、まるで祈りを捧げるような格好で膝をついてその黒い存在に哀願していた。
あの男が、あの黒い存在を
『――、――――』
「―――、―――――――」
『―――、―――、――』
話がまとまったのか、黒い存在は天の上から私を見下ろした。
盛られた神経毒のようなもので身体の自由を奪われていた私は
ああ。
きっと私は、あの黒い存在の糧となるのだな。
音が消え、色が消え、速度が消えた世界の風景。
ゆっくりと墜ちてくる隕石のような黒い存在が肉薄する、おそらくは一瞬にも満たないその時間の中で、私の脳裏に想起されていた私の私のための私だけの美術館の様相はその繊細さ・詳細さを高めていく。
6本の黒い腕が私に向かって突き出され。
その鋭い鉤爪のような指が私に触れる。
その、最中。
――バギン。
重厚なガラスが
或いは、厚みを持った丈夫な金属の板が断たれたような。
凡そそのような響きを上げて、私の背に接していた地面が割れた。
いや。
割れたのは地面ではなく――空間だった。
「――っ!?」
『――――――!!』
その衝撃はそこら一帯に波濤すると、全てを飲み込んでぐちゃぐちゃにした。
肉片は血飛沫とともに盛大に舞い散り、瑞々しい苺をミキサーにかけたようだった。
老齢の男も、紅い
黒い存在でさえ、肉片となるには至らなかったが急旋回して天に舞い戻り、私を睨み付けている。
先程までの倦怠感が嘘のように私は立ち上がる。
赤黒く変色した泥が、海のように
あちらこちらに、飲み込んで切り刻んだ肉と血と骨と脳漿で組み上げられた精巧な
絶頂しそうだった。
夢に見ていた美術館が、そこにはあったのだ。
私だけの世界だ。そこは、私が、私のために、私の手で創り上げられた
見上げると、黒い存在が出てきた穴すら、私の世界は飲み込んでしまったようで。
黒い存在は行き場を無くし、怒髪が天を衝くかのように大仰な雄叫びを空に放っていた。
空間に満ちる、虹色に輝く粒子が今でははっきりと視えた。
首の奥、脊髄の中に、自在に組み替えられる23対全46基の配列が意識の中で
黒い存在に向けて手を差し向け、その配列を組み替えて意思を徹す。
虹色の粒子が震え、赤黒い泥の水面から肉が剥き出しになった巨大過ぎるにも程があるミールワームのような化け物が飛び出し、黒い存在へと襲い掛かる。
配列を組み替え、次を試す。
今度は空を覆う肉色の膜のあちらこちらが伸びて、腐肉の触手が犇めいて殺到した。
配列を組み替え、次を試す。
中空に虹色が集約したと思うと、浅黒い光沢を持つ巨大な山椒魚のようになって酸を吐き散らかした。
配列を組み替え、次を試す。
顔面に縦の亀裂が入り、横に大きく開いた巨大な口を持つ巨大な鯨のような化け物が泥から跳び上がり、黒い存在に牙を剥く。
配列を組み替え、次を試す。
配列を組み替え、次を試す。
配列を組み替え、次を――――――――。
『――――――ッッッ!!!』
断末魔を上げて喰らわれた黒い存在は、私の世界の糧となった。
そして私の世界はその存在が知っていた、魔術の知識を私に齎す。
どうやら私の世界は、一般的には“異世界”と言うらしい。
どうやらそれを構成しているあの虹色に輝く粒子は、一般的には“
どうやら私の脊髄でこの世界に命令を与えていたあの配列は、一般的には“霊基配列”と言うらしい。
その霊基配列を組み替えて意思を徹すことで、自身に内在する
しかしそれらのことは、私にとっては些末事だった。
確かにそれらの知識が齎した私への影響力は計り知れないだろう。何故なら私は得た知識により私の異世界を拡張・運営する
だが私が執心したのは魔術ではない。あくまで、私の創作そのものだ。
私の世界観をありのままに表現することが出来ると知った私は、いるかどうかは定かではないが神と言う存在に感謝した。
いつか邂逅を果せたのなら、全身全霊を懸けて神を材料に至上の最高傑作を創り上げることを誓うくらいには、それはもう感謝した。
これで漸く、人目を憚らずに芸術活動に勤しむことが出来る。
幼い頃から私に憑いて離れなかった残虐性。
ただそれを、ストレスを発散するかのように弄んでいた少年時代。
それが、弄ぶのではなく芸術に昇華するよう研鑽を重ねた青年時代。
それらを経て、私は創作者へと、表現者へと
芸術家ならば相応しい名が必要だろう。
ならば私をこう
――“異界表現者”、
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