Track.5-7「私、君の提案なんか飲み込んでないよ?」

「先輩――いとのことって、誰かに相談とかしましたか?」

「え、相談?してないよ?」

「そうですね、俺もその方がいいと思います」


 軽く握った拳を口元に当てて、やたら冷淡に話す絲士の横顔を愛詩はまじまじと見詰める。

 切り捨てられた恋心ではなく、それは好奇心だった。

 その拳は癖なのだろうか。髪の毛を切らないのか。姿勢は直さないのか。


 その視線を気にも留めず、絲士は愛詩を見ずに告げる。


「俺は弓削という弦術士の一族に生まれました。弦術とはいとを司る魔術士で、弦を伸ばして何かと何かを接続したり、ピンと張って糸電話のように振動を音にして聞いたりすることなどが出来ます。勿論、それ以上のことも色々と」

「……うん」


 こほ、と一つ小さな咳払いをし、絲士は再び言葉を発する。

 彼の声はやや低く掠れ気味で、くぐもって聞こえるために近寄らなければ上手く聞き取れなかった。だから愛詩は、なるべく互いに意識しないで済むような繊細な距離感を強いられた。

 日に二度の勝手な失恋をした愛詩にとって、その距離感を保つのには苦心した。

 そんなことは梅雨知らず、或いはお構いなしに、絲士はただ淡々と彼の考えを言葉にしていく。


「物心着いた時から弦に触れて来た俺や、他の魔術士から見てもそうだと思うんですけど、先輩の魔力は尋常じゃないんですよ」


 そう言って彼は、口元に置いていた右拳から人差し指を一本だけ立てると、その指先から虹色に輝く細い絹糸のような弦をゆっくりと伸ばした。

 弦は空中でくるりと弧を描き、円を描きながら、やがて中空に幾何学模様を描いた。

 愛詩はその模様が何を表すのかは判らなかったが、実際にはそれは意味を持たない適当な図形だった。


「こんな風に、普通なら起点から弦を伸ばしていくんです。先輩のように、起点と終点の間を満遍なく一気に収束して弦を創り上げるなんて馬鹿げてる」


 そして正門に到達した二人の足は止まり、絲士が宙に描いていた虹色の幾何学模様も光の粒子となって消える。

 振り返った顔は身長の差のため見下ろしている筈なのに、その目付きは下からめ上げるようだ。


「だから、弦は張らない方がいいですよ、先輩。言いふらさないだけで、霊銀ミスリルを視覚する魔術士は存外どこにでもいるものです。厄介に巻き込まれないためにも」

「うん、そっか……ごめんね。何か、気遣わせちゃったね」


 その眼差しからの逃げ場所を探して、愛詩の視線は自らの足元を見詰めた。

 一言一言ごとにまるでガラスを撃ち抜かれた破片が皮膚に突き刺さるようで、愛詩は先程まで自らを焦がしていた火が身悶えしながら小さくなっていくのを確かに感じていた。


「もし弦を出さない方法が解らない、と言うなら教えて差し上げます。だから――」

「ううん、大丈夫。大丈夫……」


 どうにか言葉を絞り出し、小さく「じゃあね」と告げて愛詩は正門から出た表通りを左に曲がった。しばらく歩くと、背中の向こうで革靴の底がコツコツと舗装路を叩く足音が遠ざかっていくのが聞こえた。


 帰路の最中ずっと、愛詩は絲士に言われた言葉を反芻していた。


『一人の男としてあなたという女性と歩いているという認識は無いので』

『先輩は魔術士、それも弦術士では無いですか?』

『僕は弓削という弦術士の一族に生まれました』

『先輩の魔力は尋常じゃないんですよ』

『弦は張らない方がいいですよ、先輩』

『厄介に巻き込まれないためにも』

『もし弦を出さない方法が解らない、と言うなら教えて差し上げます』


 好意的に解釈するなら、それは愛詩のためを思って差し出された言葉だろう。

 しかし愛詩には、まるで自分を否定する呪詛のように響いて、それが堪らなく悲しかった。

 まだ自分の恋心を否定するなら善い。

 愛詩にとって弦とは、矢を射る際の集中の結果だ。それを張らぬよう気を付けると言うことは、集中を怠り、弓道に対して礼を欠けと言われているようなものだ。

 だからその言葉の裏にある意図がどうあれ、愛詩にはまるで自分に弓道をやめろと、一年と少しの期間ではあるが携わることで好きになった弓道を否定するかのように聞こえたのだ。


 さらに、『教えて差し上げます』という物言い――愛詩は腹が立っていた。何と相手に礼を欠いた言葉なのだろうと。

 あの恨めしい目付きもそうだ。猫背な姿勢もそう。くぐもったような言葉を漏らす話し方もそう。

 それに――的を射ることが出来るのに、彼は手を抜いた。弦を伸ばしてわざわざ的を外したのだ。

 全部が全部、礼を欠いている。少しも相手を慮るものではなく、そして自らを顧みない。


 どうしてそのような振る舞いをするのか。

 どうしてそのような振る舞いをする人間に、二度も好意を抱いたのか。

 どうしてそのような人間に、一体何を譲れると言うのか――


 愛詩は沸々と込み上げる感情に、ぎりりと奥歯を強く噛む。

 まるでそれは火打石フリントのように脳裏に火花を散らし、消沈していた燃え残りに新たな熱が生まれる。


 ひとつ足を踏み出すごとに煌々と燃え上がる炎は、愛詩の目を、表情を変えた。彷徨っていたそれらは、今では前に向いている。


 夕暮れが影を落とす帰り道で、そしてその心は確固たるひとつを焼成した。




「――どうしてそうなるんですか」


 翌日の放課後。弓道場に踏み入った絲士は、的に向かって弓を引く袴姿の愛詩の姿にぼそりと呟いた。

 番えた矢と的との間には、これまでに見たことの無い、太く真っ直ぐな霊銀ミスリルの弦が張り詰めている。


 愛詩の美しくもある離れにより枷を失った弦は矢を押し出し、宙を奔る矢は的へと向かう軌道上で加速してその中心へと吸い込まれるように突き刺さった。


 周囲から拍手が上がる。

 超集中を超えた超集中。絲士を除いた全員が、その残心に見惚れている。


 ゆっくりと振り返った愛詩の視線が絲士に突き刺さり――咄嗟に後方に跳び退きそうになる身体を床に結んだ弦で留めた絲士は、「はは」と誰にも聞こえない小さな笑い声を漏らして目を見開いた。


「どうしても何も――私、君の提案なんか飲み込んでないよ?」


 実に可愛らしい声だが、向き合う表情は真摯でそして真剣だ。

 絲士は見開いた目で視た。その真剣な表情を携えた愛らしくか弱そうな普通の女の子が、膨大な魔力によって周囲の霊銀ミスリルを激しく揺さぶっているのを。

強振動により活性化された霊銀ミスリルはまるで燃え盛る業火のように、然るべき熱を孕んで弓道場一帯を焼き尽くさんと揺らめき迸る。


 ――危険だ。このままでは本当に、周囲一帯に霊銀ミスリル汚染が蔓延する。


 膨大な魔力量を有する愛詩とて、つい一年前に魔術に目覚めたばかりだ。呼吸法など知らなければ、明確に霊銀ミスリルを知覚する訓練なども受けたことは無い。

 だから彼女は現在の自分がどうなってしまっているかなど知りようが無く、そして魔術に疎い片田舎で霊銀ミスリルがやばいと叫んだところで、パニックにすらならないだろう。


「ごめんね、弓削君。きっと君は、私のためを思って言ってくれたんだろうけど――弓に礼を欠くことは出来ない。そうするくらいなら、私は弓を二度と取らないことを選ぶよ」


 だから、と続けて。

 周囲に蔓延する霊銀ミスリルの揺らぎが、衝撃波が駆け抜けたように一際大きく波打つ。


「勝負しようよ――言うことを聞いて欲しいなら、全力で私を負かして見せてよ」


 この女は、自分に弦を使って弓を引けと言っている――絲士はそう感じた。

 そしてそれに頷かなければ、この事態は収まらない。そう考えたからこそ、絲士は顧問の女教師に静かに告げた。


「――先生。糸遊先輩を怒らせてしまったようです。済みませんが、この喧嘩を買わせてください」

「え?」

「ちょっと弓削君、だって君初心者でしょ!?」

「糸遊!あんた何言ってるの!?弓削君が可哀想でしょ!?」


 周囲ギャラリーは口々に愛詩を責め立てる。当然だ、絲士はあくまで弓に触れたことの無い初心者中の初心者として入部したのだ。

 それに引き換え、愛詩は高校入学から弓を始めた、まだ一年と少しという短い経験しか無いが、超集中による一射必中の技巧を有する。ムラはあるが、しかし今日の射は冴えわたっているように見える。


 同級生は絲士を案じ、愛詩を責める。上級生も同様だ。絲士と同じ下級生の新入部員はただ静かに、僅かに怯えながら事態を静観している。

 そんな中で、愛詩だけは気付いていた。

 絲士の姿勢が、真っ直ぐに引き延ばされていることに。


「――静かに」


 同級生・上級生の抗議は続いていたが、しかし顧問はそれを止めた。

 その声は大きく無いものの、喧噪に澄み渡って誰しもを沈黙させる、武道に身を置く武士もののふの号だった。


「弓削君。いいのね?」

「――ええ。ですが、予め断っておきたいことがあります。俺は和弓に関しては先に述べた通り素人です。なので弓の作法・礼法についてはよく知りません。ですから、勝負の形式は単純に技巧を確かめるだけのものにしてほしいです。あと、弓と矢については自前のものを使わせていただきます」

「自前?」


 しんと静まり返った道場の中に、絲士の自信と誇りに塗れた言葉だけが響く。


「俺は、洋弓使いアーチャーなので」

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