Track.4-25「“正しさ”なんかに負けてたまるかよ」
しかし四月朔日邸に戻ると、使用人の緒方征二郎が出迎え、いつもの客間には夷の姿もあった。
玄靜は所用で出掛けていると言われ、差し出された湯呑の茶を飲んだ真言は、この状況は何があったのかと夷を問い詰める。
系統上、真実を見抜く審美眼に優れるのが言術士であり、また幻術士と組む言術士は、
「あー、やっぱり嘘くさかった?もっと精度上げなきゃ駄目かぁ。でもこれ以上想像力のリソースは消費したくないんだよね。今はもう、あのコのことを考えるので手一杯の精一杯だから」
すでに目の前の少女は、自分の知る努力家で直向きだった少女とは違う――真言は己の体表に文字として内蔵していた武器を解き放って構えると、
黒装束に、口を縫われた
「駄目だよ」
その姿に、夷は笑顔を封じ込めて悲哀の声を上げる。
「阿座月くんは、わたしの味方じゃないと。だって、わたしの半分は阿座月くんが作ったんじゃん」
刃から殺気が失せたことで真言は知ってしまった。“無”によって、攻撃する意識を奪われてしまったことを。
「ほら、だからさ、阿座月くんは共犯者。同じ悪者同士、仲良くやろーよ。あ、そうだ。わたしの願いが成就されたら、いいよ、阿座月くんのお願い、何でもひとつ叶えてあげる。何か、ロールプレイングゲームのラスボスみたいだね、わたし」
面の下で唇を噛んだ真言は、武装を解いて猿の面を剥ぎながら告げる。
「なら――あなたの、命をいただきます」
「わぁ――
そして二年を掛け、夷は平穏を装いながら
流憧の数多の異世界をも運営しなくてはならない彼女は、異世界ひとつひとつにシステムを構築して半自動化させながら、同時に四月朔日家に務める使用人たちにも
竜伍と夏蓮に関しては面倒だったので、咲の葬儀の後で心中したことにした。それらしい証拠をうまくでっち上げたことで、それは魔術士の絡まない一般の事件として警察に扱われ、比較的速やかに処理された。
夷と密約を結ばざるを得なかった真言は、
実に多忙となってしまった彼女は、その活動時間の4分の3を睡眠に費やす必要があったが、夢の中では自らの内に記録してある咲と邂逅を果たし、咲の友人についての詳細を固めていった。
そうして2020年3月30日、17歳を目前にした四月朔日夷は遂に、練り上げてきた
「名前、どうするの?」
夷の中で咲が訊ねる。
「うん、もう決めてあるよ――彼女の名前は、
流憧の異世界をひとつ使い潰して行われた秘術。幻想を以て現実へと昇華し、そして夷は自ら創り上げた
自らを殺した者に対し、因果を、生死を逆転させる異術。その術式に固定された霊基配列だ。
あとは一周目のように、常盤総合医院に運ばれた彼女に遭遇するだけだ。
常盤美青は干渉してくるだろう。しかし自分には阿摩羅識の力が、
そこさえどうにかなれば、あの握手会の凶行で殺されたとしても、殺し返すことが出来ると。
それから彼女はアイドルを続ける筈だし、それを見届けて自分は去ればいいと。
もし彼女がアイドルを辞める方向で考えるようなら、そうならないようにまた暗躍するだけだ。
そう考えを纏めた夷の脳裏に、歪んだ思考が鎌首を
――その物語は、一体いつから始まったのだろうか。
取り留めの無い思考を振り払って、夷は想像力をフル回転させる。
大丈夫だ。まだ自分は、現実と幻日とを区別出来る。夢オチなんて在り得ないし、本当に冗談じゃないと。
そこからはただ
周回の数が変わり、世界線が変わる度に思い通りに行かない現実の不条理さに頭を抱える日々だった。
最も誤算だったのは、自ら完成させてしまった霊基配列が形作る術式だ。
術の構成は、自らに降りかかった死を対象に与えることで対象を死に追い遣り、それを以て因果とそして生死を逆転させる。
自らの命に自ら死を与えた場合――死んだ自身に更なる死が殺到し、しかしすでに死んでいるため生死は逆転せず、生は得られない。
されど死が降りかかったことで新たに死は現れる。延々とただ、死だけが増殖を繰り返し、やがて世界に溢れ、世界を殺してしまう――。
だから二周目は、常盤総合医院に運ばれる前に世界が終焉を迎える、という結末となってしまった。
孔澤流憧の異界を存分に使い潰して行使した
そして想像力のリソースがもう殆ど無い夷には、それに代わる新たな術式を構築する余裕など無かった。致命的な欠陥を抱えたそれのまま、続けるしか無かった。
だから三周目からは霊基配列の固着を解き、常盤総合医院に運ばれて以降に完成するよう策を講じてみたが、これがなかなか難しかった。
七周目で漸く、握手会で殺される以前にそれが完成するタイミングを掴んだが、事あるごとに芽衣は思い出した記憶に圧し潰されて自らを殺し続けた。彼女の記憶を取り戻すタイミングもまた重要だった。
それでも歯車はいつだって噛み合わなかった。物語の軸はどこかで空回りし、理想には届いてくれなかった。
「もう、諦めたら?」
「――ふざけてんなよ」
十六周目の世界の終焉で邂逅した常盤美青にそう問われた夷は、涙を流しながら自嘲の笑みを浮かべ、美青の言葉を跳ね返す。
「私もね、
「でも43589回目は違うかもしれない」
「いつまで続けるの?芽衣ちゃんだってそもそももう、退院した時点でアイドル辞めてるんだけど」
「馬鹿みたいな質問寄越してんなよ。わたしは――」
いつからか、目的は変わってしまっていた。
退院と同時に、森瀬芽衣は安芸茜に強くなる方法を求めて師事し、アイドルを辞して異術士として自らと戦う日を望んでそのための日々に臨んでいる。
その果てにあるのはいつだって芽衣の自死だ。発動した
それに気付かされた時、夷の胸に去来したのはいつかの疑問だった。
――その物語は、一体いつから始まったのだろうか。
「ちゃんと終わらせなさいよ。君は殺し合う永劫回帰を望んでるつもりでも……私、――こんな不完全な永遠なんか見たこと無い」
嘲笑う羅針の魔女に、言葉を失った夷。
何もかもがもう、解らない。
一体いつから始まったのか。一体何が終わりだったのか。繰り返す果てに、現実と幻日の境界は融けてしまったようだ。
芽衣が立ち向かうことを決めた時。咲はそれを見届けて消えた。
そこからだろうか。この胸に、まるであの“伽藍ノ堂”のような空虚が、ぽっかりと空いてしまっているのは。でももっと、ずっとずっと前からそれは、空いていた気もする。
この
努力が報われない世界が嫌いだった。
過失が看過される世界が嫌いだった。
真実が暴かれない世界が嫌いだった。
信頼が裏切られる世界が嫌いだった。
運命が結ばれない世界が嫌いだった。
友愛が棄却される世界が嫌いだった。
孤独が救われない世界が嫌いだった。
理想が忘失される世界が嫌いだった。
永遠が赦されない世界が嫌いだった。
ああ――そうかと、独り言ちて。
「目が覚めたよ、先生。……ありがと。
わたし、――この世界が無くなればいい、って思ってたんだ」
◆
げ ん と げ ん
Ⅳ ;
next Episode in ――――― Ⅴ ;
◆
「いいよ。だから、次で
告げて。
「それで駄目なら、もういいや――みぃんなみんな、無くなればいいよ」
天使の表情を見せる悪魔に、しかし羅針の魔女は応じる。
「四月朔日夷。世界は君が思うより、ずっとずっと“正しい”よ」
逆流する時の渦が“始まり”に向けて収束する、その邂逅の終わり。
「“正しさ”なんかに負けてたまるかよ」
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