Track.4-14「推し変する?」

 見においでと誘われたお披露目会単独ステージを、あたしは見に行くことが出来なかった。

 ネットニュースで、それが波乱万丈はありながらも成功に終わったと知った時は、もう感慨すら抱かなかった。


 その夜、初めてあたしは手首を切った。

 友達に裏切られ、家族に見放され、自分を破壊しながら、そうして掴み取った居場所を、自分自身で放棄したんだ。

 この世界にあたしは生きるべきじゃないなんて思った。

 でも、手首を切っても死ぬわけなんか無かった。


 学校に行こうと思った日に、学校に行けた日もあった。クラスメイトから心配の声を掛けてもらった。でもその声の裏に、ドス黒い悪意を幻聴した。

 だからまた手首を切った。


 眠れない日が続いた。眠ろうと目を閉じると、決まってあたしへの罵詈雑言が聞こえてきた。

 だからまた手首を切った。


 ネットで睡眠導入剤を手に入れることが出来た。たぶん違法かもしれないけれど、眠れるのならそんなことは気にならなかった。

 SNSには「不細工」や「要らない」、「何でこいつなの?」そして「死ね」と言う、知らない誰かの声が溢れていた。

 手首はもう切るスペースが無かったので、腕にした。


 冬が終わろうとしていた。学校からの連絡で、取り合えず進級は出来ることを聞いた。

 ありがとうございますと、掠れた声で返事をした。

 保健室まででいいから、なるべく来れる日は来てほしいと聞いた。

 だからまた腕を切った。


 終業式が終わって、春休みになった。

 家族が一度帰ってくると連絡をもらった。その頃には何もかもが億劫だった。空返事をすると怒られたから、後で腕を切ろうと思った。

 でも家族は来ることは無かった。


 翌日、ネットニュースで日本人の旅客を含む大勢が乗った飛行機が墜落した報道を知った。詳細は調査中だけれど、整備不良の可能性が高いと言っていた。

 あたしの家族の名前が、死亡した日本人としてそこに載っていた。


 だからあたしは、もう自殺した。



 ――、


 ――それでも、


 ――生きたいと願ってしまった。


 ――生きて、誰かに愛されたいと、そう願ったから。


 ――あたしに生きてほしいと、愛されて欲しいと、あたしは強く願ってしまったんだ。




 激しい微睡みの乱流が押し寄せて、意識は闇の深い奥底に落ちていく。

 それでも手に握った温みが、あたしの意識をはっとさせた。


「――芽衣ちゃん?」

「……ただいま」


 咲は意識を失いかけたあたしの隣で、あたしの左手をぎゅっと握りながら泣きそうな顔をしていた。

 あたしは自分の濡れた頬を拭って、それから咲の目尻を拭った。


 大丈夫だ。そう自分に言い聞かせて、そして咲にも言い聞かせた。


「ありがとう、傍にいてくれて」


 咲は嗚咽を喉の奥に飲み込みながら、小さくこくんと頷いた。



   ◆



 病室で芽衣から全てを思い出した旨の報告を受けた美青は、弱々しく頷いてそれから芽衣をぎゅっと抱き締めた。


「生きたい、って思ってくれて、ありがとう」


 その日の午後、弁護士が相続の説明に芽衣を訪れた。本来はもっと早く訪れる予定だったが、美青が芽衣の精神面を考慮して遅らせてくれていたのだ。

 翌日には自殺未遂の件について、事件性が無いかの一応の確認で警察も来る予定だった。


 いつもなら読書に当てる昼食後の時間を、芽衣はスマートフォンを起動させて動画を食い入るように見出した。

 それは、お披露目会にてパフォーマンスする予定だった二期生だけの楽曲の振り付け動画だった。

 美青はまだ激しい運動は控えるようにと忠告したが、芽衣はどうしても、自分が完璧に踊る姿を咲に、そして夷に見てもらいたいと考えていたのだ。

 退院は、もう来週に迫っていた。



「そういうことだから、勝手にいきなりいなくならないでよ」


 心づもりを告げると、夷は昨晩のような困った表情で笑んだ。


「そっか……そうだよね」

「何が」

「ううん。君は、そうなんだなぁ、って」


 黒い匣ブラックボックスを通じてその様子を眺め続けていた芽衣は、あの時は解らなかったが、もしかすると夷は未来に進もうとしている自分を見て寂しいと思ったのだろうかと独り言ちた。


 そして二人は並んでベッドボードに凭れながら、その振り付け動画を二人で眺めた。


「ねぇ」

「……集中しなよ」

「あのさ、……いつでもいいから、ずっとずっと先でもいいからさ。いつか――あんたが抱えてるものも、聞かせてよ」


 夷は隣の黒い少女の横顔を、寂しさを隠しきれない表情で見詰める。

 その尖った唇に、芽衣は自らの唇をゆっくりと押し付けた。鼻先にむず痒さを覚える、それはとても優しいキスだった。


「――またね」


 夷が去った後も、自然と眠気が訪れるまで何度も何度も芽衣は繰り返し動画を見続けた。



 美青を説得し続け、漸く“激しすぎなければ”と許可を貰ってからは、芽衣は体力を取り戻すために朝食前にウォーキングコースをジョギングしたり、午後は病室で目に焼き付けたその振りを踊り続けた。


 美青に頼み込んでブルートゥース接続の無線式イヤホンを買ってきて貰ったのは、有線のイヤホンでは踊る時に邪魔になるからと、そしてそれは流石にコンビニには売ってなかったからだ。

 それを手に入れた芽衣は、さらにダンスに没頭するようになった。

 お披露目会でパフォーマンスされたその楽曲は、まるで二期生の自己紹介のような、ポップでありながら激しく、時にコンテンポラリーダンスのような身体表現を伴う、傍目に見て難しい楽曲だった。


 ある程度の振りの流れはすでに頭に入っている。しかし芽衣はいつも、同じところで間違ってしまった。

 気持ちを切り替えるために昼下がりの百合の丘に繰り出した芽衣は、そこで空手の形の演舞をする茜に遭遇する。


 呼吸、足捌き、重心の位置。

 突き、前蹴り、廻し受け。

 そのどれも、ひとつひとつが洗練されていて、そして美しいと芽衣は感じた。


 芽衣の存在に気付いた茜は照れ臭そうに額の汗を拭う。芽衣がウォーキングコースの低い柵を踏み越えると、「元気そうだな」と小さく呟いた。


「来週、退院するの」

「……おう」

「ありがとね、色々と」

「別にいいよ」

「今の何?」

「空手の、抜塞大パッサイダイって形」

「……かっこいいね」

「……お、おう」

「ねぇ、……ちょっと、お話していい?」


 上下身軽なスポーツウェアにキャップを目深に被った茜は、まるで男の子のようにテッポウユリに囲まれた広場に腰を落ち着け胡座を掻いた。

 ぽりぽりと鼻先を掻く彼女は、決して芽衣の方を見ようとはしない。


「あたしのこと、もしかして知ってた?」

「……何を?」

「あたしが、アイドルだってこと」


 それを芽衣が訊ねると、茜は溜息を吐いたあとで「知ってた」と呟いた。


「四次のオーディションで動画配信したろ?あの時からずっとしてる」

「え、本当に?」

「マジだよ。だってすげーもん。一期生のモノマネとか全然似てねーのに顔芸めっちゃ面白いし、ダンスすごいのに歌微妙だし、――誰よりも一番一生懸命で、誰よりも一番笑顔が綺麗だった」


 風が吹いて、語る彼女の横顔を見つめる目に長い黒髪がかかる。


「だから……お披露目前にいきなり休んで、ずっと心配してた。そんで、待ってる」

「……ありがとう」


 ちらちらと見る茜の視線で、芽衣はダンスのために入院着の長袖を捲くり上げていたことを思い出し、でも袖を戻しはしなかった。


「幻滅した?」

「何で」

「推しが、リスカとかやってるから」

「……ショックは、ショックだよ」

「うん、だよね。でもさ、あたしには必要なことだったんだ、って思う」

「……そか」


 それから訥々とつとつと、芽衣は自分のことを語る。

 自殺しようとしたこと、それに失敗して入院したこと、家族のこと、そして、笑えないということ。

 目を丸くさせながらただただ聞いていた茜は、芽衣が話し終える頃には泣いていた。


「ごめんね」


 首を横に振り、茜は芽衣の言葉を否定する。


「取り敢えず、秘密にしとく。話してくれて、ありがとう」

「推し変する?」

「しない。……アイドル、続けるんだろ?」

「……そのつもり、かなぁ。分かんない。でも、許されるんだったら、続けたい」

「許されるよ」

「え?」

「オレは待ってるからさ」

「――うん、ありがとう」


 それじゃあトレーニングに戻るから、と呟いて走り去っていく茜の背中を見えなくなるまで見送った後で、芽衣は深呼吸を繰り返し、そしてスマートフォンを操作し地面に置くと、イヤホンから流れてくるメロディに合わせて何度もダンスを繰り返した。

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