Track.4-10「当たり前だっ、殴るぞっ」

 そこは廃れた洋館のような場所だった。窓には外から鉄製の格子が施され、森瀬芽衣は逃げ場所を探して駆け回った。

 振り返ると、緩慢ながらも確実に“黒い人影”が追いかけてくる。手に持った鉈のような凶器は、狂気のように鈍く輝きを反射している。


 廊下を折れた先のドアが運良く開いた。芽衣は咄嗟に中に入り込み、内側から鍵をかけた。

 運が良いと思ったのも束の間、部屋の中が袋小路であることに気付き顔を顰めた。

 あちらこちらで蜘蛛の巣が張る埃っぽい部屋を見渡して、芽衣はクローゼットの観音開きを開け放ってその中に身を押し込めた。

 戸を閉めると、僅かに破れた隙間から静かな部屋の中の様子を伺う。

 コツ、コツ――廊下の奥から聞こえてくる靴音は段々と近付いて来る。芽衣は両手で耳を押さえたが、今度は自らの心臓の鼓拍を煩いと感じた。


 コツ――足音が止み、ドアノブをガチャガチャと狂ったように捻り上げる音が何度も反響した。

 鍵が掛かっているため開かないが、そんなことはお構いなしに追跡者は部屋をこじ開けようとドアノブを捻り、押し引きを繰り返す。

 ドズン――思わず「ひっ」と声にならない悲鳴が薄く漏れた。木製のドアを突き破って、黒い鉈の刃先が覗いていた。それは引っ込むと、またドズンと木屑を散らしながらドアを突き破った。

 ドズン、ドズン、ドズン。

 やがてドアノブのすぐ横にいくつもの穴が開くと、今度は黒い腕がドアを突き破り、その腕が掛けられた鍵を解除した。


 ぎぃ。


 こつ。こつ。こつ。


 黒い人影は明らかに、芽衣の居場所を知っている。

 クローゼットの前に仁王立ちになった人影の双眸は爛々と赤く輝いている。

 がちがちと奥歯を鳴らしながら身を小さくしてその様子を凝視していた芽衣だったが、勢いよくクローゼットの扉が開かれると、俄かに悲鳴を上げて体ごと顔を背けた。


 その頭に、鉈は振り下ろされた。



 暗転。



「また殺される夢?」


 病室のベッドで目を覚ました芽衣は、美青に今しがた見た悪夢を話した。


「たとえば切られたりぶつかったりしたところが痛むとか、そういうことはある?」

「……いえ、無いです」

「そう。もしそういうことがあったらすぐに言ってね」

「わかりました――あの」

「何?」


 芽衣は口ごもりながらも、自分は咲に嫌われたかもしれない、と告げる。美青は困ったような笑みを浮かべ、泣きそうな小さな身体を抱きしめて「大丈夫」と諭した。


 窓の外では昨晩から降り続く雨が窓を叩いており、芽衣は何となく本を読む気になれずただその雨音を聞いて過ごした。

 やがて消灯時間が来ると、俄かに怖さが込み上げてきた芽衣は毛布を頭から被り、寝入った振りをする。

 会いたい気持ちはあった。あったが、もし本当に咲に嫌われたと聞くのが怖かったのだ。


「……じゃあね」


 雨音に混じってカタンと静かにドアが閉ざされると、芽衣ははっとなって飛び起きた。

 しまったと思った時には遅かった。彼女は、夷を拒絶したのだ。



 翌日、朝食を摂った後で図書室に繰り出した芽衣は咲の姿を探したが白い少女はどこにもいなかった。

 それでも咲が来るかもしれないと思い、芽衣はいつものテーブルにノートを広げてペンを走らせる。

 二人で完成させると誓ったゲームブックのアイデアノートに文字が詰め込まれていく。


 しかし咲は現れず、そして夷も現れなかった。



 芽衣が咲と夷とに会えなくなり三日が経った。

 アイデアノートに纏められたゲームブックのプロットが、当初の物語からどんどんズレて、白い魔女に大切な人を奪われた主人公が、魔女を倒す勇者となることを決意して旅に出る、というものになったのは、芽衣の現在の状況が大きく関わっていた。

 そして冒頭部の主人公が勇者となって旅立つ部分を考えていた芽衣は、自らも立ち上がり、咲を探すために図書室を出た。


 まずは図書室のある北館だ。病室がある三階から九階を隈無く虱潰しに探したが出会えない。

 念のため屋上にも上がろうとしたが、屋上に出る扉には鍵が掛かっていた。


 その日の夜もやはり夷とは会えなかった。


 次の日は自分の病室のある東館を探した。

 プライバシーの観点から、入院している患者の表札が下がっていない病室も多い。また芽衣は、咲の名前をフルネームでは聞いていなかった。

 三階より上の四階層全てを歩き回ったが、やはり白い少女の影を見つけられない。


 芽衣は念のため、検査室などで入院スペースの無い二階部分も見て回ることにする。

 するとその廊下で、思いがけない人物と再会した。


『お前じゃん』

『え、ほんまや』

『入院したの?』

『――』

『本当黙ってくれ……』


 廊下に面したトイレのドアから出てきたのは茜だった。芽衣はばったりとした遭遇に驚きを表情に点し、慌てた声を上げてしまう。


「ぅわっ」

「あっ、……こんにちは」

「あ、こん、……にちは」


 茜は芽衣と同じく空色の入院着を着ていた。芽衣がそれに気付き更なる驚きで「入院?」と訊ねると、茜は「違うよ、検査」と簡潔に返す。

 見てみると合わせの部分に違いがあった。だから正確には、茜が来ているのは検査用のものだ。

 芽衣は何の検査なんだろうと疑問に思ったが、茜が出てきたトイレのドアを横目で見て、はっと気付くと一歩下がって茜を睨みつける。


「ってか、今何処から出てきた?」

「は?」

「え、変態?」


『ぶは、――っ!』


 傍観者たちの中で航が一人、その状況が面白くて高笑いをする。同時に茜が項垂れるイメージが五人の中に共有された。


「そりゃよく言われるからいいけどさ……オレ、これで女やってるんで」


 言われ、芽衣はきょとんと目を丸くさせる。

 そして目を丸くさせたのは芽衣だけじゃ無かった。


『え、安芸くんって女なん!?』

『えー、ずっと男の子だと思ってました!』

『……すまん』


 三人の言葉に航が再び大きな笑い声を上げる。傍観者である方の茜は今すぐにでも追い出したい衝動に駆られたが、それも出来ないため一人口を噤んだ。


「女!?」

「そうですけど!?」


 すると芽衣はおもむろに茜の胸板に手を伸ばし、注視あるいは凝視しなければ気付けないその膨らみに手を思いっきり押し付けた。


「――ある」

「当たり前だっ、殴るぞっ」


 廊下を通りがかった男性看護師に静かにするよう注意され謝る二人だったが、芽衣はさらに茜に対しても謝辞を述べた。


「ご、ごめん……なさい」

「……言われるのは慣れてるけど、ここまであけっぴろげに触られたのは初めてだよ」

「ごめんってば」

「いいよ、別に……で、あそこで隠れてる白いのは、何してんだ?」

「え、白い?」


 言われ振り返ると、曲がり角の壁からひょっこりと顔を出してぎょっとしている白髪の少女がそこにいた。


「咲っ!」


 芽衣は叫び、その声に驚いて咲は走り出す。芽衣も勿論その背を追い、階段を一階へと駆け下りる。


 一人取り残された茜は「何なんだよ、もう……」と呟いたが、傍観者五人のみがそのぼやきを聞き取っていた。



 階段を駆け下りた咲は中庭に面する渡り廊下を抜け、北館のエントランスから表へと飛び出した。

 追従する芽衣も同じルートを走り、きっとあの場所に行くんだろうという予感がよぎる。


 駐車場の階段からウォーキングコースへと出る。なだらかな斜面は野球場やテニスコートに面していて、それなのに人気が少ないのはパラつく雨のせいだろう。

 段々と傾斜は強まり、一歩一歩が辛くなってくる。

 乳酸が溜った太腿を上げるのが億劫になり、それでも踵で体重を持ち上げるようにして芽衣は前へと進んだ。


 芽衣の心に“苦しい”と“辛い”という気持ちが多々湧き上がったが、それらは“会いたい”や“謝りたい”に押し退けられ、生まれた傍から消えていった。


 そして。


 雨を吸った麻紐の柵を踏み越えて、しゃくしゃくと濡れた草葉を踏み付けながらその広場を進む。

 見渡す限りの白いテッポウユリが、雨に打たれて地面を向いていた。

 咲は隠れようとしたのか、テッポウユリの合間からその白い頭髪を覗かせていた。

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