Track.3-10「言術士は“嘘を吐かない”って話は本当か?」

 傷口に赤い羽虫たちを戻す。どうやら羽虫は“蜉蝣かげろう”の形をしているらしいと教えてくれたのは心ちゃんだ。具体的にじゃあどの蜉蝣なのか――例えば薄羽蜉蝣とか――は判らないし、何故蜉蝣なのかもあたしは知らないけれど。

 傷口に戻った蜉蝣は再びあたしの血に還元される。1ヶ月の訓練の中で霊覚――霊銀ミスリルの感知能力――や躰術――霊銀ミスリルを操作して身体能力を向上させる魔術――を覚えたあたしだけれど、最も有用なのはこの“血への還元”だ。

 今回みたく、術の行使が不発に終わっても、消費した血を取り戻せるのだから。


「どういうつもりだ?」


 四方月さんは訊ねる。言術士が「戦イハ終ワリ」と告げたなら、双方ともに戦闘行為には入れない。言術をかじっている碧枝さんがそう教えてくれた。特に術士が自ら規定した制約を破った場合は、二度と言霊術を行使できなくなるほどの罰則ペナルティがあるとも。だから、言術士は基本的には嘘を吐けない、とも。


「どういうつもり、という問いには答える気はありませんが――時間を稼ぐ必要は無くなりましたので」

「時間稼ぎ?」


 台座の階段に腰掛けた言術士は淡々と答える。


「そうです。時間稼ぎです」


 告げて、その左目を覆っていた“眼”の意匠の施された布を剥ぎ取る。その端整な顔つきと雰囲気は、薄ら笑いこそ浮かべてないものの、安芸とよくバトってる小早川コバルトさんに似ていると思った。

 そして言術士は首元からネックレスを取り出すと、その先端に連結した十字架を見せた。

 十字架は上端がYのように二股に分かれていて、交差する中心から小さな刺が右下と左下に向かって伸びている、不思議な形をしている。それを十字架と呼んでいいのか躊躇われるくらいに。


「――お前、まさか」


 その十字架めいたヘッド部分を見た四方月さんと、そして谺さん、霧崎ちゃん、碧枝さん、百戸間さん、そして心ちゃんが驚きを表情に宿す。目を見開いたり、眉根を寄せたりと様々だったけれど。

 それが何を意味するのか解っていないあたしと安芸は、取り残されたように二人で顔を見合わせた。


「どうも、異端審問官インクィジター阿座月アザツキ真言マコトと言います」

「その異端審問官インクィジターがどうしてそんな眼帯付けてたんだ?」

「潜入捜査、ってやつですよ」


 碧枝さんや霧崎ちゃん、谺さんは警戒を解かない。でも武器を構えないのは、やはりまだあの言霊が響いているからだ。

 

「先輩、今のうちに回復しておきますね――“遥か遠く戦い続く者アシャヤカトル”」


 後ろから心ちゃんがあたしに涙滴ティアドロップ型の黒曜石を押し付ける。黒い輝きが迸り、その輝きはあたしの身体を巡っては皮膚や粘膜に溶けていった。

 輝きが収まると、あたしの左腕の裂傷は瞬時に血が固まって瘡蓋かさぶたとなり、それが自然に剥がれるとその下には傷の塞がった真新しい皮膚があった。ぷらぷらと左腕を振るっても痛みは感じない。


「どうですか、先輩?」

「うん、いい感じだと思う」


 鹿取家に伝わる既存の宝術を分解し組み替えたこの療術は、1ヶ月の間に心ちゃんが習得した新術だ。学校と訓練の合間に、クローマークで玉屋さんと少しずつ開発を進めたのだとか。

 基礎ベースとしている【豹紋の軍神となれテペヨロトル】の構築式を分解し、再生能力に特化するよう組み替えたその【遥か遠く戦い続く者アシャヤカトル】という術は、1分間という短い時間制限はあるものの、幻獣や異獣に比肩する再生能力を有するようになる、というものだ。

 試験投入の機会を得る前にこうして実戦に入ってしまったため、心ちゃんはその効力に自信が無い。けれど、あたしには十分なように思えた。


 さて、目の前では四方月さんと碧枝さんが自称潜入捜査官と口論を続けている。双方ともに穏やかな口調なのは、やはり「戦イハ終ワリ」のためだろうか。


「これだけの規模の集団相手に、異端審問会インクヮイアリィは一人しか寄越さないのか?」

「手を出すべき案件が一体どれだけあるか考えたことありますか?異端審問会インクヮイアリィの人数も。それに、“影落とす者シャドウテイカー”さんの方でも動きがあるとは掴んでいましたし」

「阿座月さん、異端審問会インクヮイアリィはどう収束させるおつもりか、聞かせてもらえますか」

「それは勿論、僕たちが協力して、ですが?」

「お前の言う“あなた方”って言うのは具体的に誰だ?間瀬がこの件に投入している調査団全部か?」

「違います。言葉の通り、あなた方です」

「じゃああなたは、私たちがこの異界に来ることを予測していたのですか?」

「予測はしていませんよ。あなた方がこの異界に来ることを確定させただけです」

「はぁ?お前何言ってんだ?」

「四方月さん。言霊を使ったってことですよ」

「はぁ?お前何やってんだ?」


 言術士はそこで面倒臭そうな顔をして頭をぽりぽりと掻いた。


「全部は説明するのが面倒なので、一先ずこの後の流れだけ言うことにします。今から最深域に続くゲートが開きますから、そこに入ります」

「どういうことだ?ゲートが勝手に開くってのか?」


 四方月さんの問い掛けに言術士は答えない。四方月さんは盛大に舌打ちして続きを促した。


「最深部は複雑で、とても広い。そして非常に精巧に、巧妙に作りこまれています。案内役ナビゲーターがいないととても辿り着けない程です。そしてこの調査団が辿り着かないと、大変なことになってしまいます」

「胡散臭いな……」

「何故、僕たちなのですか?本命の調査団は他にいますし、これから異界入りするベテラン勢も……」


 碧枝さんの問いにも言術士は答えない。その時四方月さんから発せられた無音通信を受信した。あたしは視線を言術士に投げながら、脳内で響く四方月さんの声に集中する。


『碧枝、言術士は“嘘を吐かない”って話は本当か?』

『そうですね……吐けない、ってワケではないです。ですが――』


 碧枝さんは無音通信で、言術士の言霊についてを手短に説明する。

 言術士、特に言霊使いは真実と異なることを口にしてしまうと言霊の“強制力”が弱まってしまうため、意識的に嘘を吐かないようにしているのだとか。ただ、沈黙は強制力を弱める行為では無いため、言術士が口を噤むという行為はその裏に語ることのできない真実があることを証明する、とも。

 また、言霊の強制力を回復させるためには真実を口にするしかなく、だから言術士は基本的に嘘を吐かない、と考えていいらしい。


「話は纏まりましたか?ちなみに、――僕たち言術士が使う言霊は、終止形・否定形・命令形でしか効果を発揮しません。また、疑問や質問、個人の見解や感想などでは強制力を弱めません」

「……聞こえてたのか?」

「無音だろうと、言葉で通信するのなら、言術士は見抜けると考えた方がいいですよ。ああ、これは僕の見解ですから、僕の言霊を弱めませんね。そしてこれは真実ですから、僕の言霊は強まります」


 言術士は狐のように目を細めている。そして彼の背後で、パキパキと音を立てて極彩の渦を巻くゲートが開かれた。

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