Track.1-17「わたしは、――幻覚のようなものだよ」
『――て。――きて』
「んん……ん……」
鼓膜の中に息を吹きかけられるような、脳裏に直接響く不快な音――いや、これは声だ。
『――きて、――起きて』
「ん……――って、あ?」
寝ぼけ眼で辺りの様子を伺うと、壁に
白髪――まず目に付いたのは、雪夜の燐光のような真っ白な髪だ。
ふんわりと弧を描く白髪の下には、これまた雪化粧のような白い肌。
少女の幼さを描く丸みを帯びた頬と
髪の毛同様に白く薄い眉毛と、反して白く
『――起きた?』
淡く紅を引いたような薄く尖った唇が、口角の上がったまま開かれ、またも脳裏に直接意思が響く。
「ああ、起きた、起きたよ――君は?」
少女が立ち上がり、後退する。
その手足は長細く、まるで枯れ枝のように華奢だ。
目を凝らして視れば、向こう側が
「……幽霊、か?」
少しだけ強ばった口調で問い質すと、白い少女は屈託のない表情のまま首を傾げた。
死者の魂が
『わたしは、――幻覚のようなものだよ』
くすりと笑って、白い少女はそう答えた。
『わたしのことより、あのコの方が今は大事』
そう言われて漸く俺は、ここにあるはずのものが、ここにいるはずの人物がいないことに気付く。
「森瀬っ!?」
夢見心地のような微睡みが一瞬で消え失せ、軽く血の気が引く。
跳ねるように飛び起き、仄暗い廊下を
道理で暗いのも頷ける。それまで俺たちの前方や周囲を照らしていた金属球は
「あいつ、まさかっ――!?」
手首の術具に意識を送り込み、【
壁や天井に遮られて目視できないが、どうやらギリギリ探査範囲にはいるようだ。
「ってか、俺はどれだけ眠っていたんだ?」
自分の体の調子を探ると、溜まった疲労が完全に抜けきってはおらず、また
『こっちだよ――』
白い少女は駆け出したかと思うと、白い残滓のような輝きを仄かに残して消えてしまう。
未だ焼けるような熱を孕む頭を右手で小突いて、ひとつ深い息を吐き、強化され暗闇をある程度見通せるようになった目で少女が消えた廊下の先を見遣る――遠くに、つい先程までここにいた少女の姿を見つけた。
「……着いて来い、ってか?」
あれが何かは知らない。罠かも知れない。
それでも、この状況ではそれが罠であったとしても、それに乗るしか道は無いように思えた。
「っ!?」
そして俺が人影の近くまで駆け寄ると、白い少女はまた、ふぅ、といなくなる。
少女が居た場所の横には、
当然、上り進める。踊り場を折り返して見上げると、
上る。また上り階段がある。白い残滓を見上げる。
上る。折り返す。白い残滓。
上る。
しかし今度は上り階段ではなく、開け放たれた巨大な鉄扉。
『――こっちこっち』
焼けた脳に痛みを誘発する声は俺を陥れるかのような口調で
扉を潜り、一層広い廊下を見渡すと――がらりと雰囲気の異なった、まるで石造りの城のような内観だ。
「何だ、ここ……」
それでも遠くに、またあの白い少女の人影を見つけ、『こっちこっち』と脳裏に声が響く。無論、また少女の人影は近寄ると消えた。
消えた先にあったのは燭台に灯る橙色の揺れる光源が照らす巨大な鉄扉だ。森瀬はここに入っていったのだろう、鉄扉は細い体が入っていける程度の隙間を空けていた。
「あのコをよろしくね――」
押し入ろうと扉に手をかけた瞬間、俺は咄嗟に振り向く。
聞こえた声は、先程までの脳裏に直接響くものではなく、背後から囁きかけるようなものだった。だと言うのに、そこには白い少女の姿は欠片ほどもなかった。
「お前は――一体、誰だ」
自称幻覚。その言葉が真実だとしたら、果たして幻覚を見ているのは俺か?じゃあ見せているのは、一体誰だ――その問いに答える者はここにはいない。
額の冷えた汗を拭い、俺は鉄扉に手をかけ、ぐっと押し込んで潜り抜ける。
「っ!――森瀬ぇっ!!」
森瀬芽衣はその先で、長椅子に腰掛けていた。
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