Track.1-17「わたしは、――幻覚のようなものだよ」

『――て。――きて』

「んん……ん……」


 鼓膜の中に息を吹きかけられるような、脳裏に直接響く不快な音――いや、これは声だ。


『――きて、――起きて』

「ん……――って、あ?」


 寝ぼけ眼で辺りの様子を伺うと、壁にもたれ床に腰掛けた俺に目線を合わせる、一人の少女がいた。


 白髪――まず目に付いたのは、雪夜の燐光のような真っ白な髪だ。

 ふんわりと弧を描く白髪の下には、これまた雪化粧のような白い肌。

 少女の幼さを描く丸みを帯びた頬と幼児おさなごのような発達していないおとがい、そんな輪郭の内側には、まるで生まれて間もない仔猫のような愛玩性に富んだ相貌が微笑んでいる。

 髪の毛同様に白く薄い眉毛と、反して白くしっかりとした台座が冠す水晶のような双眸。その中心に爛々と輝く、大きくつぶらな、琥珀と薔薇が混じり損ねたような虹彩。


『――起きた?』


 淡く紅を引いたような薄く尖った唇が、口角の上がったまま開かれ、またも脳裏に直接意思が響く。


「ああ、起きた、起きたよ――君は?」


 少女が立ち上がり、後退する。

 その手足は長細く、まるで枯れ枝のように華奢だ。

 目を凝らして視れば、向こう側がうっすらと透けて見えている――つまり。


「……幽霊、か?」


 少しだけ強ばった口調で問い質すと、白い少女は屈託のない表情のまま首を傾げた。

 死者の魂が霊銀ミスリルに汚染された“幽鬼ガイスト”という異骸もいるにはいるが、俺には眼前の可愛らしい少女がそれだとは思えなかった。第一、異骸なら俺を攻撃しているはずだ。


『わたしは、――幻覚のようなものだよ』


 くすりと笑って、白い少女はそう答えた。


『わたしのことより、あのコの方が今は大事』


 そう言われて漸く俺は、ここにあるはずのものが、ここにいるはずの人物がいないことに気付く。


「森瀬っ!?」


 夢見心地のような微睡みが一瞬で消え失せ、軽く血の気が引く。

 跳ねるように飛び起き、仄暗い廊下を霊銀ミスリルで強化した目で見渡すも、いない。森瀬芽衣がいない。

 道理で暗いのも頷ける。それまで俺たちの前方や周囲を照らしていた金属球は森瀬芽衣あいつを起点に動かしていたからだ。


「あいつ、まさかっ――!?」


 手首の術具に意識を送り込み、【広域探査リサーチ】を行使する。

 壁や天井に遮られて目視できないが、どうやらギリギリ探査範囲にはいるようだ。


「ってか、俺はどれだけ眠っていたんだ?」


 自分の体の調子を探ると、溜まった疲労が完全に抜けきってはおらず、また霊銀ミスリルの循環もある程度しか終わっていないような状況――差し詰め、10分強、といったところか。


『こっちだよ――』


 白い少女は駆け出したかと思うと、白い残滓のような輝きを仄かに残して消えてしまう。

 未だ焼けるような熱を孕む頭を右手で小突いて、ひとつ深い息を吐き、強化され暗闇をある程度見通せるようになった目で少女が消えた廊下の先を見遣る――遠くに、つい先程までここにいた少女の姿を見つけた。


「……着いて来い、ってか?」


 あれが何かは知らない。罠かも知れない。

 それでも、この状況ではそれが罠であったとしても、それに乗るしか道は無いように思えた。


「っ!?」


 そして俺が人影の近くまで駆け寄ると、白い少女はまた、ふぅ、といなくなる。

 少女が居た場所の横には、あつらえたような上り階段。見上げた踊り場には折り返して上っていくように消えていく白い光の残滓。

 当然、上り進める。踊り場を折り返して見上げると、既視感デジャヴのように白い残滓。

 上る。また上り階段がある。白い残滓を見上げる。

 上る。折り返す。白い残滓。

 上る。


 しかし今度は上り階段ではなく、開け放たれた巨大な鉄扉。


『――こっちこっち』


 焼けた脳に痛みを誘発する声は俺を陥れるかのような口調でいざなう。

 扉を潜り、一層広い廊下を見渡すと――がらりと雰囲気の異なった、まるで石造りの城のような内観だ。


「何だ、ここ……」


 それでも遠くに、またあの白い少女の人影を見つけ、『こっちこっち』と脳裏に声が響く。無論、また少女の人影は近寄ると消えた。

 消えた先にあったのは燭台に灯る橙色の揺れる光源が照らす巨大な鉄扉だ。森瀬はここに入っていったのだろう、鉄扉は細い体が入っていける程度の隙間を空けていた。


「あのコをよろしくね――」


 押し入ろうと扉に手をかけた瞬間、俺は咄嗟に振り向く。

 聞こえた声は、先程までの脳裏に直接響くものではなく、背後から囁きかけるようなものだった。だと言うのに、そこには白い少女の姿は欠片ほどもなかった。


「お前は――一体、誰だ」


 自称幻覚。その言葉が真実だとしたら、果たして幻覚を見ているのは俺か?じゃあ見せているのは、一体誰だ――その問いに答える者はここにはいない。

 額の冷えた汗を拭い、俺は鉄扉に手をかけ、ぐっと押し込んで潜り抜ける。


「っ!――森瀬ぇっ!!」


 森瀬芽衣はその先で、長椅子に腰掛けていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る