第1話
春の穏やかな陽気が降り注ぐ下、教室内には教師が黒板に数字を書く音だけが響いていた。
「じゃあこの式解けるやつはいないか?」
すぐに誰かの挙手はなかったのだろう。僅かに静寂が訪れた。
「誰もいない、か。今日は4月17日だから、17番、白瀬だな。ちょっと解いてみてくれ」
日付で当てられてかわいそうな奴もいたもんだ。
「
授業中に寝るなんてそんな奴いるのか。まったく、白瀬とかいうやつの気が知れないな。
「おい白瀬、いい加減にしろよ」
「ねぇ
身体を揺すられながら前から声を掛けられ、俺はやむなく体を起こす。すると、つま先をコンコンと鳴らして睨みを利かせる白髪交じりの数学教師と目が合った。
「おい、白瀬、授業中に寝るとはなかなかいい度胸してるな」
──人の快眠を妨害するとはいい度胸してるな。
早くも爆発寸前の教師を視線を受けるとさすがにそんな不満はおとなしく飲み込んでおく。俺は極力面倒ごとを増やしたくない主義だ。しぶしぶ俺は席を立って黒板の前に歩く。その間も数学教師は何やら不満を漏らしていたが、そんなのは当然スルー。
黒板に書かれた証明の問題の左辺を流し読みし、右辺に証明を記述していく。
「ん、正解だ」
話を聞いてなかったのに答えを即答したことがよっぽど気に食わなかったのか、むすっとしている教師の前を通り、自席へ戻る。
「できるのは分かったけど授業中に寝るのはやめろな」
「……うぃっす」
適当な返事をして俺は頬杖をつく。
一番後ろの席の利点を十分に活用して教室内を見てみると、真面目に授業を聞いている人の方が少ない。ノートを取っているフリをしてうまく眠っている人、ノートに絵を描いている人、隣の席同士で紙切れをやり取りしている人、ばれないように携帯を操作する人。授業なんて聞く必要ない、めんどくさい、というクラス中の感情が伝わってくる。その中でなぜ俺だけが小言をいただかなくてはならないのか。
などと考えながらぼーっとしていると、ようやく昼休みを告げるチャイムが鳴った。
「今日はここまでにする。今日の内容はテストに出すからなー」
ありがたい言葉を残して教師は教室を出ていった。そのタイミングを見計らったかのように寝ていた生徒たちが元気になる。鞄から弁当やパンを取り出して友達と机を囲む生徒もいれば学食へ一目散で走っていく生徒もいる。
あれよあれよと教室が喧騒に包まれる。
そんなクラスの日常を見ながら俺は再び机に突っ伏した。
「なんで授業を聞いてる私と授業をまともに聞かない翔人との間にこんなに差ができたかなぁ……」
声に反応して顔だけ上げると、腰上までの長さの黒髪に、端麗な顔立ちの少女が黒い瞳を向けていた。身にまとった黒のブレザーが彼女のきめ細やかな白い肌を引き立てている。全て留められた制服のボタンやひざ上までの規則正しいスカート丈から、真面目な印象を受ける。物腰柔らかな声と口調からは清楚さも伝わる。
「生まれつきってやつじゃないか?」
「皮肉だねぇ。私にも分けてほしいよ」
はぁ、と白々しくため息をついて見せる少女。彼女は
「で、何か用か?」
「いつもぼっちの翔人にたまには一緒に食べないか、ってお誘いに来てあげた。お昼は?」
「ない」
「はぁ……」
今度は結構ガチな溜息をつかれた。解せぬ。
「そう言うと思ったよ。しょうがないなぁ」
夢亜は自分の机の上の鞄をごそごそと漁ると、花柄でピンクと水色の色違いの包みを取り出した。そのうち水色の方を俺に手渡してくる。
「これは?」
「見てのとおりお弁当だよ。なんかいつも何も食べてなさそうだし、作ってきてあげたの。感謝してよね?」
「ありがと」
一応礼を言うと、夢亜は満足そうに自分の弁当包みを解いた。俺も同様にして弁当箱を開けてみる。中には唐揚げや卵焼きといった王道のおかずに加え、ひじきの煮物やポテトサラダ、ウサギ型に切られたリンゴが入っていた。ぱっと見だけでも手間暇かかっていることがうかがえる。
自分でも料理をしなくもないが時間のない朝からここまで料理に時間はかけたくない。
「うん、うまい」
唐揚げはしっかり二度揚げされているし、煮物にも味がしみ込んでいておいしい。自分で作ってもここまでの完成度は到底出せない。
「そうかな? ならよかった」
「将来料理人でも目指したら?」
「やめてよ、そんなの私には向いてないって。それに、私が作れるの家庭料理ぐらいで、シェフの人が作るようなおしゃれな料理は作れないんだから」
「そうか、もったいない」
そんな他愛もない会話をしている間にも弁当箱は空になった。夢亜の作ってくれた弁当があまりにもおいしかったせいで普段よりも食事のスピードが速かった。
「ごちそうさまでした」
「おそまつさまでした」
空になった二つの弁当箱を片付ける夢亜の姿を見ながら俺は大きなあくびをしながら目を瞑る。
「そうだ、また勉強教えてよ。今日の内容私ちょっと苦手かも……」
「えー……」
「お願い! このお弁当のお礼だと思って、ね?」
なかなか姑息な言い方をして手を合わされるとどうにも断れない。ほんとにいやらしい。
「わかった、じゃあテストが近づいたらな」
「やった! ありがと!」
「だからほら、もう友達のところへ戻ったら? さっきからずっとお前の友達がちらちら見てきてるぞ」
俺と夢亜が幼馴染なのは周知のことだが、クラス替えが行われたばかりでクラスメートたちのグループが僅かに再編成された。そのせいで俺と夢亜に興味深そうな視線が向けられていた。
「うん、じゃあまたあとでね」
そう言って夢亜が立ち上がった矢先、大地が激しく揺れた。
「きゃっ!」
夢亜はとっさに机について体を支えた。教室の中でも悲鳴やどよめきがあがるが、それを地面が揺れる轟音がかき消してしまう。
揺れ自体はすぐ収まったが、奇妙なことに轟音はしばらく続いた。
「なにこれ……」
「ちょっとやだ……怖い……」
この現象にクラスメートたちの不安は募っていく。
謎の轟音は、十秒ほどで収まった。少しの間は、教室内のいたるところから轟音と揺れを不審がる声が聞こえたが、直にいつものクラスの雰囲気に戻った。
「ねえ翔人、今のって……」
ようやく少し落ち着いたのか、ずっと俺の机にしがみついていた夢亜がまだ不安そうに尋ねてきた。
「たぶん、そうだろうな」
言って俺は立ち上がる。
「あれ、どこいくの?」
「トイレだよ」
俺は教室内に戻ってきた喧騒を背中越しに聞きながら教室を出た。
高校の昼休みに来たのはトイレ──ではなく、高校の敷地外にある建物だ。そこの惨状を見た俺は納得した。
「やっぱりそうだったか」
建物の壁のあらゆる場所に、亜空間にでも繋がっていそうなブラックホールみたいな黒いノイズが入っている。その奥に見えるのは黒い虚無で、中がどうなっているかは未知数だ。世界の終末であるかのような有様だ。普通ならこんなことはあり得ない。だが俺には一つだけ心当たりがあった。
俺は迷いなく建物の中へと入っていった。
研究所か、と思ってしまうほど、中には見たことのない装置や機械が並んでいる。一応ここは企業の管理している場所のため、もし見つかったらただでは済まないだろう。最悪高校も停学処分とかになりかねない。だが今はそれは大丈夫だという確信があった。だから俺は気にせず、奥へと進んでいく。
「これかな」
一番奥にある装置の前で立ち止まり、触れてみた。
すると、一瞬意識がすぅっと遠くなり、次に気が付いたのは宇宙に似た無重力空間だった。
「この感覚、慣れないな。さて」
俺は周囲を見回し、暗い無重力空間の状況を確認する。
とりあえず見える範囲には何もない。そこにあるのはただ真っ黒な虚無だけだ。
「早めに見つけないとやばいな」
俺はこの空間であるものを探すために移動を始めた。
重力がないため移動には苦戦したが、体重移動のコツをつかめば移動は容易だった。
「あの揺れが発生してから約三十分か。リミットはあんまり残されていないけど……多分この先に」
確信はなかったが、自分の直感を信じてまっすぐ進んでいくと、奥に何かが浮かんでいるのが見えた。さらに近づくと、それが人だという言ことが分かる。
「おい、大丈夫か?」
返事はない。顔を覗き込んでみると、それが少女だと分かる。暗めの茶色でふんわりとしたセミショート。小顔であどけなさが残るが、きれいな顔立ちで美少女だ。着ている制服は俺の高校とは違う白のセーターで、スカート丈は角度によって危うそうな短さだ。首には翡翠のペンダントを下げている。すらりと伸びた下肢は非常に健康的だ。しかし彼女の呼吸は浅く苦しそうにうなされていた。
心の中でごめん、と一謝り入れておいてから少女の額に手を当ててみる。
「熱い……!」
すごい発熱だ。なんとなく予想はしていたがこのまま放置するのは危険すぎる。
けれど、今ならまだ間に合う。
俺は無重力空間の中で苦労しながらも少女を背負うと、来た方向へと引き返し、この空間から脱出した。
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