第14話 私の恋人
ある日、レンは執務室で議事録の整理をしていた。日付、時間順に並べて綴っていく作業だ。作業をしていると、先輩官吏が入って来て、
「ああ、ソウ君がいたか。良かった」と、レンに話し掛けてきた。
「ご用ですか?」
レンは手を止めて立ち上がった。
「この一覧に載っている書物を取って来てくれないか。古書倉庫にあるはずだから」
「はい。承知致しました」
レンは先輩官吏から一覧を受け取って、執務室を出た。
古書倉庫は、書庫の地下にある。自由には入れない倉庫で、入る前には帳簿に記名をする必要があった。昼でも薄暗く、古書と埃の臭いがする場所だ。他の人はあまり行きたがらないが、レンは見た事のない古い本を見る事ができるから、古書倉庫へ行くのが案外好きだった。
「結構あるな……」
頼まれた一覧には、結構な数の書物が書かれていた。レンは、古書倉庫の書棚を確認しながら、頼まれた書物を集めていった。
しばらくして、階段を下りて来る足音が聞こえてきた。古書倉庫で誰かと鉢合わせた事はこれまでになかったから、珍しいなと思い、レンは階段の方へ目をやった。そして、思わず持っていた書物を落としそうになった。下りて来たのがケイだったからだ。
レンは動揺しつつ、ここから逃げなければと思った。しかし、それには、ケイのいる方へ行かなければならない。
ケイはレンと目が合うと、
「久しぶり」と、レンに話し掛けてきた。
「どうしてここに?」
「帳簿に名前が書いてあったから、レンがいると思って」
やはり、ケイは書物を探しに来たわけではなく、レン目当てで下りて来たのだ。
「……俺はもう出るから」
レンはそう言って、ケイの横をすり抜けて行こうとした。しかし、そのレンの腕をケイがつかんだ。
「待って。もう少し、話をしよう」
レンはケイと目を合わせずに、
「仕事中で忙しいから」と言った。
すると、ケイがレンのもう片方の腕もつかんで、ケイの方を向かせた。
「レン、私を見て話してくれ」
レンはケイから顔を背けた。
「もう、行かないと。離して」
ケイが悲しそうな目でレンを見つめてきたから、レンは胸が痛んで、顔に出てしまうのを必死に堪えた。
その時、誰かが階段を下りて来る足音が聞こえた。
「レン、いるのか?」
下りて来たのはリョクだった。
リョクは、ケイとレンの姿を見て、顔色を変えた。
「何をなさっているのですか!」
リョクは二人に駆け寄ると、レンを後ろから抱き締めるようにして、ケイから引き離した。
レンは驚いて頭が真っ白になった。
リョクがケイに、
「レンは私の恋人です。いくら陛下でも、触れないで頂きたい」と言った。
皇帝に対しなんて口をきくのだと、レンは驚いたが、リョクは後ろにいるから、その表情は見えない。
目の前のケイは傷付いた様子で、
「すまない」と言うと、階段を上り去って行ってしまった。その様子に、レンの胸は締め付けられた。
ケイがいなくなっても、リョクはレンを抱き締めたままだった。
「リョク、もう離して」
レンはそう言って、リョクの腕を軽くつかんだ。
リョクが、
「心配だ……」とつぶやいた。
「心配かけてごめん、リョク」
リョクが腕の力を緩め、レンを離した。
レンはリョクを振り返り、
「でも、ちょっとやり過ぎだ。皇帝陛下にあんな口をきいて、もし誰かに聞かれてたら、大変な事になってたぞ?」と言った。
「ごめん。そうだな」
落ち込むリョクの肩にレンは手を置いた。
「でも、全部俺のせいだよな」
リョクがはっとして、何かを言おうとしたが、レンはそれを遮るように、
「もういいよ。やめよう」と言った。
それから、リョクの方に書物の一覧を掲げて見せて、
「手伝いに来てくれたんだろ?」とわざと明るく言った。
「うん」
「さっさと終わらせて戻ろう」
「そうだな」
二人は気持ちを切り替え、書物集めを再開した。
その翌日。
レンは、執務室で先輩官吏と共に書き物をしていた。執務室には、レンとその先輩官吏の二人しかいなかった。しばらくは黙って仕事をしていたが、先輩官吏がレンに、
「なあ」と声を掛けてきた。
「はい」
「ソウ君はジョ君と恋人同士なんだろ?」
「はい。そうです」
先輩官吏がレンの方に近付いてきて、声を潜めた。
「毎日一緒に寝てるのか?」
「毎日一緒には寝てません。私は宿舎ですし」
「単刀直入に訊くけど、体の関係はあるんだろ?」
レンは赤面した。どうやら、この先輩はレンとリョクの夜の事情を知りたがっているようだ。いや、この先輩が、というよりは、実は内心みんなが気になっている事なのだろう。この先輩は代表で探りを入れてきたのだ。
こういう話題への対応について、リョクとはすり合わせをしていない。もしかしたら、既にリョクはリョクで誰かに訊かれていたかもしれないと思った。答えが違ってしまってはボロが出る。レンは、リョクと話しておけばよかったと後悔した。しかし、今は、この場を取り繕わなければならない。
「職務中にそのようなお話は……」
レンが言うと、先輩官吏が笑った。
「お堅いなあ。でも、まあ、それもそうか。じゃあ、今度飲みに行った時にでも教えてくれよ」
「はい……」
レンはほっとした。取り敢えず、この場での回答は避ける事ができたようだ。
その日の業務終了後、レンはリョクを食事に誘い、いつもの料理屋へ向かった。
二人は向かい合わせで席に着き、料理を注文した。
お茶を飲みながら、レンはリョクに切り出した。
「あのさ、今日昼間に先輩から質問されたんだ」
「何を?」
「リョクと俺は恋人同士だから、体の関係はあるんだろ? って」
それを聞いたリョクが、お茶を思い切り喉に詰まらせて激しくむせた。
レンは慌てて、
「大丈夫か?」とリョクに尋ねた。
まじめなリョクには刺激が強すぎたのかもしれない。
「……大丈夫だ」
「ちゃんと、リョクと話を合わせておかなきゃと思って。リョクはそう言う事訊かれた事ある?」
リョクは激しく首を振った。
「ない」
「そっか。リョクには訊きにくいのかもしれないな」
「レンは、何て答えたんだ?」
「職務中だから答えられないって言って逃げた。だけど、また訊かれるかもしれない」
「とんでもないな。何てこと訊いてくるんだ」
「興味があるのは当然だよ。くだけた席に行けば、今後色んな人に、それに近い事を訊かれると思う」
リョクが恥ずかしそうに、
「私はどう答えたらいいのか全く分からない。どうしたらいい?」とレンに尋ねてきた。
「今のリョクの感じだとバレそうだし、俺だって経験が無い事は話せないから、そういう事はしてないって答えるしかないよな。でも、それって、どうなんだろう。やっぱり不自然に思われるかな……」
リョクが顔を赤らめ、目を逸らしながら、
「レンも経験はないのか?」と尋ねてきた。
レンも恥ずかしくなって、顔を赤らめた。
「ないよ」
「そうか。私はてっきり、レンはあるのかと思っていた」
「前に言ったじゃないか。ケイとは一夜を共にするような事はしてないって」
それを聞いたリョクが、なぜか表情を曇らせて黙った。
レンは、
「とにかく、そういう事はまだしてないって答えるしかないよな。ああ、なんかすごく冷やかされそう」と言った。そして、シン女官の小説を借りておけば良かったと後悔した。
すると、リョクが真剣な目でレンを見て言った。
「明日、うちに泊まらないか?」
「え?」
レンはドキリとし、そして、まさかと思った。リョクはレンと実際に一線を越える覚悟なのだろうか。
レンの考えている事を察したのか、リョクが慌てた様子で、
「いや、レンが分かる範囲で教えてもらえたらと思って。実際にそういう事をしようとか、そういうのではないから」と言った。
「俺だって、教えられるほどの経験はないけど……」
「でも、私よりは知っているだろう?」
「うん、まあ、たぶん……」
「じゃあ、頼むよ」
レンは、少々戸惑いつつ、
「分かったよ。明日泊まるよ」と答えた。
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