第9話 トンサン市の祭り
都省に配属されて四カ月。まだ他の官吏の補助や雑用に近い仕事が多いながらも、仕事には大分慣れてきた。レンとリョクは、配属されてから初めて、二日連続の休みを取れる事となった。都省は国政の中心を担う部署だけあって、その業務は忙しく、連続の休みが取れるのは初めてだった。
執務室で書類の整理をしながら、リョクがレンに話し掛けてきた。
「休みはどうするんだ?」
「久しぶりに故郷に帰ろうと思ってるよ。リョクは?」
「私は特に用事はないから、家で読書でもするかな」
それを聞いたレンは、ふと思いついてリョクを見た。
「よかったら、一緒に行く?」
「え? レンの故郷に?」
リョクが少し驚いた表情を浮かべた。
「ああ。ちょうど、年に一度の祭りがあって、それで帰ろうと思ってたんだ」
「祭りか。楽しそうだな。レンの故郷ってどこなんだ?」
「トンサン市だ」
「トンサン市か。結構遠いな」
「うん。だから泊まりになるけど、どうかな?」
「大丈夫だよ。行くよ」
「本当に? あ、泊まるのは宿でも大丈夫? ほんとはうちに泊められると良かったけど、うちは狭いから」
「全く問題ないよ」
「そっか。じゃあ、一緒に泊まろう。一人じゃ寂しいだろ?」
「え? でも、せっかく実家に帰るのに、レンは実家に泊まったらいいだろ?」
「うち、ほんと狭くてさ。それに、宿に泊まった方が夜更かしできて楽しいだろ?」
「確かに。楽しそうだな」
「じゃあ、決まり。祭り行って、うまいもの食べて、遊ぼう」
「ああ。そういうのした事ないから楽しみだ」
「だろ?」
二人は早くも楽しい気分になって、顔を見合わせて笑った。レンはこれまで、友だちと遠出をする事も泊まる事もした事がなく、そういう事を一度してみたかった。リョクもした事がないなら、喜んでくれるだろうと思った。
その日の仕事を終え、レンは、一度宿舎に戻った。そして夜更けに、ケイの待つ部屋へと向かった。この生活はもう日課だ。
部屋に入り、いつものようにケイの隣に座ると、ケイがレンに抱きついて来て、レンの頬に軽く口づけをした。ケイはレンに抱きついたまま、じゃれついてきた。
「今日も忙しかった?」
「うん。いつもどおりかな。ケイほどじゃないけど。あのさ、あさってとしあさっては来られないから」
ケイがレンから離れて、レンの顔を覗き込んだ。
「仕事?」
レンは、ケイには故郷に帰る事は言えないと思った。言ったら付いて来ると言い出しそうだ。昔住んでいた事があるとはいえ、皇帝をあんな片田舎に来させるわけにはいかない。
「ああ」
「そっか。都省は勤務時間も長いし、休みも少ないし、心配だよ。レン、体には気を付けてくれよ。レンが体を壊したりしたら、私は何も手につかなくなってしまうから」
「分かったよ」
「明後日から会えないなら、今のうちにたくさんレンを補充しておかないとな」
「補充って何……」
レンが言いかけると、その口をケイの唇が塞いだ。レンは目を閉じて、ケイの口づけを受け入れた。もう、深い口づけにもすっかり慣れてしまった。ケイと口づけをしながら、ケイを抱きしめ、抱きしめられ、時が過ぎて行った。
翌々日の早朝、宮廷の門の前でレンはリョクと待ち合わせをした。門の前に立っていると、やがてレンの目の前に輿がやってきて止まった。車の付いた輿を一頭の馬が引き、御者が操っている。
輿の引き戸が開き、リョクが顔をのぞかせ、
「レン、おはよう」と声を掛けてきた。
「お、おはよう……」
レンは歩いて帰るつもりでいた。故郷のトンサン市までは、歩いて半日以上かかる。よく考えてみれば、ジョ家のお坊ちゃんがそんな距離を歩くはずがなかった。
「乗って」
リョクがレンを促したので、レンは輿に乗り込み、リョクの正面に座った。
「輿を出してくれてありがとう」
「そんな、いいよ」
「家族は反対しなかった?」
「子供じゃないんだし、反対なんてしないよ。父に、道中周りの様子を良く見てくるようにって言われたよ。いい社会勉強になるだろうって」
「そっか。なら良かった」
「トンサン市ってどんなところ?」
「田舎だよ。都からはまあまあ近いけど、街道からも水路からも離れているから、栄えてなくて。市なんて言ってるけど、村みたいなものだよ。山があって、川があって」
「へえ。いいじゃないか。のどかで。楽しみだな。早く見たいよ」
「あまり期待してると、がっかりするぞ」
「はは。がっかりはしないよ」
その日の午後、二人はトンサン市に着いた。まずはレンの実家へ行き、家族にリョクを紹介した。それから、祭りが開かれている街へ繰り出した。街中で音楽が奏でられ、大勢の人たちが音楽に合わせて踊っている。あちこちで演劇や芸が披露されていたり、出店が出ていたりで賑わっていた。
夜になると、街のあちこちに色とりどりの行灯が飾られて、美しい光景が広がった。レンとリョクは、祭りが終わるまで存分に満喫し、宿へと向かった。
「楽しかった?」
レンが尋ねると、リョクが頷いた。
「ああ。すごく楽しかったよ。まだもっと遊びたいぐらい」
「そうだよな。大分長い時間遊んだけど、まだ遊びたいぐらいだよな」
「また来たいな」
「じゃあ、来年も来よう」
「ああ」
そんな話をしながら、宿の方へ歩いて行くと、宿の前に立っている人の姿が見えた。なぜあんなところに立っているのだろうと思いつつ、近づいて行くと、宿の明かりで徐々にその姿がはっきり見えてきた。レンは、足を止めた。全身の血が凍り付きそうな思いだった。
「どうしたんだ?」
リョクが不思議そうにレンを見て、そして、レンの視線の先に目をやった。
「まさか……。どうして……」
リョクが茫然とした様子でつぶやいた。
宿の前に立っていたのはケイだった。ケイはこちらをじっと見つめている。その表情は遠くからでも分かるぐらい険しかった。
二人は、ケイの方に歩いて行った。そして、ケイの前に立ち、深々と頭を下げ、挨拶をした。
リョクが、
「陛下がなぜこのような所へ?」とケイに尋ねた。
レンは怖くて顔を上げられなかった。
ケイが、
「ソウ・レン、話がある」と言った。
その声は明らかに怒気をはらんでいた。それから、リョクに向かって、
「そなたは来るな」と言い、レンの手首をつかむと、レンを引っ張っていった。
宿から離れ、人気がない場所まで来ると、ケイがレンの手首を離して振り返った。
「レン、これはどういう事なんだ?」
「ごめん……」
レンは目を伏せたまま、ケイに謝った。
「なぜ私に嘘をついた? なぜ私でなく、ジョ・リョクとここにいる?」
「今日は祭りだったから、リョクを誘ったんだ。ケイはどうせ来られなかっただろ?」
「レンが言ってくれれば、私は一緒に来たかった」
レンは顔を上げた。
「だから言わなかったんだ。皇帝がこんな祭りに来るなんて、あり得ないだろ?」
「ひどいじゃないか。この街は私とレンの思い出が詰まっている街なのに……。私に言わずに、しかも、他の人と来るなんて」
「言わなかったのはごめん。だけど、俺が友だちとどこへ行こうと、俺の勝手だろ?」
「どうしてそんな事を言うんだ? それに、どうしてジョ・リョクと一緒に宿に来たんだ? まさか、一緒に泊まるつもりだったのか?」
「そうだけど……」
ケイが増々表情を険しくした。
「絶対だめだ! 許さない! 私以外の男と宿を共にするなんて!」
「男同士の友だちで、一緒に泊まるのなんて、何も問題ないだろ?」
ケイが首を振った。
「私は誰ともレンを二人きりにさせたくない。泊まるなんて、絶対にだめだ!」
「そんな風に俺を縛るなよ。俺はケイの物じゃない」
ケイが悲しそうな表情を浮かべた。
「私は、レンと心が通じ合っていると思っていた。レンは違うのか?」
レンは再び目を伏せた。
「ケイ……。公私混同はしないで欲しいんだ。だから、こういう事は止めて欲しい。俺にも友だち付き合いとか人間関係があるし、そういうのまで縛られたくない」
ケイがレンに一歩近づき、レンの両腕をつかんだ。
「ごめん、レン。でも今日は、私と一緒に都へ帰ろう?」
レンは首を振った。
「俺は明日帰るよ。だから、ケイは一人で帰ってくれ」
「やだ。絶対許さない。どうしても残るって言うなら、レンは実家に帰ってくれ」
レンはため息をついた。この状況で、リョクと一緒に泊まると言ったら、ケイは絶対に引き下がらなさそうだ。
「分かった。俺は、今日は実家に泊まる。それならいいだろ? だから、ケイは早く宮廷に戻ってくれ」
それを聞いて、ケイがレンの両腕を離した。
「分かった。私は帰る。だけど、明日はなるべく早く帰ってきてくれ」
「分かったよ」
そうして、ケイは渋々帰って行った。
その後姿を見送り、リョクに話をしなければと思って、宿の方に戻ろうとすると、木の陰に隠れてリョクが立っているのに気付いた。
「リョク……」
レンは青ざめた。リョクに、先ほどのケイとの会話を聞かれてしまったに違いない。
リョクがレンに歩み寄ってきた。
「ごめん。どうしても気になって、ついてきてしまった」
「……全部、聞いてた?」
「ああ」
リョクが気まずそうな表情を浮かべ、そして、
「……レンは、皇帝陛下と恋仲なのか?」と尋ねてきた。
レンは、リョクに軽蔑されるだろうか、と思った。これが原因で、友情が壊れてしまう事も有り得る。しかし、親友であるリョクに、嘘をつく事はできなかった。
「ああ」
レンの答えに、リョクは、相当衝撃を受けた様子で、茫然と立ち尽くした。それはそうだ、とレンは思った。親友が、男と、それも皇帝と、恋愛関係にあるなんて、受け入れられないに違いない。
「いつから?」
「実は……。陛下は子供の時、この街に一時期隠れていた事があったんだ。うちで陛下を匿って、一緒に住んでた。その時は、陛下は女の子のフリをしていて、それで、俺は陛下の事が好きになって、陛下も俺を好きで……。その後、陛下が即位されて、しばらく会わなかったけど、俺が入宮して再会したんだ」
「そんな昔から……」
「ああ」
「陛下は今でもレンが好きでいらして、レンも陛下の事が好きなのか?」
レンは迷った。今まで認めたくはないと思っていたが、こうして尋ねられて、その問いに向き合えば、答えは明らかだ。
「ああ」
レンは初めて、今でもケイの事が好きだという事を認めた。
「そうか……。じゃあ、陛下とは、宮中で頻繁に会っているのか?」
「実は、ほとんど毎日、会ってる」
レンの言葉に、リョクが複雑な表情を浮かべた。それで、レンは、はっとして、
「でも、一夜を共にするとか、そういうのじゃないから」と付け足した。男娼のような事をしていると、リョクには誤解されたくなかった。
「誰かそれを知っている人はいるのか?」
「いつも呼びに来る官吏は同じ人だし、多分知られてはないと思う」
「そうか。ならこれからも、絶対に他の人に気付かれないよう、気を付けた方がいい」
「それはそうだな」
「もし、私で力になれる事があったら相談に乗るから、何でも言ってくれ」
「ありがとう……」
真実を知っても、レンを見放さないリョクに、レンは感謝した。
その日の夜、レンは実家に泊まり、翌日の朝、リョクと待ち合わせて都へと向かった。
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