第8話 祝宴

 レンが部屋に入ると、入宮初日よりもさらに豪華な料理がテーブルの上に用意されていた。

「レン、早く座って」

 レンは面食らいつつも、ケイに言われたとおり、ケイの隣に座った。

 ケイは、「はい」と言ってレンに杯を握らせた。レンは、配属のお祝いの時には酒を飲もうと約束していた事を思い出した。

 ケイが嬉々としてレンの杯に酒を注ぎ、

「レン、配属おめでとう」と言って、レンの杯に自らの杯を合わせた。

「ありがとう」

 レンが杯に口を付けようとすると、ケイが、

「今日はゆっくり飲まないとだめだよ」と言った。

「ああ」

 レンは杯の酒を少しだけ口に含んだ。相変わらず、独特の刺激があり、飲み込むと喉が熱くなる。

「レンが都省に配属されてうれしいよ。これからは近くにいられるな」

 都省の官吏は、宮中で最も皇帝に近い場所で働く官吏だ。それで、レンはまさかと思った。

「もしかして、俺が都省に配属されたのは、ケイが手を回したのか?」

「初めから、レンは候補だったよ。でも、ジョ・ハクの息子がいたから、ジョ・ハクの息子を都省へ配属して、レンは他の部署にっていう意見もあった。だけど、どちらも百年に一度出るか出ないかと言われる天才だろ? だから、そういう優秀な人材は、都省に配属すべきだと意見したんだ」

「そうだったのか……」

 皇帝の意見なら、周りは聞かざるを得ないだろう。

 ケイがレンの気持ちを察したのか、レンの肩を叩いた。

「レンの実力がなければいくら私が言ったからと言って通るものではないよ。その点については、誰も異存がなかった」

「そうか……」

「私は昔から、レンが優秀なのは知っていたけど」

 それから、料理を次々と皿に取ると、レンの方に差し出した。

「ほら、食べて」

 そして、まだ酒がなみなみ入っているレンの杯に酒を足し、「飲んで」と言った。

「ありがとう」

 レンは、さっきはゆっくり飲めと言ったくせに、と思いつつ、料理を口に運び、杯の酒を口にした。

 ケイが、

「初日はどうだった?」と尋ねてきた。

「緊張したよ。でも、リョクと二人だったから、まだ良かったかな。一人だったら、もっと緊張してたと思う。分からない事だらけで。早く仕事を覚えたいよ」

「リョクって、ジョ・ハクの息子か。名前で呼んでるんだ」

「友だちだから」

「へえ。友だちなんだ。稀代の秀才同士が友だちだなんて。知能水準が高い者同士、話が合うって事か。他の者は会話についていけなさそうだな。私も含めてだけど」

 レンは笑った。

「そんな事はない。いつも他愛もない話しかしてないよ」

「いいなあ。私もレンと他愛もない話がしたい」

 ケイが甘えたように言ったから、レンは吹き出した。

「皇帝陛下が何言ってるんだよ。大体今こうしているのも、他愛もない時間だろ?」

「はは。そうか」

「ケイは大丈夫か? 毎日大変だろ?」

「私を人間として心配してくれるのはレンだけだよ。私は大丈夫。我ながら、割とうまくやってると思うんだ。国民の評判はどうかな?」

「悪くないと思うよ」

「そうだろう?」

 クーデター後、この国の政治は以前に比べだいぶ落ち着いた。税制が整備し直され、治水工事などのインフラ整備も進み、国民の生活も改善されつつある。これは官僚たちの力もあるが、皇帝であるケイが強いリーダーシップを発揮している成果でもあった。ケイは、歴代の皇帝の中でもかなり優秀なのだ。クーデターを首謀した者たちは、ジョ・ハクをはじめ皆要職に就いている。当初、若いケイに代わって、彼ら官僚たちが国政を統率するものと思われていたが、実際は、ケイ自らが国政をコントロールしていた。先程ケイはレンを褒めたが、ケイの方がよっぽどすごいとレンは思っている。そんなケイに認められているのは正直誇らしい。

「ケイはすごいよ」

「レンにそう言ってもらえるのが、一番うれしいな」

「本当に……」

 レンは途中で言葉を止めた。先ほどから、頭が少しぼんやりしてきている。そして、それが徐々に強くなり、眠気を催してきていた。これは、以前酒を飲んだ時と同じ状態だ。前よりは緩やかだが、確実に酔いが回ってきている。

《横になりたいな》

 レンはそんな風に思いながら、なるべく落ち着こうと、深く息を吐き、一点を見つめながらしばらくじっとしていた。

 すると、不意にケイがレンの肩に手を回し、レンを引き寄せた。レンはケイの体にもたれ掛かるような体勢になった。レンはドキリとしたが、その体勢の方がずっと楽だったので、そのままケイに身を預けた。触れ合っているケイの体が温かくて心地よい。

 レンはうとうとして、そのまま眠ってしまいそうだった。

 ケイが小声で、

「ほんと、かわいいな」と呟いたのが聞こえた。

 そして、ケイの手のひらがレンの頬に触れ、レンの顔をケイの方に向かせると、ケイの唇がレンの唇に触れた。

 レンは、今自分がいるのが現実なのか夢なのか判然としないような、そんな感覚に陥っていた。だから、ケイがレンの唇の隙間から舌を入れてきても、ケイにされるがまま、それを受け入れた。

 しばらくの間、ケイはレンに口づけをし続けたが、やがて、徐々にレンに体重を掛け、口づけをしたままレンを長椅子に押し倒した。そして、レンの体に撫でるように触れ、衣の合わせ目から手を滑り込ませてきた。

「んっ」

 ケイに触られて、レンの鼻から声が漏れた。その自分の声で、レンは我に帰り、ケイを止めなければと思ったのだが、こんな体勢になってしまっては、容易に逃れる事はできなかった。ケイは、レンの頬や首筋に唇を這わせた。

「だめ、だめだ。ケイ、やめて」

 酔っている自分の声は、止めようとしているのにかえって煽っているように聞こえる気がした。案の定、レンを見下ろすケイの表情は、完全に雄の表情になっていた。

 レンの口から、「ずるい……」と、心の声が漏れた。ケイは、レンが酒に弱い事を知っていてわざと酒を飲ませた。そして、抵抗ができなくなったレンを、こんな風に組み敷いて好きにしようとしている。

 レンは体が熱くて仕方がなかった。それは酒のせいだけではない。この状況とケイの表情、感触、すべてに体が反応しているのだ。レンは怖いと思った。これ以上進んだら、きっと戻れなくなる。

 ケイがレンの帯を解こうと、上半身を起こした。その隙に、レンは、

「やめろよ」と言って、ケイの体を手のひらで押し、ケイの下から逃れようとした。

 ケイがレンの手首をつかんだ。

「本当にいや?」

 レンはケイから目を逸らし、

「いやだ」と答えた。

 傷ついただろうかと思い、恐る恐るケイの顔を見た。予想外に、ケイは落胆した様子はなく、じっとレンを見つめていた。

「じゃあ、どこまでならいい?」

 予想外の問いに、レンは「え?」と言って目を丸めた。

「抱きしめるのはいい?」

「あ、ああ」

「口づけは?」

 レンは少し迷ったが、正直ケイとの口づけは心地よいので、したい気持ちが勝った。

「……いいよ」

「触るのは?」

「それは、程度による」

「今ぐらいまでだったらいい?」

「……なんでそんな事訊くんだよ?」

「レンがいいって言うところまでで我慢しようとしてるんだ。もし、それも許してもらえないなら、今ここで無理やりにでも私の物にする」

 レンはそれを聞いて青ざめた。

「分かったよ。ちょっと触るぐらいだったらいいから。だからもう離してくれ」

「じゃあ、これからは毎日、ここに来てくれる?」

「え?」

 唖然とするレンに、ケイが不貞腐れたような表情を浮かべた。

「私はレンのせいで欲求不満なんだ。その分、たくさんレンと会わないと耐えられない」

 無茶苦茶な理屈だとレンは思った。しかし、今はとにかくケイの言う事を聞かなければ、この状況から抜け出せない。

「分かったよ。ただ、来られない日もあると思う」

「いいよ。それでも。来てくれるなら」

 ケイがうれしそうにほほ笑んだ。

 こうして、その翌日から、レンは仕事が終わった後、ほぼ毎日ケイと会い、そして、まるで恋人同士のような時間を過ごすようになった。

 こうやって、結局はケイの思い通りにされてしまうのは、相変わらずだとレンは思った。だけど、レンといる時のケイは本当に幸せそうな顔をするから、その顔を見るとすべてを許せてしまうような、そんな気持ちになるのだった。

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