世界なんて変えられないし私は凄くなれないし
吉野奈津希(えのき)
・
どうして私って凄い人になりたかったんだっけ。
△△△
インターネットで漫画はいくらでも公開されているんだけど、最近変な噂が流れていることを知る。
なんでも、その漫画を読むと自殺しちゃうんだとか。
「バーカ言ってるんじゃないよ」ってSNSのそんな書き込みを見て鼻で笑ってしまうんだけど、ニュースでは連日自殺者が増えていることが報じられていて、今日なんか176人が高層ビルから飛び降りた。
△△△
私は音楽が好きだ、なんて思って音楽の専門学校に入るのだけど入って数か月で「あ、私音楽好きじゃねーな」と悟ってしまう。
曲を作ることが好きで好きでしょうがない人間、演奏することが好きで好きでしょうがない人間、それらのあらゆることを総括して一つの音楽を作ることが好きで好きでしょうがない人間がいて、私は「凄いミュージシャン」というロールをやることが好きで好きでしょうがない人間だという情けなさすぎる事実にあっさりと気づく。
私の好きってろくなもんじゃない。そんなことを思ってしまう。
同じ専門学校の浅川君と山本君と高橋君と関係を持つ。
「
居酒屋で酒を飲んで「音楽とは、ミュージシャンとは、ロックとは、ジャズとは、精神性とは、音楽性とは」みたいなことを話して自分たちがいかに純粋に音楽に取り組んでいるかとか音楽で金儲けだけの大衆に媚びたカスがこの世にたくさんいることを嘆いて見せたりして「フェイク野郎どもが!」と大きな声で言ってワイワイ盛り上がるんだけど、実際のところ私は頭の先から足のつま先まで全部フェイク。そんな風に話しているけど私は自分が高校の時に好きだったバンドを繰り返し聴くだけで自分の音楽の幅を広げようなんてしない。
「あ~西荻ってそういうの好きそうだよね」なんて言われるためだけにファッションにはこだわるは言動にはこだわるはタバコの銘柄をこだわったりしてそこに一生懸命になる。
浅川君と山本君と高橋君それぞれと「俺たちだけが純粋に音楽を好きになっているんだ」みたいな会話を、日替わりでしてやることといえば酒を飲んでセックスして「俺たちって爛れているな、変わっているな」みたいなことばっか。
その虚しさに気づきそうになるけど、それに気づきたくないからそんな生活に更にハマる。
でも一生懸命やっている人たちはそんな中でもバンドを組んだりデモテープを作ったり練習したり、活動をしている。自分の持つ、音楽という物語の幅を広げようと努力している。
音楽理論の授業で私はサラサラサラサラっとテストの回答用紙を埋めて得意げになる。でもちゃんとやっている人達はとっくにそんなの知っているし、私はただ回答用紙を埋めるだけだけど、ちゃんとやっている人はそれによって音楽を作っている。
私の好きってどこまでちゃんとした好きなんだろうか。
ただ毎日再生を繰り返す私の好きなバンドへの好きは「本当の好き」なんじゃないかと思ってやり過ごそうとしたある日、気づく。
これ歌詞が好きなだけなんじゃない!?
そう思って呆然としているうちに高校までの同級生の
私は思わず舌打ちする。
△△△
仁木速見は私の小学校からの幼馴染で、何をやるにも気が弱くて授業中にほかの人が解けていない問題が解けていて、それを人に褒められたい気持ちはいっちょ前にあるんだけど人前で話すことが怖い、というか「人前で話します」と自分で表明することが怖くておどおどしていて、手を挙げない。ちなみに私は加納だから「かのちゃん」と呼ぶ。
仁木速見はおどおどしっぱなしで、そんなんだから私が「先生、仁木速見さんが解けています」と言ってアピールしたりして、仁木速見は先生に褒められて私に感謝する。
そんな仁木速見のことが私は嫌いではなかった。
私は仁木速見がおどおどしているのにはうんざりするぐらいだったけど、そんな仁木速見が何も自分から言い出せないところを代弁すると、私が大きな影響をその場に与えているような気がして気分がいい。
クラスで誰も解けない問題があるということ、そして仁木速見が解いたことを言い出せないということ。
私はそれを繋いでやる。仁木速見がおどおどしていて、言い出せないところを背中を押してやる。
そうすることで、誰も解けない問題があった、という状況が変わる。授業中のクラスの流れを変えることができる。
私が、変えることが出来る。学校の教室という私にとっての世界を、仁木速見にとって変えられない世界を変えることが出来る。
私は仁木速見と交流する。私が仁木速見にあれこれ世話を焼いて、仁木速見がそれに感化されることに、私は小学生の時からハマる。
仁木速見はいつでも私についてきて、私はそんな仁木速見を見ていて楽しくなる。
「まーちゃんは凄いなぁ」
「そりゃそうよ。かのちゃんと私は違って凄いだから」
「凄いなぁ」
「あんただって凄い私と一緒にいるんだからすごいに決まってるじゃない」
「そうかなぁ」
「そうよ」
仁木速見は私のほとんど言ったことを真に受けるし、私は友達と子分が一緒に出来た感じで楽しくてしょうがない。
だから、仁木速見が漫画を描きだしたのも私のちょっとした提案がきっかけだった。
私がギターをやり始めて「ミュージシャンきどり」に夢中になって、下手な弾き語りを仁木速見に聴かせて、私がそれについてあーだこーだ語って、悦に浸って、「あんたもなんかやってみなよ。ベースとかさ」と言った。
私はあの時なんでそんなこと言ったんだろう?
ただ結局、仁木速見はベースをやらない。
「私ね、たぶん音楽そこまで好きじゃないんだよね」
「え」
「あ、いや、まーちゃんの曲が嫌いとかそういうのじゃないの。まーちゃんの弾き語り、私凄い好きだよ。すごい脳がぐわぐわ動くっていうか、色々湧くんだけど、でもそれが私は音楽って全体につながってないの」
「全体?」
「こう、曲が好きでもそのアーティスト全部が好きになれるとは限らない、みたいな? 私、そこそこは楽しめると思うんだけど、なんていうか、そこで止まっちゃう気がするの。ほかのやってみたいことがあるし」
珍しく仁木速見が自我、のようなものを見せるその言葉に「へー、そういうのもあるかもね」と返すけど私はその時初めて仁木速見に衝撃を受けるし、自分とは異質であることの片鱗を知る。
この子、自分の好き嫌いがわかるんだ。私みたいに何となくじゃなくて、しっかりと。
「でも、私すごいまーちゃんの曲好きだよ。だから、私もなんか始めたいようかな」
「例えば?」
「……漫画とか?私、漫画好きなんだよね……」
そう言って、仁木速見は筆を取る。なんでじゃい。
――私ね、たぶん音楽そこまで好きじゃないんだよね
そういう仁木速見の言葉が私の心に小さい棘が刺さったみたいにして残り続ける。私はなんかちょっとでも楽しいと思ったら無条件に「好き」と思っていたのだけど、その好きにも純度、みたいなものがあるんじゃないかとそれをきっかけに考えるようになる。
でも私は自分が思った「好き」というのを疑うことが怖くて結局何もしない。いいじゃんいいじゃん、何かちょっと楽しくなるんだから、何かちょっと自分の心が動くんだから。ってことは私はこれが好きってことでいいんじゃない?
そういう感じでダラダラと「私は私で好きを貫いているんだ!」みたいなポーズに一生懸命になっているうちに仁木速見は漫画をガリガリ作るようになる。私はそれを読む。
凄く、嫌な気持ちになる。
仁木速見の描く漫画は少年漫画で、舞台設定も主人公も毎回全然違う。近未来もあれば平行世界、ファンタジー、歴史もの、何かもある。主人公はガンマンだったりロボットだったりお坊さんだったりサムライだったり忍者だったり竜の末裔だったりする。
でも、芯がある。「あ、こいつ真剣に友情だとか夢だとかカッコイイ、を叩きつけている!それを伝えたくてしょうがない!」と素人目の私にもわかってしまう。
だから、褒めてしまう。仁木速見は大喜びする。
私は仁木速見に自分のギターを見せびらかして、聴かせて、仁木速見とかの反響であれこれ曲を作ったりするのだけど、仁木速見はひたすら自分の世界を描き続けている。
「まーちゃんの曲、聴くとすごい想像力湧いちゃって、描きたくなるの」
なんて私が仁木速見にへたくそな歌を聞かせるたびに言う。実際にインスピレーションが加速するのか翌日にはネームをうれしそうに私に見せてくる。
でも、そこに私はいない。
仁木速見の漫画の中には、仁木速見の高い純度の信念だとか物語があって、私の痕跡を私は見受けられない。恋愛ソングを歌った後に山賊が村人を守って一夜で巨大熊を倒す話を描いてきたり、友情ソングを歌った後には世界が滅亡する前の恋人の話を描いてきたりする。
どこに私の影響があるっていうんだ。
でも仁木速見からするとそれはつながっているんだとか。私の音楽が、仁木速見の中でうねってうねって、そうして出力されると全然違う物になっているんだとか。そんな仁木速見を見て、私は更に困る。本物みたいじゃん、仁木速見。
仁木速見はどんどん作品を作る。私へ向けた作品という枠はとうに超えていて、もっと広い、読者という概念へ向けた作品を生み出し始める。
中学校ぐらいになると仁木速見は投稿を始める。自分が作った作品と規定があっている新人賞にどんどん応募をし始める。
私はというとずっと仁木速見へ向けたチープな曲ばかり作っている。
「今度この賞に応募してみようと思っていてね」
「はー、すっごいね仁木速見。バリバリじゃん」
「人前で話すわけじゃないからできるのかも」
なんて言う。仁木速見は迷いがない。そりゃあプロに比べると絵は下手だし、話のつくりも拙いし、なんていうか「あー素人だな」ってのは私でもわかる。それでも仁木速見はそこに迷いがない。自分のものと、胸を張って投稿している。
私はだんだん曲を作る頻度が落ちていく。バンドに入ったりして、コピーにいそしむようになる。
私は親に中学校のうちから「私プロになる」なんて言うようになる。仁木速見にも当然そう言う。だからオリジナルの弾き語りやっている暇がない、みたいな自己弁護をしてしまう。
「そっかぁ、中々まーちゃんの弾き語り新しいの聴けないのは残念だけどまーちゃんが夢に向かうためだもんね」なんて言う。
「そう、そうなんだよね。バンドが忙しくってさ」
「うん」
「……最近、何か音楽とか聴いてる?」
「いやーあんま聴いてないね」
「そう」
私は無性に腹が立つ。どうしてこんなに腹が立つんだろう。
まるで私が曲を作ろうと作りまいと全然気にしないあたりが癇に障っている気がする。音楽が、仁木速見の世界には必要がない。私が曲を作ったら聴くけど、別になくても仁木速見は困りなんてしない。
私が当たり前のように影響を及ぼせていると思っていた仁木速見にとって音楽は不要なもので、私の音楽はただ「友人が作ってきたから聴く音楽」でしかない。そう思う。
私は、というと仁木速見が新しく漫画を描くと、読んでしまう。完璧じゃない、粗だらけだ。
でも、面白い。
仁木速見がそれを描いたとか、自分と同じ年の子が描いたとか、そういうことが読み始めた瞬間に何処かへ飛んで行ってしまう。私はその漫画に没頭してしまって、読み終わった後に「あ、これ仁木速見が描いたやつだ!」みたいに思う。
それで何度もみじめな気持ちになる。
私は何をやっているんだろう。私って特別じゃないの?
仁木速見の漫画は、面白いけど、私だけを向いているわけじゃない。仁木速見はもっと、もっと広い層へ向けて物語を作ることが出来る。自らの力量を磨くことが出来る。
私は、ただ仁木速見を直視できるようにポーズを取ることに躍起になる。
このあたりから何か私もおかしくなっていたのだと振り返ると思う。
結局のところ、私はただ仁木速見に対して凄い自分を演出したいだけなんだ。
△△△
私は仁木速見が連載している漫画について考える。
今、仁木速見は週刊の少年漫画雑誌で連載している。かなり有名な雑誌で、私でもそこに乗っている漫画がアニメになったやつを見たことがあった。
つまり、業界のトップ雑誌だ。
仁木速見が現在連載している漫画は私は読んだとき「生意気~」となった。仁木速見の連載デビュー漫画はそれから一年ぐらい前に載せられた読み切り版が下敷きとなっているんだけど、連載用に少し設定と構成が変わっている。
読み切り版は結構話が綺麗にまとまりつつも、これからの広がっていく世界への期待が出来る感じで、正直なところ読んだとき「これこのまま連載してもいいんじゃないの?」
なんて思ったりした。
主人公はそんなトレジャーハンターになりたいのだけど、才能がない。でもそんな中で主人公の少年が住む村がハイエナのようなあくどいトレジャーハンターに襲われて、村を焼かれてそれでも必死に村を少年が守ろうとしている時、ふらりと訪れたトレジャーハンターが窮地を救う。
そのトレジャーハンターは呪われた財宝によって特殊な力を手にしたトレジャーハンターだったのだ。
その主人公の恩人のトレジャーハンターは方向音痴で適正がないのだけど、確かに主人公にとっては最高のトレジャーハンターだった。
いつか出会うことを約束して、読み切り版は終わる。
短いながらも綺麗にまとまっていて、呪いの宝石、みたいなアイテムもあって話に拡張性もあってかなり漫画として面白かった。
それが一話になるとベースは同じなのだけど、構成が歪になる。
神秘の財宝を手に入れた神様のようなトレジャーハンターがいて、ある日を境に雲隠れしてしまった時代、その後を追おうと冒険が繰り広げられている世界、と設定が少し追加されている。それでもって読み切りと同じような主人公と憧れのトレジャーハンターの物語が成される。
正直なところ、読んだ時に私はちぐはぐに感じた。
物語で目標となる人物が、神様ポジションのトレジャーハンターもいれば、憧れのトレジャーハンターまでいるのだ。一話で綺麗にまとめるなら「憧れの人」が実は「神様のようなトレジャーハンター」って風にするべきでは?なんて思う。でも全然違う人物として顔が描かれていて、たぶんそれは違う人物であることに自覚的に描かれている……
構成ミスってないこれ?なんて思うんだけど、掲載雑誌の歴史を紐解いてみると少し、感じるところがある。
そうしてあーだこーだ考えて私は気づく。
あ、これ、この雑誌への挑戦状なんだ。
その雑誌はちょっと前に看板漫画が終わっていて、まだまだ人気雑誌の地位は確立しているけど少し勢いが失せている。
この看板漫画を「神様のようなトレジャーハンター」と見立てたらどうだろう?
もし仁木速見が、高校生で、新人であるのに、「この漫画雑誌の頂点にたってやる!」なんて意図でこの構成にしたのだとしたら……なんて思って「え、うそ、あの仁木速見が?」なんて思うんだけど、一気にそんな気がしてくる。
だって仁木速見は信じているのだ。自分の好きを。自分が描くものがどこまでだって届くことを。
まだ、デビューしたてで、これから駆け出しだっていうのに、仁木速見は他の漫画に勝つつもりなのだ。
どこまでの自分の好きが通用すると確信しているのだ。
いや、信じているのだ。
「ばっかじゃないの」
私は買ったばかりのその雑誌を自分の部屋の脇に放り投げる。
それでも、ずっとその漫画のことだけを考えてしまう。
△△△
高校に入ってしばらくして、仁木速見の連載が決まってからの没入の仕方は凄かった。学校にいる時にでも何かノートに書いていると思えば、ありとあらゆるアイデアのメモで、しかもそれはネームのようなものまでセットで書かれていて仁木速見が「あ、思いついた」となるとテスト中だろうとアイデア出しの時間に変わるものだから仁木速見の学力はどんどん落ちていく。でも仁木速見はそんなこと全然気にしない。
「かのちゃんさ、勉強しないでいいの?」
「んーいいかな」
「いや、ずっと成績良かったじゃんかのちゃん」
「うん。他にしたいこともなかったし……でも」
「でも」
「今は漫画描いていたいから……描ける時に出せるだけ出してないともったいないっていうか……」
どんどん仁木速見は私の知らない仁木速見になっていく。
「そんなん言っても、かのちゃん将来どうするのよ。大学行くんじゃないの? じゃあ勉強しなきゃじゃん」
そう言う。自分は進路指導に専門学校と書いておいて、私はそうやって仁木速見をそれっぽい言葉で操作しようと思ってしまう。私と同じような、ちっぽけなことで悩んでほしいなんて思ってしまう。
「や、私大学行かないよ」
「え」
「たぶんこのまま商業作家なるんじゃないかな。なんとかデビューもほら、できそうだし」
「え、でも、でもほら、連載うまくいくとは限らないんじゃない?」
「うーん、そうだけど大学行こうとしてたらたぶんいまデビュー出来ないしさ、全力で取り組めるのは今がチャンスだし、パパっと打ち切られちゃったらその時考えればいいし、続いてお金入ってそれでも大学行きたい、って思ったらその時そのお金でいけばよくない? それに、今とにかく描いてみたいんだよね、こう、楽しくてしょうがないというか」
それに、と仁木速見が私のことをまっすぐ見つめてくる。
「まーちゃんも専門行くんだし、そうなんじゃないの?こう、絶対やりたい、って感じ、あるでしょ?」
私はフリーズしてしまう。「そ、そうだね」と返して何となく話をまとめた感じにする。
「ね、お互い頑張ろう」
そう仁木速見が言うのを呆然と聞いてしまう。
私の頑張りと、仁木速見の頑張りとはたぶん全然違う。
私はきっと、何処にも繋がっていない頑張りばかり頑張っている。
△△△
ある日専門学校に行くと妙に人が減っている。さぼってる、なんてこともしょっちゅうだと思うんだけどいくら何でも人が少ない。
浅川君と山本君と高橋君が休みで、スマホでメッセージを送ってみるんだけど一向に帰ってこない。
そうして何日経っても音信不通のままで、ニュースで突然彼らが自殺したことを知る。
「え、なんで急に自殺なんてしたの」「浅川君死んだの?」「山本が?マジ?」「いやネタでしょ」「ネタなわけないじゃん」「ニュースでも言われたんだけど」「そういうの茶化すの、最低」「お通夜の日取りとか聞いてる人いる?」「どうして急に……」
SNSのグループはそんな感じで軽いパニック状態になる。
「でも、あいつ変な漫画読んだって言ってた」
そうしてグループにそう書きこまれる。
「なんか、気持ち悪い漫画で、読んだら死んじゃいそうになったって……」
でもそんなのは流される。あっという間に現実的なお通夜の日取りだとか、出席する人だとか、お通夜の服装とかについての話題に持ち切りになる。
私は一応、彼女……って体で彼らのお通夜とかに行く。彼らの家族は泣いてくれて、色々私に良くしてくれるってのを×3。ひどいな自分、と思うけどそれはそれとして話して、笑っていた人が死んでしまうというのは悲しくて、どこかやりきれない気持ちがある。
それで、そのうちの高橋君はどうやら私に結構マジに惚れこんでいたらしくて、珍しい手書きの日記に私のことがちょくちょく書かれていて、「もし自分が死んだら西荻に全部やるわ!」なんて書かれていたもんだからお通夜の後も高橋君の家に行くことになって、そこで彼のスマホも遺品としてもらってしまう。
家に帰って遺品を見ていて、日記にご丁寧にスマホのパスワードも書かれていて、私に全部やる、と書いたのならいいだろうと私はパスワードを解除して開く。
呪いの漫画とやらを知る。私はそれを読んでしまう。
△△△
仁木速見の漫画は大人気だ。
そう、だからこそその反響というのは色々な形で現れる。純粋に楽しんだ言葉もあれば見当違いな怒りをぶつけられることもある。仁木速見の漫画について「これはこうなんだろう」と読むだけならまだしも「この作者はこういうことを考えているに違いない!」まで飛躍してそれをドグマにしちゃってワーワー暴れる人もいる。一方的に仁木速見の人格を否定して、批判し続ける人もいる。仁木速見の心を知った気になって「こんな展開は作者の意思じゃない」なんて言う人間もいる。
『仁木速見クソでしょ』『薄っぺらいつまんなオタクしか仁木速見読まねえよ』『仁木速見、嫌いなんだよな……』『どうせ仁木速見しか読んでないオタクとかどうしようもないっしょ』みたいなことが検索するとずらずらずらずら出てくる。
それを仁木速見は全部見ている。仁木速見に、私の次に出来た読者は大衆だから。仁木速見は自分の描きたいことはブラさず持っていたけど、それが受け入れられる、受け入れられないことへの準備というものが無かったから。
仁木速見は私にショートメッセージを送る。
『こんにちは。まーちゃん。元気ですか?私はなんとかやっています。ここのところ全然外に出れてないよー。ではまた』
『まーちゃん、聞いて聞いて。私の漫画が賞を取ったそうです。うれしい~。まーちゃんは元気していますか?ライブあったら行くから教えてね』
『まーちゃん、最近私の漫画が面白いのかわからないです。悩んできてるのかも。まーちゃんは専門でそういう時どう乗り切っていますか?』
『まーちゃん、私、全然友達いません。どうしたいいんだろう。何をしたらいいか私全然わからないの。でも、とりあえず机に向かっています。こうやって物語を描くぐらいしか私に世のなかとの接点はないのかもしれません』
『まーちゃん、私の漫画、つまらないっていっぱい書かれてる。読む価値がないって。読まなくてもつまらないってわかるって。どうしたらいいんだろう』
私は仁木速見に忙しいと言っていて、呟きみたいに仁木速見が送ってくるから返事をしないうちにこうなっていた。
人に認められるとか、人に認められないとか、そういうのを経て大抵の何かを作る人間は自分を作っていくのに、仁木速見は最初から自分が出来ちゃってたから、その自分が受け入れられるのか考え出して、こんな風に悩むんだ。
私は、自分が無くて困っているっていうのに。
△△△
高橋君のスマートフォンのブラウザを立ち上げて、最後に開かれていたURLに接続される。
いつか見たような画風の漫画がある。
イメージが脳に流れ込んでくる。漫画だというのに読ませる前に認識させてくる。
河原のような場所で制服が燃えている。揺らめいて、その燃えカスとなった制服が流れていく。燃えカスに視点が移って、街が描写される。その街の建物がどんどんアップになっていく。窓ガラスに影が映る。その影は首を吊っている人だ。
首を吊っている。
首を吊っている。
首を吊っている。
私はギターケースに入れていたシールドをドアノブに引っかける。私はそれに首を引っかける。ゆっくりと体重をかけていく。意識が薄れていく。
首を吊っている。
首を吊っている。
首を吊っている。
そこで気づく。
これは仁木速見の昔の絵だ。これは仁木速見の、一部の人間に向けた漫画なんだ。仁木速見の、呪い。
殺してやる。
殺してやる。
殺してやる。
声が響く。仁木速見の声だ。
私を見ない、見ようともしないやつを殺してやる!
仁木速見の叫びが響いて、私の心が動く。
そこで目を開く。体重をかけるのを私は止める。嘔吐しそうになりながら必死に首に巻いていたシールドをほどく。
私は仁木速見の漫画を読んでいる。ずっとずっと昔から。
仁木速見の漫画がどういうところからスタートしてどういうところを意識して書いていてどういうところを磨いて伸ばしているのか全部読んでいる。
気に食わない、仁木速見の漫画は気に食わない。だって私を見ていないから。仁木速見は読者だけを見つめ続けていて、私だけを見ていないから。未だ見ぬ、顔も知らない多くの読者を楽しませるだけに描いているから。
その仁木速見がこの呪いの漫画を描いている?
自分を認めない人間を殺すために、排除するためだけにこんな世界に影響を与える物語を描いている?
その仁木速見がこんな一部に向けた呪いの物語を描いている?
何をやっているんだお前は!
私は自分のスマートフォンを手に取って、アドレス帳をタップする。今ではSNSでつながっている人ばかりなのに仁木速見は電話番号とメールアドレスだけで私はそのまま電話をかける。
トュルルルル、トュルルルル、と音する。
『はい、もしもし……』
仁木速見が出る。元気がない。明らかに憔悴した声だ。
でも、私は優しくなんてしてやんない。
「何やってんだよボケ!つまんねーこと描いているじゃないよ!あんたはもっと上を描いているんだろ!もっとたくさんの読者に向けて描いてるんだろ!世界を取ろうっておもってるんでしょ!つまんない馬鹿に向けて時間を浪費してるんじゃねーよ!ボケ!」
『まーちゃん。でも……』
「知らない。かのちゃん、届ける先間違ってるんじゃないよ。私がいまから届けたい人間に届けるってことを教えてやるよ。じゃあね」
そう言って電話を切る。
私はデスクトップパソコンを起動させる。埃をかぶったオーディオインターフェースを引っ張り出す。ギターを出して画面を見る。
私は知っている。
仁木速見がおどおどして自信がなかったのは身の回りに誰もいなかったからだ。両親が離婚して、片親になってずっと家で一人で過ごしていて、自分の言葉をまるで聞いてもらえなかったから何かを人に言うのが怖くて仕方なかったからだ。自分の話を聞いてもらえないというのが怖かったからだ。
仁木速見が勉強を出来たのはそれで母親に褒めてほしかったからだ。全然話す時間なんてなくて、家に一人でいて、母親が帰ってくるのは仁木速見が寝てからで、それでも仁木速見の母親が100点のテストを見てほめてくれるのを信じていたからだ、願っていたからだ。
私が仁木速見のおどおどしている様子に気づいたのはただ仁木速見が心配だったからだ。仁木速見が問題を解けていることを先生に伝えたのは仁木速見が教室という世界に影響を与えられるということを伝えたかったからだ。
私が音楽を始めたのは仁木速見をもっと笑わせてやりたかったからだ。仁木速見が興味を持てることをもっともっと作ってやりたかったからだ。
仁木速見が漫画に興味を持ったのは私があれこれ世話を焼いて私が漫画を貸したりしたからだ。
仁木速見が漫画を描こうと思ったのは私を楽しませてみたいと仁木速見が思ったからだ。仁木速見がデビューをしようと思ったのは私が仁木速見の漫画を褒めたからだ。
私が仁木速見の漫画がどこまでも届くと背中を押したからだ。
私が仁木速見と約束したからだ。
△△△
仁木速見が泣いている。一緒に帰っている時に急に泣きだしたのだ。
「ねえまーちゃん。お母さんが全然私を見てくれない。私のこと嫌いなんだよ。全然好きじゃないんだよ」
仁木速見は小学校の帰り道でそうやって泣いている。私はそれが面白くない。
仁木速見はつまらなくなんかない。
だから、私はくだらない約束なんてしてしまう。
「かのちゃんはさぁ、私をつまらないと思ってるわけ?」
「え……いや、そんなこと思ってないよ……」
「私は凄いと思う?」
「まーちゃん、うん。すごいよ……先生にはきはき話せるし、何でも言えるし……」
「凄い私と一緒の、かのちゃんが凄くないわけないでしょ」
「……うん」
「私、ずっと凄い人でいてあげるからね。もっともっと凄い人になってあげるから。そうしたら誰もまーちゃんのことつまらないなんて思わないよ。お母さんだって目を離せなくなるんだから。約束してあげるよ。まーちゃん。ねえ」
「うん。うん。うん……私も、かのちゃんと一緒にいれるくらい凄くなる、凄くなる、凄くなる」
でも、仁木速見の母親は仁木速見が漫画家として売れたら男と共に何処かへ消えてしまう。私は全然凄い人になんてなれなくて、凄い人の振りだけ一生懸命頑張って最初のことなんて全部忘れてしまっている。仁木速見だけが凄い人になって、凄い人だからこそ孤独になって苦しんでいて、大切なことを忘れてしまっている。
だからせめて、私がせめて仁木速見に大切なことをもう一度教えないと。
明け方まで練習をさぼってばかりだったギターを鳴らして、慣れないソフトと悪戦苦闘して、プリセットのドラムをたたきこんでベースも必死で引いて歌を入れて、一つのデータにまとめて仁木速見に送り付ける。
音程も怪しい、ギターのリズムはもたついてる、歌詞は徹夜のテンションで恥ずかしい。でも、仁木速見のことだけしか考えていない。仁木速見に届けることだけを考えて書いて、弾いて、歌った。
データを圧縮して、メールに添付して、仁木速見に送り付ける。
二十分くらいして、仁木速見からの電話が鳴る。
「もしもし」
『凄い、下手』
「そうでしょ、そうでしょ。私はそんなのをアンタに堂々と送り付けられるくらいに図太いんだよ。考えても見なよ、あんたの漫画は何回も増刷されたんだってね、たくさん読まれたんだってね、それで嫌う人なんていくらでもいて結構じゃない。私なんて好きとも嫌いとも言われないんだよ?」
『論点ずらしじゃん』
「ずらしずらし、でも、まぁ私は読んでるよ。ちゃんと」
『……本当?』
「読んでるよ。ネットで後付け後付け言われてるのもばからしーよ。あんたがちゃんと話を広げようとして布石を仕込んでるのだって読んでるよ、しゃらくせーって思う時はあるけど、ちゃんとやってるって読んでるよ」
ただこっちがみじめになるから言わなかっただけで。
私はずっと仁木速見の漫画を読んで、仁木速見を見ている。仁木速見が描く友情だとか、愛情だとか、全部私と話したようなことばかりで、そこが元になっていて、どんなに私以外の多くの読者に向けた話を描いていても私がそこにいることを本当はずっと知っている。
「私、楽しかったよ。久しぶりに曲作って」
『全然作ってなかったの?』
「そうそう。専門の人と世遊びばっかしてたよ。全然あっぱらぱー」
『うわぁ……』
「世の中ろくな奴ばっかじゃないんだよ」
『もっとちゃんとやってよ……私がばかみたいじゃん』
「そりゃあんたもでしょ。色々見失って全部呪ってるんだから」
『うん……』
「続けなよ。バカみたいな意見いちいち見てるから何にも変えられないし変わってないって思うんだよ。あんたの漫画で色々変わってるよ、かのちゃんの漫画に負けないように自分を鼓舞した結果、私はこんな専門まで来てこんなダメダメ生活だよ」
『それ私のせいなの?』
「さーね。でも私はこの生活、今この瞬間は嫌いじゃないよ。あー、クラスの奴ら何人か死んだけどぶっちゃけ今はどうでもいいや」
『え、ひどくない』
「凄い人間はそんぐらいネジが緩んでるんだよ」
『詭弁だよ』
「詭弁だね」
『ふ、ふふふふふ』
「うふふふふふ」
『ははははっ』
「あっはっはっは」
私たちはくだらなすぎて笑う。身の回りの世界がめちゃくちゃになりかけたのに、私たちは自分自分自分でそれで満足している。
でも私たちが認識できる世界なんてそんなものだ。
私たちが認識できる世界で、必死に届くように信じるしかない。
そうして、今回は何とか届いた。
『まーちゃん……私、もっと凄い人になるよ』
「うん」
『もっともっと描きたいこと描いて、描いて、描いて、凄いものを作るよ』
「うん」
『まーちゃんが私から目を離せないくらいに。私が道を間違ったらまた止めずには入れないくらいに凄くなるよ』
「それって約束?」
『うん』
「じゃあ私もかのちゃんが私のことを忘れられなくなるくらい、凄い私でいてあげるよ。ずっと凄い私で入れるように頑張るよ」
そう言って、通話を切る。
その日を境に呪いの漫画の話は聞かなくなって、でも結局人は毎日のように自殺しているから中々話題はなくならない。
だけど仁木速見の漫画は相変わらず連載していて、掲載順は毎回のようにほぼトップ。
あー凄い、凄い、
私は少しだけ真剣に音楽の勉強をする。私が届けられるのは仁木速見みたいに遠くの顔も知らない誰かでも多くの人々でもない。
自殺者が出て、ごたごたしているけれど専門学校の授業でバンドを組んで私は頭でっかちになった音楽理論で何とか曲を作る。だせーだせーと学校の先生や生徒に言われて修正して、でもそれでも何とか残したいポイントは守り抜いて曲にする。
専門学校の発表会で、友人知人に声かけて必死に客を集めてライブする。
私は徹夜明けでふらっふらであるだろうにライブにやってきてくれる一人のために、音楽に対してちっとも純粋じゃない気持ちで一生懸命ギターを鳴らす。
私はそうやって音楽をやることを少しだけ、好きだなぁと思う。
△△△
仁木速見の漫画に音楽家のキャラクターが出てきて、それが人気が出てしまったらしくて苦笑する。
仁木速見の作った世界の中で私が息づいていることがおかしくて、うれしい。
よくわかんねー凄い元ネタになっちゃったよ私。
約束はまだ継続中で、私は仁木速見にとって凄い人になろうと今でも頑張っている。これこそ呪いってやつじゃないかな、なんて思うけどとりあえず今はその重さが心地よい。
明日は仁木速見の雑誌の発売日で、私はそれを今からわくわくしている。
いやあ、私の友人は本当に凄い。<了>
世界なんて変えられないし私は凄くなれないし 吉野奈津希(えのき) @enokiki003
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