第142話

「……え?」

 速すぎて、イーニアの目には見えなかったらしい。

 すでにふたりのザザは一合を終え、どちらも穴の端まで達していた。右のザザは刀を折られ、水面の下で膝をつく。

「刀でザザに敵う者など、そういない。これで決まったな」

 だが、左のザザも無傷ではなかった。忍装束の覆面が裂け、白い頬が露になる。

「お前も潮時みたいだぞ」

「……ふふっ。そのようですね」

 これまで一言たりとも喋らなかった『彼』が、初めて口を開いた。覆面を剥がし、優男の顔立ちで爽やかにはにかむ。

「こんにちは、みなさん」

 グウェノもイーニアもハインも仰天した。

「ジッ、ジジジ……ジュノーっ?」

 セリアス団の屋敷で部屋を借りている、吟遊詩人のジュノー。仲間たちにとっては思いもよらなかったようで、イーニアはごしごしと目を擦る。

「どうしてジュノーが、ザザの格好で……?」

「いや、待て待て! ザザなら……ほら、あっちにいるじゃねえか」

 グウェノもすっかり混乱していた。

「落ち着いて聞いてくれ。ザザの正体がジュノーだったんだ」

「なんと……こいつは度肝を抜かれたわい」

 ザザの素顔にはハインも面食らい、呆気に取られる。

 ジュノーが水面を跳ねつつ、セリアスたちの傍までやってきた。

「話はあとですよ、みなさん」

「ああ」

 偽物のザザはゆらりと立ちあがり、覆面を外す。

「してやられちゃったか……この忍者に化けてれば大丈夫、と思ってたんだけどね」

 装束を剥がしてなお、彼は顔の左半分をピエロのような仮面で覆っていた。不敵な笑みを半分だけ覗かせて、掴みどころのない雰囲気を醸し出す。

「ザザ、あいつは?」

「僕も初めて見る顔です」

 セリアスやザザの関係者ではなかった。ほかのメンバーもかぶりを振る。

「街で見かけた憶えもねえな……誰だ? てめえ」

「おっと、申し遅れたね。僕はクロノス」

 クロノスは音もなく浮遊し、水面から爪先を抜き取った。ずぶ濡れのはずなのに、もう服が乾いており、一滴の雫も滴らない。

「警戒しないでくれるかい? 君たちと敵対するつもりはないんだ」

 右だけの瞳は視線に含みを込め、どうやら『イーニア』を見据えていた。セリアスはジュノーとともに彼女を庇いながら、クロノスに問いかける。

「ザザの真似までして、何を企んでる? お前の目的はタリスマンか?」

 クロノスは人差し指を半分だけの唇に添えた。

「僕の目的はねえ……教えてあげたいんだけど、内緒さ」

「なんだよ? もったいぶりやがって……」

「そう焦らないでよ、グウェノ。君の欲しいものは、じきに見つかるはずだから」

 クロノスの声がエコーを伴って響く。

「実を言うとね、話したくても話せないんだよ。管理者である僕自身がタブーを犯すわけにはいかない。……なぁんて、今の君にはまだわからないか」

 その視線が魔法使いの少女を射すくめた。

「三番目の旅人。イーニア」

「……私が?」

 何のことやら、セリアスたちにはさっぱり理解できない。

 ただ、クロノスはイーニアに強い関心を示した。

(三番目の……? なんのことだ?)

 イーニアは戸惑い、不安の色を濃くする。

「あなたは誰なんですか? どうして私のことを?」

「いずれわかる時が来るよ。じゃあね、また会おう。セリアス団の諸君」

 ぱちんと指を鳴らすだけで、クロノスの姿は陽炎のように消えてしまった。セリアスたちは呆然として、小さな波に晒される。

 ハインが陽気に笑った。

「あやつのことは、ひとまずよかろうて。それよりザザ……いや、ジュノー殿。まさかおぬしがあの忍者だったとはのう。驚いたぞ」

「黙っていてすみません……機会があれば、お話しようとは思ってたんです」

 アクシデントはあったものの、セリアス団は新たな仲間を迎える。

「いけ好かねえ野郎と思いきや、ジュノーだもんなあ」

「本当にびっくりしましたね。まだ実感がないくらいで……」

 リーダーとしてセリアスは場を引き締めた。

「続きは帰ってからにしよう。タリスマンを回収しておかんとな」

「あ、はい」

 イーニアだけが返事をしてくれる。

 セリアス団は中央の穴をぐるりと迂回し、奥の扉まで辿り着いた。その先は坂で少し高くなっており、ホールの水が入ってくることはない。

「なあ……オーウェンやレギノスみたいなのが守ってたら、どうするよ?」

「その時は出なおすしかないな」

 すでにメンバーはクラーケンとの戦いで疲れていた。装備も万全ではないため、これ以上の戦闘は避けたい。

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