第86話

 やがてシビトの城の最上階へと辿り着く。

「では、私はこれで……お帰りの際に、またお迎えにあがりますので」

 道化師のチャリオットは扉の脇で立ち止まり、会釈のポーズで気取った。ここから先はセリアスとイーニアだけで入れ、ということらしい。

 セリアスは扉を開け、イーニアとともに王の間へ足を踏み入れる。

 最上階だけに豪勢なものと思いきや、王の私室は意外にこぢんまりとしていた。上等なハシープコードや描きかけの絵画があり、城主の趣味を窺い知ることができる。

 暖炉に火はついていなかった。

 壁には大きな時計が掛けられている。が、針は動かない。

「なんだか……時間が止まってるみたいですね」

 イーニアの言葉は言い得て妙だった。

 時の流れから置き去りにされた部屋――ここには不老不死の王が住む。

「我が城へようこそ」

 それまで見当たらなかった人影が、忽然と姿を現した。老いてなお精悍な顔つきで、セリアスたちを一瞥し、白い顎髭を撫でる。

「茶を用意してある。こっちだ」

 促されるまま、セリアスたちもカーテンをくぐり抜けた。

 最上階のベランダは広々とした造りで、中央にはティーパーティーの席が設けられている。花壇ではバラが咲き乱れ、濃厚な香りを漂わせた。

 それを一輪だけ摘み取り、不死の王はほくそ笑む。

「迷える少女よ。君は、バラは好きかね?」

「い、いいえ……お花にはあまり関心がないものですから」

 バラは蜜を搾り出され、みるみるしおれてしまった。紅茶がうっすらと紅く染まる。

「君にはローズティーだ。女性にはこちらのほうがいいと思ってな。座りたまえ」

 セリアスには空のグラスが勧められた。王が自ら赤いワインを注ぐ。

「そう怖がることはない。私は災厄をもたらした『かの王』ではないのだよ」

「……ああ。いただこう」

 緊張しつつ、セリアスとイーニアはグラスに口をつけた。イーニアのほうは露骨に顔を顰め、ローズティーを遠ざけたがる。

(やはり不味いか)

 セリアスは内心、ほっとした。ローズティーなどという高尚な嗜好品を押しつけられるくらいなら、苦手な酒のほうがまだ馴染みやすい。

 改めて、まずは城主に礼をしておく。

「あなたのおかげで助かった。本当に危ないところだったんだ」

「構わぬよ。客人をもてなすのは、城主の務めなのでな」

 エディンもワインを味わい、溜息を漏らした。

「ひとりで飲むより美味いものだ。……ふ、聞きたいことがあるという顔ではないか」

 おずおずとイーニアが口を開く。

「あなたはご存知なのですか? かの災厄や、タリスマンのことを……」

「何百年もここに住んでいるのだ。当然、お前たちより多くを知ってるとも」

 かつてフランドールの大穴で未曽有の大災厄が起こった。

 不死身のシビトが大穴から溢れ出て、ひとびとを脅かしたのである。フランドール王国は前線に立ち、数世代に渡ってこれに抵抗。五十年前、死闘は幕を閉じている。

「シビトの軍勢を指揮したのは、あなたではないのだろう?」

「それはグランツの冒険者たちも知る通りだ」

 エディンは物憂げに夜空を見上げる。

 呪われた大穴にいることを忘れそうになるくらいの、満天の星空だった。金色の月へと掲げられたワイングラスが、綺麗な光を放つ。

「あれは……そう、二百と五十年も前に遡る話だ……」

 フランドール王国には野望に燃える王がいたという。彼はエディンを唆し、不老不死の秘術をまんまと掠め取った。だが、それを制御することはできなかった。

 王は不老不死となったものの、民も巻き添えを食らい、劣悪なシビトとなる。そして血に飢え、飽くことなく殺戮を求めた。

 六大悪魔もまたシビトであり、不死身らしい。

「シビトに対抗できるよう、私は人間に我が力の一部を与えた。それが『刻印』だ」

 シビト化を免れた民は、悪しき王から離反し、反撃に打って出る。エディンは彼らに不死身のシビトを絶命させる力を授け、事態の収拾を図った。

 セリアスは左手をかざし、その甲を見せつける。

「……これか」

 そこに薄黒い紋様が浮かびあがった。エディンは驚き、目を見開く。

「なんと……そなたも刻印を持っておったのか」

「いずれ大穴を探検するならと、爺さんがくれたんだ」

 五十年前にかの王を打ち倒し、シビトの災厄を終わらせたのが、英雄ギース。

ギースにはシビトに殺された先妻がいた。その女性の姉が、セリアスの祖母に当たる。

「ギースとは少し縁があってな」

「ほう……ギースとは孫の結婚式で会ったきりだ。元気にしておるのか」

「残念だが、亡くなってしまった。老衰だったと聞いている」

 ギースにとってセリアスは血の繋がりもなく、遠い親戚に過ぎない。それでも冒険家に興味があったのか、色々と指導してくれた。

 左手の刻印も彼に託されたもの。

『大穴を冒険するのなら、役に立つ。不死身の化け物はこれで焼き尽くすのだ』

 セリアスにはシビトを滅する力がある。

 だが、刻印の力は徐々に弱まっているようだった。

「本当にこれでシビトを倒せるのか? あのデュラハンをも……」

 セリアスの刻印をまじまじと眺め、エディンは瞼を伏せる。

「この刻印は使いものにならぬ。そなた、光の力に触れたことがあるのではないか?」

「ああ。スタルドやソールでそんなこともあった」

「それだ。刻印とは闇に属するもの……光の力と相反するものだからな」

 力を抜くと、刻印も消えた。

 エディンが手慰みに顎髭を撫でる。

「刻印があろうとなかろうと、デュラハンから逃げたのは正解だ。あれは長らく眠っていたのだが、目覚めてしまった。しかも五十年前より力を増して、な」

 イーニアの唇がぽつりと呟いた。

「六大悪魔……」

「左様。フランドールの大穴には六体の『悪魔』がいるのだ。画廊の氷壁にはコルドゲヘナ、竜骨の溶岩地帯にはエクソダス……こやつらも目覚めておる」

 デュラハンの猛攻を思い出し、セリアスたちは青ざめる。

「白金旅団、だったか……やつらも惜しいことをした。六大悪魔と遭遇したら、逃げよ、と忠告はしておったのだが」

「彼らもこの城へ?」

「来たとも。タリスマンの情報を求めて……」

 エディンの瞳が今度はイーニアを捉えた。

「さて……タリスマンを探求せし、無垢なる魔女よ。そなたも知りたかろう。タリスマンとは何なのか、それを集めた時に何が起こるのか……」

「はい。教えてください、エディンさん」

 シビトの王に正面切って、イーニアはこわごわと顔を引き締める。

 だが、エディンはそれ以上を具体的には語らなかった。

「私には今、すべてがわかった。今、この場所でだ」

「……?」

「ハーフエルフの少女よ、そなたは鍵を握っておる。いずれ、そなたは……いや、やめておこう。私が教えるべきことではない」

 耳が丸いにもかかわらず、彼はイーニアをハーフエルフと見抜いている。その予言めいた口振りは気になったものの、肝心の続きは伏せられてしまった。

「……それより面白いものを持っておるではないか。私にも見せてくれ」

「これですか?」

 イーニアはおずおずとコンパスを差し出す。

 その盤面に人差し指を立て、エディンが念を込めた。コンパスが赤い光を帯びる。

「六大悪魔が近づくと反応するようにしておいた。赤く光ったら、すぐにその場を離れることだ。言うまでもなかろうが、絶対に戦ってはならぬ」

「いいのか? こんなことまで……」

「私もギースとは多少なりとも縁があるのでな」

 冷たい夜風が吹いた。

「客人に風邪をひかせてもいかぬか。今夜はゆっくりと休むがよい」

 ワインもローズティーも残し、セリアスたちは席を立つ。

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