第55話
青空のもと、白銀の世界が輝く。
記憶地図で天候が把握できるため、吹雪の中を歩かずに済むのは助かった。セリアスたちは『画廊の氷壁』に足を踏み入れ、その壮麗でさえある景色に息を飲む。
「すごいですね……」
この秘境は巨大な断崖となっていた。壁面には大小さまざまな足場があり、冒険者らはそれを伝ってのみ往来できる。
妙なことに、足場のところどころは『階段』で繋がっていた。つまりここは天然の秘境のようで、ひとの手が加えられているのだ。
「あんま端っこは歩かねえほうがいいな。足を踏み外したら、一巻の終わりだぜ」
足場が狭いのは無論のこと、雪で滑る危険もつきまとった。セリアスとイーニア、ハインとグウェノで命綱を共有し、腰のフックに掛けておく。今回ザザはいない。
「この中で雪山の経験があるのは、拙僧とセリアス殿だけか……」
「今日のところは早めに切りあげるぞ」
とにもかくにも『雪』に慣れないことには始まらなかった。スパイクつきの登山靴は滑りにくいものの、思った以上に足を取られる。
「大丈夫か? イーニア」
初心者のイーニアは案の定、四苦八苦していた。
「こんなところでモンスターに襲われたら、たまりませんね」
「なるべく戦闘を避けるしかないな」
セリアスは首筋にコートのファーを押しつけ、真っ白な息を漂わせる。
何より寒すぎた。保温の魔法などを併用しても、氷点下の冷気は遮断しきれない。
「コンパスは反応ねえのか? イーニア」
「……はい。多分、もっと進んでみないことには」
やがてセリアスたちは横穴を見つけ、断崖の裏側へと入り込んだ。
まさに氷の洞窟。だが、ここの氷は不思議と光を蓄えており、中は充分に明るかった。外のように落下の心配もないため、命綱を外す。
「街で聞いた通りだなぁ……」
ここはグウェノも初めてで、これまでのように案内はできないらしい。
画廊の氷壁――その名の意味するところを、セリアスたちは目の当たりにした。肝の据わったハインさえ驚愕し、うろたえる。
「こ、これは面妖な……」
壁の一面では数多の死者が氷漬けにされていたのだ。等間隔に額縁まで備えつけられ、まさしく『画廊』を気取っている。
ある者は無念の表情、またある者は憤怒の形相で氷に閉じ込められていた。
「ご丁寧にタイトルまでついてやがるぜ。読めねえけど」
「一体、誰がこんなことを……?」
グウェノやイーニアとともにセリアスも顔を強張らせる。
「悪趣味なやつがいるようだな」
ざっと見たところ、冒険者らしい犠牲者の姿は見当たらなかった。防寒具を着込んでいるセリアスたちとは対照的に、薄着の者が目立つ。
子どもがいれば、老人まで。
「これだけ氷漬けだと、腐敗もしねえんだろ? ひょっとすっと、シビトの災厄時代より前のもあるんじゃねえ?」
どうにも計算が合わなかった。
フランドールの大穴からシビトの脅威が去ったのは、およそ五十年前。
徘徊の森がタリスマンと聖杯によって『秘境』と化したのは、それから二十年後のことで、今からすれば三十年ほど前となる。
それと原因が同じなら、この画廊も三十年前からのものでなくてはおかしい。
「彼らがいつ氷漬けになったのかが、わかれば……」
「死者の冒涜にもなりかねんが、調べさせてもらうとしよう」
だが画廊を調べようにも、どこからともなく唸り声が響いてきた。体毛の白い小柄な猿のモンスターが三匹、奇声とともに襲い掛かってくる。
「チッ! 外は断崖絶壁、中はモンスターの巣窟ってことかよ!」
「構えろ!」
ザザがいないために先手を取られそうになったが、グウェノの弓のほうが早かった。先頭の一匹は膝を撃ち抜かれ、転倒する。
「恐れることはない! 大した敵ではないぞ」
野生の獣じみた突撃など、ハインには通用しなかった。逆に相手を捕まえ、力技でめきめきと折り曲げてしまう。
セリアスは盾でモンスターの奇襲を凌ぎつつ、イーニアのカバーに徹した。
「撃て、イーニア!」
「はいっ!」
イーニアは得意とする『水』の魔法で、敵に水圧の弾を叩き込む。そのつもりが、杖のマジック・オーブがみるみる凍りつくせいで、不発に終わった。
「……え?」
「セリアス、イーニア! 動くなよ!」
それに逸早く勘付き、グウェノが機転を利かせる。
セリアスの真正面でモンスターは矢に貫かれ、あっさりと絶命した。画廊の氷壁では初めてとなる交戦を切り抜け、セリアスはふうと息をつく。
「……参ったな」
杖を握り締め、イーニアは唇を噛んだ。
「ここでは水属性の魔法が力を発揮できないみたいですね……」
杖のカスタマイズで『水』の属性を選んだことが、まさかの裏目に出たのだ。
この冷気の中では水は凍ってしまう。
「水と氷って同じ力じゃねえの?」
「いえ、冷気は『風』でして……確かに冷という意味では『水』でもあるんですけど」
「……ん? どういうことなのだ? イーニア殿」
そもそも『地水火風』という四大元素の括りは便宜上のもので、正確ではなかった。
正しくは『温・冷・湿・乾』が本来の元素であり、そのうちふたつが結びつくことで、地水火風の属性が成り立つ。
温・湿は地、冷・湿は水、温・乾は火、冷・乾は風。
水と風は『冷』において同じ性質を持っている、とイーニアは言ったわけだ。また、これこそが火と水、風と土とが互いに相反する理由でもあった。
グウェノがフード越しに頭を掻く。
「専門的すぎて、わかんねえっての。とにかく『火』がねえことには、なあ」
「俺も次が氷壁の探索とは思わなかったからな」
火属性の魔法は使えない以上、イーニアは当面、風や地の魔法で凌ぐしかないだろう。セリアスは手持ちのスクロールを確認し、火属性のものはすべてイーニアに渡す。
「こういうこともあるさ」
「あ、はい……」
イーニアは困惑するものの、セリアスにとってはそう深刻な事態でもなかった。ほかにやりようはあるわけで、知恵を絞ればよいだけのこと。
「これだけ寒い場所なんだ。噂のアイスソードなんかが見つかれば、溶岩地帯とやらの探索は楽になるんじゃないか?」
「いいねえ! このへんはまだ誰も歩いてねえだろうし」
セリアス団の氷壁デビュー、出だしは決して悪くはなかった。
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